第38話
5月20日、水曜日。
世界崩壊から、十九日が経った。
「行ってきます」
出発前、私がそう言うと、食堂に残った全員が黙って頷いた。
モグだけが「気をつけてね! お土産!」と言った。
「何が欲しい?」
「おかしー!」
「……探してみる」
ゲンタが苦笑した。蒼はすでに外に向かって歩き出していた。
今日は三人で行く。私、ゲンタ、蒼。目的は物資の回収と外の状況把握。山を下りた先にある最寄りの町まで、ブラックアークで往復する。崩壊後、自治区として初めての外部行動だった。
ネロが「通信は常時繋ぐ。何かあればすぐ連絡を」と言った。
「わかった」
ユリが「マナさん」と声をかけてきた。
「何?」
「……気をつけて、来てください」
「ありがとう」
ドローブリッジが下りた。
私たちは、外へ出た。
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山道を下る間は、まだよかった。
木々の間から差し込む光は変わらなかった。鳥の声も聞こえた。山は、崩壊前とほとんど変わっていなかった。
変わり始めたのは、山を下りきって、町の入り口に差しかかったところからだった。
「……止めて」
ゲンタがブラックアークを路肩に寄せた。
フロントガラスの向こうに、町が見えた。
見えた、というより——町だったものが、見えた。
国道沿いのコンビニは、窓ガラスが全部割れていた。看板が斜めに傾いていた。駐車場に車が二台放置されていて、一台は横転していた。電柱が何本か倒れていた。信号はすべて消えていた。
人の姿はなかった。
「進む」と蒼が言った。「止まっていても意味がない」
「そうね。ゆっくり行って」
ブラックアークがゆっくりと動き出した。
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町の中心部に入るにつれて、状況は悪化した。
スーパーマーケットは入り口が破壊されていた。中はほぼ空だった。棚が倒れていた。床に食料のパッケージが散乱していたが、食べられるものは残っていなかった。
薬局も同様だった。ただし、処方薬のエリアだけは荒らされていない部分があった。一般の人間には何の薬かわからないから、持っていかなかったのだろう。シノのリストに従って、私たちは棚の奥に残っていた薬を丁寧に回収した。
ホームセンターには、まだいくらか資材が残っていた。工具類は持ち去られていたが、建材の一部やガス缶が残っていた。ゲンタが「使える」と言って、丁寧に荷台に積んだ。
「魔物は」と私がネロに無線で聞いた。
「今のところ、あなたたちの半径三百メートル以内に反応なし。ただし、町の東側に二体確認している。動きは遅い。現状は接触しない方向で」
「わかった」
三人で声を潜めながら、回収を続けた。
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本屋の前を通ったとき、私は足を止めた。
シャッターが半分だけ下りていた。中は暗かった。でも、ガラス越しに本棚が見えた。本棚は倒れていなかった。本が、静かに並んでいた。
誰も本を盗んでいなかった。
それが、妙に胸に刺さった。
「マナ」とゲンタが言った。「どうした」
「少し待って」
私はシャッターをくぐって、中に入った。
薄暗かった。でも目が慣れると、棚の間の通路が見えた。本が並んでいた。文庫本、単行本、雑誌。誰かが並べた順番のまま、そこにあった。
一冊手に取った。
料理本だった。表紙に鮮やかな色の料理の写真があった。「毎日のごはん」というタイトルだった。
前世で、私はこの本を持っていた。
持っていたのか、それとも似た本を持っていたのか、もう正確にはわからない。ただ——前世の私が崩壊前にこの町を歩いていた記憶がある。このあたりに本屋があった。立ち読みをした。カイトに「買わないの」と言われて、「今度でいいや」と言って棚に戻した。
「今度」は来なかった。
崩壊して、走り回って、死んだ。
私はその本を、持ってきたバッグに入れた。
「マナ、何を——」
「サヤカさんに渡す。役に立つかもしれないから」
ゲンタが一瞬だけ私を見た。何かを察したような目だったが、何も言わなかった。
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帰り道、ゲンタが運転しながら言った。
「お前、この町に来たことがあるのか」
「……前に、ね」
「拠点を作る前から?」
「もっと前」
「そうか」
それ以上聞かなかった。ゲンタはいつもそうだった。必要なことしか聞かない。
私は助手席の窓から外を見ていた。
木々の間に、夕日が差し込んでいた。廃墟になった町が、橙色の光の中にあった。崩壊していなければ、きれいな夕景だっただろう。
前世でここを歩いていた時、私はまだ何も知らなかった。
ダンジョンが出現することも、魔物が街を歩くことも、ライフラインが一日で止まることも——何も知らなかった。ただ、日常の続きを信じていた。
今の私には、知っていた。
知っていたのに、助けられなかった人がいた。
知っていたから、自分と仲間だけを守ることができた。
その二つが、同時に本当だった。
「……帰りましょう」
「そうだな」とゲンタが言った。
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拠点に戻ると、モグが走ってきた。
「おかえり! おかし、あった?!」
「ごめん、なかった」
モグがしゅんとした。
「代わりに、これ」
私はバッグから、本屋で見つけたもう一冊を取り出した。絵本だった。動物が出てくる絵本。
「ハルキにどうぞ」
モグが目を輝かせた。「ハルキー! マナがお土産持ってきたよ!!」
食堂の方からハルキが走ってきた。絵本を受け取って、表紙を見て、少し笑った。
「ありがとう、マナさん」
「どういたしまして」
サヤカが「料理本、私にですか?」と言って、表紙を見て「懐かしい」と呟いた。「崩壊前に持ってたんですけど、逃げる時に置いてきてしまって」
「よかった」
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夜、私は一人でいた。
今日見てきた町の光景が、頭の中に残っていた。
倒れた電柱。空の棚。静かな本棚。
そして——前世の記憶。あの本屋の前で「今度でいいや」と言った自分の声。
仲間たちはまだ知らない。
私が二周目を生きていることを。前世で一度死んでいることを。最初からすべてを知った上でここに来たことを。
ずっと言えなかった。言う必要もないと思っていた。
でも今日、前世の記憶が、こんなにも鮮明に甦った。
あの町に前世の私がいた。知らなかった私が、そこにいた。
今の私は——それを知っている。
「いつか、話さなきゃいけないかもしれない」
誰もいない部屋で、私は呟いた。
返事はなかった。
ただ、結界の光が、窓の外で静かに灯っていた。
【世界崩壊から19日目。星降る森自治区は、初めて外へ出た。そして帰ってきた。】




