3話
「~今年の梅雨は例年より長く続くようで、気象庁からは梅雨の長期化による大雨洪水に注意するよう勧告がなされています...」「...雨、まだまだ続きそうだな。」「...迷惑でしたら言ってください。いつでも出ていきますから。」「そういうつもりじゃないよ。むしろ小傘がいてくれて昨日も一昨日も助かってる。僕自身、人と時間を一緒に過ごすのがここまで心が安らぐものだって思ってなかった。」「...それはよかったです。」小傘が来て二度目の朝。ニュースを見ていると、今降り続いてる雨について気象情報の言及がなされた。「こう、雨ばかりだとやっぱり気分も落ち着かないな。」「そうですか?私は好きですよ、雨。音も心地いいですし、傘をさすための大義名分になりますし、それに何より、打たれ続けてればいつかどこか深いところに連れて行ってくれるそんな包容力がある気がして。」「どこか深いところか...」「感じたことないですか?」「ないな。」会話をする。だけど、どうしても少しぎこちなさがある。そりゃ、見ず知らずのおじさんと一緒に生活してるなんて状況甚だおかしなことで、すぐに適応できるわけなんてない。とりわけ小傘は両親のことすらまだ自分の中で片付いているかどうか怪しいのだから。沈黙を遮るように延々とテレビからは音が垂れ流される。それが今の僕には少し助かっていた。...昨日から、というより知らない未成年者を家に上げるという時点で社会に身を置く一人として、僕には考えなければならないことがある。両親は本当に小傘を捨てたのか、親元に帰すべきじゃないのだろうか、警察に連絡して保護してもらうべきなんじゃないか。あたりまえに頭に浮かぶことだ。親に捨てられた、と本人が言っていることだけで考えると、家出という表現は正しくなさそうである。だけど、それでも警察や児童相談所に話をするべきであるという考えは消え去らない。僕はそれに頭を悩まされている。「...そういえば、昨日はどちらに行ってたんですか?」「ん?ああ、失業保険の手続きをしにハローワークに行ってた。暮らしていくだけの貯金がないわけではないけど、もらえるならもらっといたほうがいいからな。」「そうなんですね。確かにお金は大事ですし。」「そうだな、お金は大切。だけど使わなきゃ無用の長物だとも思うから、遠慮してご飯を減らすとかシャワーを使わないとかしなくていいから。」「ありがとうございます。」ぎこちない一節を終えてしばし沈黙が生まれ数秒、小傘が口を開く。「...あの、何か悩みとかないんですか?」「え?」「その、あんまりに何も不満をこぼさないので。」「...そういうのもリストラで一緒に置いてきたな。多分」「そう...ですか。」「どうしたんだ?急にそんなこと聞いて。」「えっと、大人の人はみんな不満を口に出すものですから、少し違和感で。お父さんもお母さんも、叔父も叔母も先生も近所の人も、みんな、私に聞かせるんです。客が鬱陶しいとか、あそこの家の人は態度悪いだとか、あいつがいなくなってくれればいいのにとか。だから、湊さんは何もないのかなって。」「不満なんてあっても誰かに急にぼやくものでもないと思うんだけどな。かといってため込むのも悪いとは思うから、そういう時は誰か誘ってどうせならってことで、相手も愚痴とか不満とかも聞くようにしてる。」「そういう...ものなんですか?」「少なくとも僕はそうやって生きてきたし、別に自分が少数派だっていう感覚もしないから普通とまではいかなくともそれなり同じようにしてるやつもいるとは思う。」親に捨てられ帰る場所がない少女。僕は小傘に対してその程度の認識しか置けていない。だから、こうして小傘が何か話してきてくれたというのはいい機会だと思い、両親とか住んでた場所とか、少し小傘の状態について深ぼってみようと、そう思ったのだが、「...でも...でも、そんなの、私の存在価値、ないじゃないですか。」「...どうしたんだ?小傘。」小傘は目に涙を浮かべて、訴えるように初めての表出を見せる。「だって、そうじゃなきゃ、私なんて生きてても仕方ないじゃないですか!誰かのはけ口にならなきゃ私が生きてていい理由なんてどこにも...ないじゃ、、、ないですか。」「小傘。」落ち着け、と僕は小傘を軽く抱き留める。一線...超えてしまったかな。だけど、それ以上に何か見過ごせないものがあったし、そうじゃなくても、親に捨てられ、帰る家を無くして、一日町をさまよって。ようやく多少安静に過ごせる場所に来てこうなる。少女なんだからこれが当たり前な反応で、今に至るまでの小傘があまりに強すぎたのだと僕は思う。「大丈夫、大丈夫だ。」「はあ、はぁ、だい、じょうぶ?」「大丈夫、小傘は生きてていいんだ。ここに居ていいんだ。」どうにか落ち着いてくれそうな言葉を探して小傘に届ける。「はぁ...」「ベットでもソファーでも、少し横になっておいた方がいい。」「ごめん、なさい。」震える声で小傘が言うので「大丈夫、謝る必要なんてないよ。それで普通なんだから。...ここに居るから、少し休んでくれ。」「はい。」小傘は言って、ソファーで体を横にして、丸くなる。そして数秒もしないうちに穏やかになった呼吸音が聞こえ始め、見てみると小傘はすでに眠っていた。「ふぅ...」僕はキッチンでコップにコーヒーを注ぎ、小傘の眠るソファーを背にして座る。「眠れてなかったんだろうな。」昨日も今日も、会社に行っていた癖で僕が起きたのは6時。リストラされた日に小傘がお風呂に入ったりなんなりしているのを考慮すると彼女が眠りにつくとしたら午前の2時とかになっていたはず。それなのに、ここ二日僕が目を覚まさしたときにはすでに朝食の良い香りが部屋にまで届いていた。「眠れなくて当然、かな。」僕が感じたのは喪失感、対して小傘が感じているのはきっと途方もない不安。人間だれしも明日どうなるか何の予測もつかない状況だったらおちおち眠ってなんていられない。本能が起きていろと命じるはず。「僕が安心材料になって眠ってくれたのかな。」僕が小傘にもらっている温かさを僕も返せているのならそれはとてもいいことだ。...こうしてみると、本当普通の少女が僕の家にいるという構図で、あまりに犯罪過ぎて今更ながらどうすればいいか戸惑ってしまう。「いくらあの時何をする気力もなかったと言えど、少し考えなしに行動しすぎたかな。」小傘の言う通り、親が子供を捨てていて何の関心もないという状態ならどうにかなるかもしれないけれど、僕が思うように仕事に打ち込んでいただけで小傘のことを愛していたとするなら絶対的に僕は逮捕される。...僕はおもむろにポケットからスマホを取り出してつつく。「...やっぱり警察や法的機関に相談するのが一番、か。」それが正しい選択だったとして、すぐに動けないでいる自分がいる。さっきの様子を見ていたら、何か大きなことを抱えてるのは目に見える。仕事ばかりになってしまうのは小傘を養うためだとか、何も知らずに小傘のことを愛していたと思うなんて思ったことを反省すべきなのではないかとそう思わせられる。それと同時に考えなしにそれを言葉にしなかったことは自分を少しだけ誇らしく思う。僕は、入れたばかりのコーヒーをすすり、小傘についてどうするか、もう少し先延ばしにしてもいいのではないかと。そんな楽観的な考えを頭に浮かべながら、小傘の眠るソファーの横で同じように眠りにつくのだった。




