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カオティック・ダイアリー  作者: 相良徹生
第四章 怒れる女たち

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私は本物の皮の匂いがする美しい椅子に座りこんだ

 私は本物の皮の匂いがする美しい椅子に座りこんだ。私に合わせて作られたようにぴったりと体に合う。

 いくつかの卓上タッチパネルに触れると、机上ライトが点灯した。私は眉をしかめてすぐさま明かりを消した。

 隣のパネルを軽く触れるとホログラム写真が浮かび上がった。黒い学生帽とケープを着た若い男が空色の瞳を輝かせにっこりと笑い、男と並んで写っている。

 すぐに気付いた。この若い男は私だ。

 隣の男はきっちりとした軍服を着て私の横で誇らしそうな笑みを浮かべていた。

「私の写真です」

 マシロが駆け寄って覗き込んだ。

「大学の卒業式かな……。隣の人に見覚えは?」

 私は改めて男を見つめた。

 この机に置いてあるという事は個人的に大切な人なのだろう。

 軍服、優しげな目元のしわ、短く切られた柔らかい茶色の髪。

 私はゆっくりと首を振った。

 パネルをいじるといくつかの写真が表示されたが、それは最近のものだった。

「私の子供の頃の写真が全くありませんね。あっても学生時代の物のようですし」

 マシロが驚いて私を見返した。またなにか妙な事を口走ったようだ。

「なんでしょう」

 私は肩をすくませた。

「私がなにか馬鹿な事を言ったら指摘してくれる約束を果たしてください」

「そんな約束して記憶はないけど……。あなた二十八歳だっけ?」

「ええ」

 正しくは二十九だが、正確さをきす気はなかった。

「災害で燃えたんでしょう。この年代の人なら、子供の頃の写真が残っていないなんてざらじゃないかな」

「災害? あのシェルターで過ごしたっていうアレですか?」

 マシロが眉をしかめ口ごもった。あの時のフィセと同じ反応だ。どうやって話せば良いのかわからないって顔だ。

「詳しく教えてください。ためらっている理由がわかりません」

「まぁ、ね」

 マシロがため息をついた。

「みんな知っているだろうけど、改めてなにが起こったか話せと言われるとどう説明していいのかわからないものね。私は学校で習っただけだし、当時の様子なんてほとんど知らないけどそれでいい?」私は頷いた。

「十五年前、当時戦争中だったんだけど、衛星が軌道を外れて落ちてきたから迎撃用ミサイルがいくつも発射されたのよ。それで世界中が大騒ぎ。核の冬きたる」

「なるほど」

「慌てて、各国停戦協定を結んだってわけ。人工衛星が――軍事衛星って話だけど――墜落して水源が汚染された地域の下流は今後何百年も住めないらしいわよ。といっても、被害状況は捜査中らしいけど」

 十五年も前に起こった事件なのに? 

「それで私はシェルターに避難していたんですね」

 マシロの右目がきらりと光った。

「アルク計画って知ってる?」

「お察しのように全く知りません」

「もし、もしもの話よ。大規模な核戦争が起こって人類が滅亡の危機に晒された場合、何人の科学者、技術者が生き残れば文明を維持できるか、って研究をした学者がいたの」

「なんとも胸くそ悪くなる話ですね」

「最後まで聞きなさいって。研究者のチームはその報告書を政府に提出したの。言っとくけど、当時は切実な問題だったんだから。人類が核戦争で滅亡するって」

「見てきたように言いますね」

 マシロはじろりと私を睨んだ。

「失礼しました、続けてください」

「政府はその報告書にそって、文明が破壊しうる非常事態に陥った場合に政府所有の核シェルターに優先的に保護する国内の技術者と軍人を極秘裏に選別したのよ。もしも国民の七十パーセントが死亡しても、技術、文化、文明の回復が容易になるようにね。そして悪夢はおきた。あなたもフィセと同じ適合者の一人だったようね。あなたは当時十歳くらいだから、正確にはあなたの近親者がね。アルク計画用の特別なシェルターには第二親等まで優先的に入る資格があったから」

「君はなぜそんなに詳しいのですか」

「なぜならわたしのパパも適合者だったから。言ったでしょ、パパは軍人だって。だから十五年以上前の物って意外と残っていないのよ。政府のデータセンターはどこも爆撃されたし。わたしの家もダムの決壊で流されちゃったしね」

 私はぼんやりとマシロを見つめた。

 まったく実感がわかない。核の冬だって? まさか。

 マシロが私の肩にもたれかかり、私は我に返った。

「不思議ね……そんなひどい記憶もなくしちゃうなんて」

 マシロは遠くを見つめたままぽつりとつぶやいた。

 私は密かにマシロの横顔を盗み見た。

 左目の中の斑点が数えられるほど近くにいる。虹彩は若草色に金を散らしたような斑点が薄くあり、緑色を際だたせている。そして瞳孔の中央には……なんだ? 微かに直線的な線とまるでレンズのような物が……。

 私はようやく気付いた。

「君の……君の、左目は機械か?」

 マシロがパッと身を引いた。瞳は怒りに燃えている。

「ごめん」

「謝る事ではないわ。本当の事だから」

 マシロは口を歪めてつぶやいた。

 ああ、クソ。

「本当に申し訳ない。もう少し――」

「気にしないで。その……とっくに気付いていると思ったんだけど。両目の色が違うなんてそうないから。私の左目は義眼なの。去年大怪我をした時入れたのよ」

 私はなにも言えずに頷いた。

 体中にある傷もその時の物だろうか。

 だが、どうして彼女は緑色の瞳を入れたのだろう。彼女自身が気にしているように右目に合わせて黒い瞳にするべきだ。

「どうして、黒い瞳にしなかったのかって思っているんでしょう?」

 むくむくとわき上がる好奇心に、もうこれ以上踏み込むなと分別が叫んでいる。

「言いたくなかったら……」

 マシロはさえぎるように言った。

「物質不足だったのよ。わたしが怪我をした時にちょうど大きな事故があってね。搬送された病院にもたくさん怪我人が担ぎ込まれたの。子供用の義眼ストックは青か緑の物しかなかったって訳。手術するのが早ければ早いだけ視神経との結合が上手くいくから、わたしの両親はどちらかの瞳を入れるしかなかった。見えるだけましだもんね。この話はもう終わりにしましょう」

 私はゆっくり頷いた。しかし納得してはいなかった。

 物質不足? いつの時代だ?

 確実なのは私は大馬鹿者だということだ。

 デリカシーと配慮と常識に欠けたクソ野郎だ。私は自分自身をあらゆる言葉で罵った。そして自分がこんなにも罵倒語の語彙が豊富なのに驚いた。


 十分後、私とマシロはキッチンから裏口に向かう廊下で真っ白のチョークで囲った円を見つけた。壁の所々に白い粉がまぶされている。

「これは警察が捜査に使う……えーと」

「指紋を取る粉。昔ドラマで見たわ」

「では、私は自分の家から誘拐されたのかな。私が行方不明になっているのは警察も確認済みだし、それがなんらかの事件性があるってことも認識済みってことですね。まぁ私が白いチョークで壁に丸をつける趣味がなければの話ですが」

 私は引きつった笑い声を上げた。

「あなた、わたしが皮肉っぽいってよく言えるわね。しゃっきりしなさい。アルベロ・ロッソ! 大金持ちだったんだからゾンビみたいな顔しないで」

「大金持ちでも記憶がないゾンビです」

「世界で一番お買い得な独身ゾンビとも言えるわ。で、どうする? 二階も見る?」

 一階は空虚だった。なにもなかった。あの心の底から微笑んでいる私と男の写真のほかに、なにか私にとって意味のあるものがあるとは思えない。

 思い出がごっそりと抜け落ちたような家だ。豪華な家具が居心地がよく整えられているが、あるのは何千冊の本と空になった机だけ。

 巨大な空間を埋めるべき家族の思い出や、子供の声、仕事の痕跡が全く感じられない。

 両親は? 家族は? 友人は?

 キッチンにあった一客だけの椅子を思い出し、私はがっかりとした。

 孤独すぎる。

「二階も見ましょう。家捜しが目的ですからね」

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