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カオティック・ダイアリー  作者: 相良徹生
第七章 子供はいなくなる

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私は生き残った

三月 十五日


 私は生き残った。

 つまり、気付いたときには病室で千本のチューブにつながれていた。

 医者と看護士、技術者、カウンセラー、私は彼らの間をグルグルと連れまわされ、あっという間に良くなった。

 つまり、四ヶ月かけてどう見てもボロボロの肉塊に成り果てていた私の右腕はナノマシンと人工筋細胞なんとか、つまり私がまったく理解できない技術で元通りに治った。

 カウンセラーは私の記憶を戻すためにありとあらゆる方法を試したが、結局失われた十年の記憶は戻らなかった。

 グリンの使用した自白剤は私の記憶野に強烈なダメージを与え、十七歳から二十九歳まで記憶が想起できない状態らしい。

 私は大した驚きもなくそれを受け入れ、これ以上の治療の誘いをすべて断った。

 科学者たちは私の臨床データを取りたがったので私はできるだけ協力した。開発中の軍用の自白剤を倫理的制約なく使われた生き証人ってわけだ。

 私はありあまる時間でマシロとすごした時間をひとつひとつ思い出した。

 考える時間はたっぷりとあった。

 意識が戻るとすぐにマシロの容態を聞いたが、誰一人マシロの行方を教えてくれなかった。

 私は毎朝マシロの行方を尋ね、毎晩マシロの無事を祈ったが、そのうち彼女の事を周囲に漏らさなくなった。

 ある医者はマシロに興味を示し彼女と私の関係を聞きたがったが私はなにも喋らなかった。

 確信が私の胸に湧き上がり、日々大きくなり始めたからだ。

 そして三月十五日、私には一日の外出許可がおりた。そして、クロタエとの面会の許可も。

 彼女は生きていた。


 私は薄い灰色の服を着て部屋を出た。

 クロタエは違う病棟に入院しているようだった。

 第四リハビリ棟と書かれた真新しい病棟は病院というより研究所のようで、出入り口は厳重に封鎖されている。

 案内されたのは巨大な治療室を改造したような部屋だった。

 部屋の中央にあるベッドを取り囲むように大量の本と紙がばら撒かれている。

 クロタエはベッドに優雅に座り、手をひらひらと振っていた。

「よう、アイ」

 戸惑っている私にクロタエは三日ぶり、といった軽さで声をかけた。

「……その、お久しぶりです」

 看護士が出て行くと、とたんにクロタエの笑い声がはじけた。

「なんだその口調は? どこかの学生みたいだな!」

 私は歯を食いしばった。

 どうしてどいつもこいつも私の喋り方を笑うのだ。

 クロタエがニヤリと笑って、私を見上げた。

 腰の辺りまであった髪は、耳の下でばっさりと切られていた。肌は僅かに青白かったが、灰色の瞳は信じられないほどできらきらと光っている。

 記憶のなかの彼女より少しふっくらしていたが、それでも当時とうそ臭いほど変わっていなかった。

「驚いたな、背が高い」

 クロタエは嬉しそうに頷いた。

「調子はどうですか?」

「あぁ、人をからかって遊べるくらいには回復した。そろそろ医者に殺されるかも知れない」

 相変わらずか……私はなんと答えていいのか分からず眉を上げるだけに留めた。

「自分より若い科学者にあれこれ言われるのは気がめいるよ。しかし、十年たっても案外技術というのは進んでいないね。シュゼが――昨日のこのこ見舞いに来たんだ。不老処理の実験に参加しているって言ってたけど、わたしとあいつが十五年も前に共同開発したものじゃないか。まだ実験段階だなんてゾッとするね。未来がこんなクソだとは思わなかったよ」

「思ったより、クソではないですよ」

「そのようだな。お前を見て安心したよ。本題に入ろう。外出許可が出たってな。一つ頼みがある」

 私が答えるより早く、クロタエは紙切れを私に押し付けた。

「カシュオー・ルマーニ。ダミアーノ店?」

 私は手元の紙を覗き込んだ。

「わたしも外出の許可が出たんだが、外に出る服が無い。それで一式注文したんだが取りに行く服も無い。金は払ってある。行ってきてくれ」

 クロタエは私を一瞥した。

「駄賃になんでも買ってきていいぞ。お前が着ている布切れは今の流行りか? だとしたらわたしは流行遅れの芋臭いギークと呼ばれても気にしない」

「はあ――その、頼みってこれだけですか?」

「そうだ」

「他になにか買ってきましょうか? 欲しいものはありますか?」

「なにも無いね。過去十五年分の論文は取り寄せたし。クッキーも食べ放題だ。お前の休日だ。お前の好きなようにしろよ」

 私は捻りこまれた注文書を見下ろした。

 これだけ……十五年ぶりに会ってこれだけか?

 この人らしいじゃねぇか。これこそクロタエだ。

 私はため息を押し殺して、腰を上げた。

「お前にまた会えて嬉しいよ」

 クロタエがつぶやいた言葉に私の足は止まった。目の奥がちくちくし始めた。

「どうやら、パン職人にはならなかったようだけど」

 クロタエが眉を上げた。

「その様ですね……たぶん作るより食べるほうが性に合っていたんでしょう」

 私はかすれた声で返した。

「お前らしいよ。お前がパン職人になりたいと言ったときは耳を疑ったからな。わたしの記憶ではどう考えてもパン職人よりパン泥棒がお似合いだったから」

 クロタエはくすくすと笑った。

「クロタエ、どうして冬眠実験に参加したのですか?」

 クロタエは右眉を上げた。

「わたしの子供の頃のヒーローは、テレビの中にいる宇宙船の船長だったのだ」

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