ガタガタと震える体
ガタガタと震える体を無理やり隙間にねじ込む。
次の瞬間近くの壁のコンクリートがはじかれたように削れてた。
私は身をすくめて、右腕のふるえを抑えた。
くそっ、撃てなかったらしょうがない。
ちくしょう。私は死んでもいい、だがマシロと……クロタエも……。
遠くでグリンの笑い声が響いている。
「その体でか? その体でおれを撃ち殺すつもりか? ご立派なことだ。アイ・スノーマ。その体で……その体で……」
その後の言葉は聞き取れなかった。
不愉快な笑い声の合間にぶつぶつと喋りながら、こちらに近づいてくる。
私は壁ぞいにゆっくりと移動して暗闇を進んだ。
緊張のため硬直している右手から銃を取り出し、ぬるぬると滴っている血を拭う。
何度拭っても、血の滑りは取れなかった。
マシロの真っ白の顔が脳裏をかすめる。
くそっくそっ! 彼女を救わなくては……それにはグリンから逃げ切らなければならない。それにはグリンを殺すしか道は無い。
吐き気が強くなってきた。
私とクロタエを殺すことが至上の命題にしているなりふり構わない人間を私は殺せるのか?
だが、できるのは私だけだ。
両手が血にまみれた、一度も撃ったことがない銃を手にして、全身がたがたと震えている私だけが……。いくら私が楽観主義でも無理がある発想だった。そして私は楽観主義者ではなかった。
まぶたを閉じると自分とマシロとシュゼが血まみれで倒れている絵しか浮かばない。
私は眼を閉じたまま、最初に浮かんだ祈りの言葉らしきものを呟いた。
「出てこい、アイ。殺してやる」
ちくしょう、やるしかない。
なにもない。作戦や、助けや、時間は無い。ただ彼の前に立ちふさがり、殺される前に銃口をグリンに向け引き金を引く。それだけだ。
耳の奥で鼓動がごうごうと鳴り響いている。
口の中がからからになり、息苦しさに胸がつまった。
ちくしょう。撃たれてもいないのに、こんな状態になるなんて……。
彼の前に立ちふさがり、殺される前に銃口をグリンに向け引き金を引く。それだけだ。たったそれだけだ。
グリンが近づいてくる音が聞こえる。
爆音と共に頭近くのコンクリートがはじけた。
私は悲鳴を押し殺して身を精一杯縮めた。
しんとした暗闇の中、私の鼓動とグリンの押し殺した笑い声だけが響いている。
急に全ての音が無くなった。
くる。あいつが撃ってくる。
グリンの後姿を息を殺して追う。
私は飛び出してグリンに銃口を向けた。
グリンがすばやい動きで振り返り、顔に浮かんだ薄笑いがはっきりと見えた直後、私は精一杯の力を振り絞り引き金を引いた。
なにもかもが一瞬で起こった。
右手に激痛がほとばしり、真っ赤なものが目の前に飛び散る。
遠くで聞こえた悲鳴は私のものだということにはすぐに気づいた。
真っ黒なものが視界の隅を掠め、握り締めていたはずの銃がはじけとんだのが分かった。
グリンは目を見開き、ぐらぐらと揺れながら薄ら笑いを浮かべて私を見下ろしている。
私は思わず膝をつき、吐き気と痛みと戦った。
目の前のものが自分の右手と理解できなかった。
ひじの辺りがえぐれた様にもぎ取られ、妙な方向を向いて辛うじてぶら下がっている。
どくどくと音を立てるように血が地面に流れおちていた。
――私はしくじった。一番大切なときにしくじった。
『自分の腕が大切なら、この銃なんて使わないことね』遠くからマシロの声が聞こえた。
猛烈な痛みが体を貫き、血があふれ出すのを見て、体中の力が抜けていった。
死ぬ、ここで終わりだ……。
ちくしょう。マシロも……クロタエも……
どさり、となにかが崩れ落ちる音が聞こえた。
顔を上げるとグリンがのけぞっているのが見えた。
グリンが体全体を引きつらせ、血走った目で私をねめつけている。
「……なぜ……だ」
口から鮮烈な血を噴出しながら、男は咳き込みながら言った。
私は無理やり立ち上がり、激痛を無視してグリンへ駆け寄った。
右手の銃を思いっきり踏みつけると、グリンが呻きながら体をよじった。腹に真っ赤なシミが広がっていくのがわかる。
「撃てるわけが無い」
焦点の定まらない目に像悪を燃やしながら、グリンは呻いた。
「……訳――無い…………間違いだ……」
グリンはもう一度悪意に瞳を輝かせ私に目を向けた。
なにかから逃げるように体をよじり呻くようにつぶやく。
「お前は――の――腕……」
私は荒い息をつきながらグリンの銃から足をどけた。
彼はもう動かなかった。遠くから人の声が聞こえる。
「なぜ……」
私は自分の腕に目をやった。
銃が暴発して私の腕がふき飛ばされたのだろうか?
しかしグリンにも弾は当たっている。
私は何発撃ったのだろう。
思考は働かず、視界がゆっくりと白いもやで覆われはじめていた。
視界の隅で弱いランプの点滅が見える。
「こっちよ……」
何人かの足音と共に、黒づくめの人間が部屋に流れ込んできた。
おしまいだ……。
私はゆっくりと膝をついた。
息を吐いた瞬間に力が抜け地面に崩れ落ちる。コンクリートに面した頬から冷気が痛みが腕からしびれるようなだるさが全身を覆い、視界がゆっくりとかすんでいく。
「マシロを助けてくれっ! 女の子だ!」
私は声の限り叫んだ。
「シュゼもだ! 怪我をしているんだ! クロタエのカプセルは……」
最後はせき込んで声にならなかった。
私は悪態をついてうずくまった。
埃っぽい土と血の匂いが妙に懐かしく感じられる。
視界の隅に人の足とカプセルから発せられた微かなランプの光が見えた。
私は血の匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。
こんなことは前にもあった。子供の頃だ。だが今は子供の頃の惨めさはなかった。スラムの郊外で、誰にも気づかれず死を待っていた子供の頃よりは幾分ましだろう。
ちくしょう。
私は視界が完全にぼやける前に目を瞑り、数を数え始めた。
周りの騒音がふっつりと途切れ今ではなにも聞こえない。
ゆっくりと数を数えなければ、いやな事があったときは、ゆっくりと数を……一、二、三……。




