第34話
5月10日、日曜日。
世界崩壊から、九日が経った。
「基準を決めたい」
朝食のとき、私が言うと、全員が箸を止めた。
「受け入れる人間の基準。今まで来た人たちは全員断った。でもこのまま全員断り続けるのは、私の本意じゃない」
「本意じゃない、とは」
ゲンタが静かに聞いた。
「ここは要塞じゃない。最終的には、小さくてもいいから、ちゃんと機能するコミュニティにしたい。そのためには、いつか外の人間を受け入れる必要がある」
テーブルに少しの間、沈黙が流れた。
「基準は、どう考えてる」と蒼が聞いた。
「三つ。悪意と暴力の意図がないこと。拠点のルールを守れること。何か貢献できる意志があること。——これだけよ」
「貢献、というのは」
「特別なスキルじゃなくていい。畑を手伝う、料理をする、掃除をする。それでいい。ただ、受け取るだけじゃなくて、何かを返す気持ちがある人間かどうか」
「判定は誰がする」とネロが聞いた。
「全員で。私一人が決めることじゃない」
ゲンタが少し目を細めた。
「武器は」
「没収。拠点内での武器の携行は禁止。例外なし」
「従わなかったら」
「出ていってもらう」
蒼がコーヒーを一口飲んだ。それから「賛成だ」と言った。
ネロが「わかった」と言った。シノが「いい基準だと思うわ」と言った。ゲンタが「……そうだな」と言った。
モグが「新しい人が来たら、畑の仕事教えてあげる!」と言った。
「ありがとう、モグ」
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その日の昼過ぎ、センサーが反応した。
「一人。いや、二人。大人一人と、小さい子どもが一人。徒歩。ペースが遅い——子どもが疲れているんだろう」
ネロの報告を聞いて、私は情報処理室へ向かった。
モニターに映ったのは、女と、小さな子どもだった。
女は三十代前後に見えた。大きなリュックサックを背負い、子どもの手を引いていた。子どもは四歳か五歳くらい。足を引きずるようにして歩いていた。
「武装は」
「なし。リュックの形状から重量物は入っていない。水と食料が少量、あとは着替えか毛布のようなものが見える」
「他に人は」
「周囲五百メートル、人影なし。単独だ」
私は二人の姿をしばらく見た。
女が時々立ち止まって、子どもに何か声をかけていた。子どもが頷いて、また歩き出す。その繰り返し。
「どうする」とネロが聞いた。
私は少し考えた。
「迎えに行く」
「え?」とネロが言った。珍しく、声に驚きが混じっていた。
「門の外まで、私が行く。蒼、カバーをお願い」
「……了解だ」と蒼が無線越しに言った。
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ドローブリッジを少しだけ下ろした。
私は一人で橋を渡り、外に出た。
外に出るのは、崩壊後初めてだった。
空気が違う気がした。気のせいかもしれない。ただ、結界の外側は——どこか、張り詰めていた。
二人は山道の途中にいた。私の姿を見て、女が立ち止まった。警戒するように、子どもを後ろに庇った。
「脅かすつもりはない」
私は両手を見せながら近づいた。
「ここの管理者よ。少し話せる?」
女が私を見た。疲れ切った目だった。でも、怯えの中に——何か、諦めていない光があった。
「……はい」
「名前を聞いていい?」
「サヤカといいます。この子は、ハルキ。息子です」
ハルキという名の男の子が、お母さんの後ろからこちらをのぞいていた。丸い目だった。
「サヤカさん、ここに来たのは」
「安全な場所があると聞いて。他に行くところがなくて——」サヤカが少し唇を噛んだ。「迷惑なのはわかってます。ただ、この子だけでも、どこかに」
「一つだけ聞かせて。ここで暮らすとしたら、あなたは何ができる?」
サヤカが少し目を見開いた。それから、少し考えて言った。
「料理と、裁縫は得意です。前は保育士をしていたので、子どもの世話も。それと——少しだけど、医療の知識があります。救急講習は毎年受けていたので」
(シノの助手が欲しかったところだ。それに、モグの遊び相手も)
私は頭の中で素早く計算し、少し笑った。
「十分よ。来て」
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拠点に入ったサヤカとハルキを、全員で迎えた。
モグが一番喜んだ。「新しい人来た! 一緒にご飯食べよ!」と言って、ハルキの手を引っ張った。ハルキが最初は固まっていたが、モグがにこにこし続けるので、やがて少しだけ笑った。
シノが「救急の知識があるなら医療室を案内するわ」と言って、サヤカを連れていった。ゲンタが「荷物、どこに置く? 部屋を用意する」と言った。蒼は何も言わなかったが、監視塔から下りてきて、黙って水を一杯出した。
サヤカがその水を受け取って、一口飲んだ。
それから、目を赤くした。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」とゲンタが言った。珍しく、少し照れたような顔をしていた。
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夜、私はネロと二人で情報処理室にいた。
「今日の判断、正解だったと思うか」とネロが聞いた。
「わからない。でも、後悔はしていない」
「サヤカという女は信用できるか」
「今日会った限りでは。ただ——」
「ただ?」
「信用は、一日で決まるものじゃない。時間をかけて確認していくものよ。だから、仮住人という位置づけにした」
ネロが少し間を置いた。
「合理的だな」
「情けじゃない。投資よ」
「投資?」
「彼女が拠点に貢献してくれるなら、私たちも彼女を守る。対等な関係。施しじゃない」
ネロが「なるほど」と言って、タブレットに何かを打ち込んだ。
「仮住人、サヤカ。登録した」
「ありがとう」
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その夜、食堂からハルキの笑い声が聞こえた。
モグが何か面白いことをしているのだろう。それにゲンタの低い笑い声が混じった。シノの「もう、うるさいわね」という声も聞こえたが、怒っているようには聞こえなかった。
私はコーヒーを淹れて、窓の外を見た。
結界の光が、いつもと同じ青白さで灯っていた。
外の闇は深かった。でも、内側には光があった。
「今日が始まりね」
誰にともなく、私は呟いた。
ここはまだ、小さな灯りに過ぎない。
でも、灯りは増やせる。
【世界崩壊から9日目。星降る森に、初めての住人が増えた。】




