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2話

久しく家の中には香らなかったそんな食欲のそそられる臭いで目が覚める。「...そういえば昨日は何も食べずに寝たっけ。」僕は眠気眼をこすりながら起き上がり自室の扉を開けて居間へと目をやる。「あ、おはようございます!」「...まだいたのか。」一人暮らしの家で僕が寝ているのにもかかわらず香ってくるにおいがあるならそれはなかなか異常なことで、記憶に新しく、昨日出会った少女がキッチンに立って何かをしている。「まだ雨が続いてて...いちゃまずかったですか?」「別に...いたきゃいてくれていいけど。ほんとに美人局ではなかったんだな。」「一応心配はしてたんですね。」「そりゃ、まあ。」「昨日あんな感じでしたから、もう死に急ぐ感じなのかとも思ってましたが、よかったです。そうではなさそうで。」少女は言いながら、椅子を引く。「さ、座ってください。おなか、すいてますでしょ?昨日何も口にせず寝たんですから。」「...何かしてるとは思ったが、僕の分も作ってくれたのか?」「当たり前じゃないですか。家主を差し置いて間借りの分際が自分だけなんて無礼極まりないですから。」「そっか...」僕は机に置かれ始める朝ご飯にしては少し量の多い食事のにおいに従って席に着く。「いただきます。」「はい、どうぞ召し上がってください。...かけたのが作る手間だけのやつが言うのもなんですがね。」手を合わせて、まだ湯気の立つ食事を少しずつ口に運ぶ。その温かみが、布団では満たせなかった内から体を温める役割をなしてくれる。「どうです?口に合いますか?」「おいしい。すごく温かくて、濃くない味。すごくおいしいよ。」「良かったです。」僕は黙々と手を進める。「...少しは、気分が落ち着きましたか?」「...昨日は疲れてただけで、別に」「昨日はって言うってことは、自分でもわかっているんでしょう?初めてあなたの顔を見たとき、涙こそ雨で流されていましたが、目頭が赤くなっていました。私でよければお話、聞きますよ。あなたが私に何も望まないのなら、私ができることはそれくらいなことなもので。」少女はじっと僕の目を見て言う。「...それでいうなら君の方だろう?行く当てがない。そう言って今ここに居るんだから。」「ま、そうなりますよね。私の事情が気になるなら別に話します。ですが、あなたのことも聞かせていただけたら、私はうれしいです。」まっすぐと刺さるその目に「必要がない...と言ったら?」「無理にとは言いません。大人の人が泣く、それだけでことの重さは理解できますから。ですが、私には話す義務があるでしょうから自分のことは話します。」言うと少女はぎこちないと言わざるを得ない笑顔を僕に向ける。「とりあえず、だ。僕は雨宮湊。」「そうですね。私は小傘です。多々良小傘。そういえばまだお礼を言っていませんでした、泊めていただいてありがとうございます。」「こっちも、久しぶりにまともな朝食をとったよ。ありがとう。」「お粗末様です。...それで、どっちから話しますか?」「その前に、小傘、お前何歳なんだ?」「年?私は16歳ですね。」「...僕が16の時、帰る家がないなんて、そんなこと考えもしなかった。だからきっと、小傘は僕の想像以上のものを抱えてると思う。心の準備のためにも、僕から話す。」「わかりました。聞かせてください。」「...といっても会社をリストラされただけなんだけどな。それ以上もそれ以下もない。」「それでもう行かなくてよくなった、なんですね。だけど、”だけ”なんて言わないで上げてくださいよ。だけだって思えなかったから、昨日傘もささずに私のことを追い出す気力もなく、果てにはお風呂にも入らずに眠ってしまった。私には少なからずそう見えました。」「...どうなんだろうな。自分でもよくはわかってない。けど、今こうしていて、会社に身を置いてない時間を過ごしているのを思うと、すごく違和感にかられる。」「...泣きついていくれてもかまわないですよ。誰もそれをとがめる人はいませんから。」「あったばかりの小傘対して泣きつくほどになってたらこうして食卓を囲むことはしてないよ。昨日、傘を差し出された時点で泣きついてる。」「ですね。」「...本題だ。小傘の話、聞かせてくれ。」「...私は、両親に捨てられた、そう思ってます。一昨日ですかね、家に帰ったら家が売地になっていて、そのまま途方もなく傘だけをもって歩いて。手持ちもそれほどなかったので、おとといの一日だけそれでしのいで、昨日ついに限界が近くなったので誰かに頼ろうと声をかけてみたんですが、女性には見向きもされず、男性には美人局だとそういわれて。そんな果てに出会ったのが湊さんだったわけです。」「そっか...」両親に捨てられるなんて、誰しもが経験するものでは決してない。それを経験してまだ数日たたないのに、何の気なしに彼女は笑顔を僕に向ける。僕はそんな小傘にどんな言葉をかけていいかわからない。そんな中、どうにか言葉を絞り出す。「...辛くないのか?」「つらい...のかもしれませんけど、それこそ私自身よくわからないです。両親にはそれほど好かれてもなかったでしょうし、だからこそ捨てられた。私にかまうことなんてつゆほどもなくって、仕事をしてきて家では私の作ったご飯を食べて眠るだけ。そんな愛情のかけらも感じられない生活では今も前も変わらないと思ってしまいます。むしろ、湊さんとこうして話す時間があるだけ、今の方がましなのかもしれませんね。」そんなことない。と僕は口に出しかけた。自らは仕事を失った身、だからこそ、仕事をしながら子供を育てるなんてことはとんでもない難業だっていうことはわかる。だから僕は仕事をして、小傘に生きられる環境を与えていた両親は少なからず小傘を愛していたと思う。...だけど、今の彼女にはそれは重過ぎるし、何も知らない僕が語るべきことでもない。僕は気まずい空気から逃れるため「...話してくれてありがとう。とりあえず僕は今日行かなきゃいけないところがあるから。」言って立ち上がり「だから、好きに過ごしておいてくれ。」「そうですか。...一つ頼みがあるのですが。」「なんだ?」「お金を、二千、いえ三千円ほどいただけませんか?」「...何に使うんだ?」「朝ご飯を作るとき、もちろんのこと冷蔵庫の食材を使わせていただいたんですが、あまり芳しくありませんでしたし、ごみ箱の中もカップラーメンとかインスタントとかのごみばかりでした。だから少し買い物をしたいです。」「帰りに僕が買ってくるよ。」「湊さんもリストラされてしまって昨日の今日です。どこに行くかはわかりませんが、言って帰るだけでも体に響きます。」「...それは小傘も同じじゃないか。」「私は...いいんです。帰ってこられる場所があるってだけで、傘ひとつ片手にどこにでも行けますから。だからせめて、分担しませんか。」「...わかった。」僕は言って、部屋からカバンを持ってきて、小傘に5千円札を渡す。「できるだけ、安く済ませられるよう努力します。」「いいよ。多少高くても、一軒で済ませて。何軒もはしごして、風邪をひくよりはずいぶんましだ。」「わかりました。」そうして僕らはしっかりと傘を持って家を出て、互いに逆の道をたどり、僕は失業保険の手続きをしに行くのであった。

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