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カオティック・ダイアリー  作者: 相良徹生
第五章 私は知っている

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私はマシロと顔を見合わせた

 私はマシロと顔を見合わせた。

「これスイッチかな?」

「やたらめったら押しちゃだめよ」

「もう押しました」

 低い機械音が部屋中に響いた。

 マシロが眉を上げて私を睨む。まるで私が爆弾のスイッチを押したかのように。

「わたしの目の錯覚じゃなければ、あの壁は動いている」

 私は慌てて壁に向き直った。

 確かに動いている。棚がゆっくり押し上げられ、徐々に壁と同じ灰色のドアが現れるのを私達は凍りついたように眺めていた。

「えーと、入る?」と私。

「もちろん」

 マシロはにっこりと笑って断言するとドアの前で手を広げた。

「ジャム屋じゃなくて、カモフラージュだったりして。この入り口を隠すための!」

「だとしたら完璧に退屈で大成功です」

 私は扉は恐る恐る前に踏み出した。

 薄暗い廊下は私がやっと通れる細さで、こんな場所に閉じ込められたらただでさえまずい事になっている脳神経が絶望的な状況になりそうだ。

 十歩ほど歩くとドアにぶつかった。

 マシロが視界の隅で頷いた。

 そっとドアノブに触れると微かな電子音と共にロックが外れる手ごたえがあった。

 私はなにかに祈りながらゆっくりと扉を開けた。

 扉の奥には巨大な空間が広がっていた。マシロが感嘆の声を上げる。

「すごい! 見て! 見て!」

 私は言葉もなく部屋を見渡した。

 私の寝室がすっぽりと入りそうな広さだが天井は低い。壁はコンクリートで塗り固められ配線がむき出しだ。二面の壁が本棚になっており、残りの壁には巨大な地図とメモが乱雑に張ってあった。

 中央にある安っぽい合板の机は年代物で足に本を挟んであった。机も本棚も書類で埋もれて、薄暗いむき出しの電球がちらちらと書類の影を落としている。

 口笛を吹きまくるマシロを尻目に私は呆然としたまま机の前までたどり着いた。机の上に山となったメモは殴り書きすぎて判別不能だ。もしかした暗号なのかも知れない。

 私は頭を振った。突然の状況に頭が混乱している。

「秘密基地、ね。あなたの秘密が明らかになりそうよ」

「ですね……」

 壁に貼られた地図はいくつかの場所に赤いインクで印がつけられており、風景写真と航空写真がべたべたと貼られている。

「ラシュコー州の地図ね」マシロはしげしげと地図を見てつぶやいた。

「さすがです」

「右端に大きく書いてあるのよ。ロッソ先生。ここから車で十時間くらいの距離よ」

「ふむ、この赤い印はなにを示していると思いますか?」

 二人は無言で顔を見合わせた。

「お宝のありか」と私。

「金脈」

 マシロが返した。

「スパイの密談場所」

「死体を埋めた場所」

「君は最も相応しくない状況で最も相応しくない単語を口にする達人だな」

 怒ったふりをするとマシロはクスクスと笑った。

 ――秘密が明らかになりそう――マシロの言葉が胸に響いた。その通りだ。

 私はなにやら人に知られたくない事をやっていたようだ。

 この薄暗く埃っぽく肌寒い隠し部屋で。改めてゾッとする量の本と資料の山を見て、私はため息を押し殺した。

「警察に連絡するのは少し延期しようと思います。私の目的は自分の記憶の手がかりを探すことですが、今はこの部屋にある『私が密かに行っていたこと』に興味津々です。君はどう思いますか?」

「問題ないわ」

 マシロはあっさり言って床に積まれたファイルの山に腰を下ろした。

「記憶を取り戻してから秘密を知るか、秘密を知った後記憶を取り戻すかの違いよ」

 マシロが自信満々で続けた。

「それに、好奇心に負けて人の秘密を掘り起こすんだから、動機は健全かつ十分よ。なにも問題はないわ」

 その一言で私は非常に人間らしい行動を起した。つまり、分別を捨てて他人の個人的なコレクションを探り始めたのだ。


 私達は猛然と膨大な資料に挑んだ。が、一時間後にはもう途方に暮れていた。

 次から次にあふれ出す紙の山は大体がなんらかの論文となにかのリストで、なんとか読むこととができるが意味はさっぱりわからない。

 興味津々だったマシロも、今では床に詰まれた雑誌を椅子がわりに熱心に壁に貼られた地図を眺めているふりをしていた。

 二時間後――体感時間二十時間後――資料は大体が二通りにわけられる、と私は無理やり結論付けた。

 そうでもしなければ手のつけようがなかったのだ。

 つまり冬眠実験とその資料、そして貨物機の飛行履歴。

 少なくとも私にはそう思えた。私はまだ手をつけていない、はちきれそうな本棚を見上げて今日何回目かのため息をついた。

「ため息を一度つくごとに幸運が一つ逃げていくのよ」

 マシロがこっちも見ずにつぶやいた。

「君は面白い物は見つけましたか?」

 マシロは頭を振った。

「これからは秘密の日記を残さない人間は楽観主義の大馬鹿野郎だと思うことにしたわ。世の中の連中は自分が記憶喪失に陥るなんて微塵も考えていないのね」

「同感です」

 マシロが退屈そうに首をかしげた。

「なにを読んでるの?」

「人間の冬眠に関する新聞の切り抜き」

「冬眠?」

 マシロが引きつった笑みを浮かべて言った。

「死体を凍らせて後世の科学技術の発展に賭けようってあれ?」

「違いますよ」

 私はスクラップブックをパラパラと捲って目的の記事を探し出した。

「生きている人間の冬眠です。君の生まれる前から研究されていますよ。二年前に六十年間保存されていた男性が眠りから目覚めたようですね。最長記録だとかで当時かなり話題になったようです。ご存知ありませんか?」

 マシロが私の横から覗き込み熱心にそれを読むと盛大に顔を歪めた。

「『冷凍人間』って訳ね」

「たくさんいるようですよ」

 私は紙の山を引っかきまわし、緑色のリストを取り出した。

「過去五十年の実験記録です。ほら、こんなに」

 私は先ほど見つけた被験者リストをバサバサと振って見せた。

 分厚いもので、今までの実験結果がリスト化されているらしい。少なくとも二ページ目の概要を見る限りはそのはずだ。

 マシロはリストの表紙を一瞥してぎょっとしたように体を強張らせた後、まじまじと私を見つめた。

「これ……政府の書類じゃない」

「なんですって?」

「ほら、科学技術省人体冬眠技術倫理委員会って書いてある。政府への報告書よ」

 私はもう一度リストの表紙を見つめた。〈科学技術省人体冬眠技術倫理委員会委員会、実験終了リスト、機密取り扱い注意〉の文字がドットの荒い文字で書かれている。

「私は本当にスパイだったりして」

「銃も持ったことがなさそうな? 表紙にでかでかと書いてある文字にも気付かない?」

 私は顔を赤らめて咳払いをした。

「まぁ、君は私の願望が少々ロマンチックになりすぎている言いたいようですが、ジャム作りが趣味の翻訳家が極秘資料を持っている理由はそれしか思いつきませんね」

 マシロは最近お気に入りになっている動作をすばやく行った。つまり、尊大な様子で肩をすくめたのだ。

「それはもう調べた?」私は首を振ってページを捲ってみせた。

 三ページ目からは脳みそが理解を拒否した専門用語らしい言葉と共に、実験を行った研究所名と回復した時期と場所が書かれている。ほとんどが一年から五年ほどの短い期間の実験だったが、中には十年を越す長い期間の実験もある。

「こんなに物好きがいたから我が国は戦争に負けたのよ」

 数百ページにもなるリストを流し読みしながら、マシロはつぶやいた。

「ええ……」

 言いながら五十ページ目を捲った瞬間、二人は同時に息を飲んだ。

 今までのページとは明らかに違う物が目の前にあった。少なくともページの端に真っ赤なインクでつけられたチェックが輝いている。二人は凍りついたように赤いペンでアンダーラインが引かれた一文を読み込んだ。

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