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カオティック・ダイアリー  作者: 相良徹生
第三章 赤毛はお人好し

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20/47

外はひどい雨だった

 外はひどい雨だった。風が轟々と吹き荒れ、横殴りの雨が毎秒ジャケットを重くする。ホテルから二ブロック離れると遠くからサイレンの音が聞こえた。

 聞き耳を立てながら身を強張らせるとマシロの小さな手が私の手を握った。

 私は黙って手を握り返すと、横を歩く少女をそっと観察した。顔が青白いのは寒さのせいだろうか。

 寝ていたところをたたき起こされたにも関わらず彼女はコートを羽織ってブーツをはいていた。私のようにアドレナリン切れの顔をしていない。

 私はどっと疲れに襲われて、膝から崩れ落ちる前になんとか口を開いた。

「まずい事になる前に君は家に帰った方がいいですよ」

 くそっ手をしっかりと握っといてよく言うぜ。

「もうまずい事になっているわ。ちょっと休む場所を決めましょう。警察に行くにしても行かないにしても、一休みする場所が必要だと思わない?」

 がんがんと痛むこめかみを揉みながらなんとか答えようとしたが全く頭が回らない。おまけになにかしゃべったらとたんに叫び出しそうだ。

「ついでになにが起こったか説明はしてくれるわよね? 少なくとも助けになるかもしれない」

 自分より十五歳も年下の女の子が助けになる? そう言うには私は疲れきっていた。


 私とマシロは街の中心からだいぶ離れたホテルになんとか滑り込んだ。

 びしょ濡れの私を胡散臭そうに見つめるフロント係に無理やり作った笑顔でチップを押し付けている間、マシロは懸命にも私の後ろに身を隠していた。

 私は湿っぽい部屋に入ると同時に鞄をベッドに投げ出して、今にも頭を抱えながらなにかを叫んでしまいそうになるのをこらえた。

 しばしばとする目に力を入れると膝の力が抜け床に座り込んでしまった。

「なにがあったの?」

 古臭いのソファーに座ったマシロがつぶやくように言った。

「君の見た通りです」

「わたしが見たのは、暗い部屋であなたと男が殴り合っている場面だけよ。あなたはわたしに――おっと、わたしの出身校の悪口は聞きたくないわ」

「違いますよ。君の学校の悪口ではなくて、君に対する悪口です。君は屁理屈屋の聞きたがりだ」

 マシロがニヤリと笑うと傲慢な仕草で手を上げた。

「では、始めて」

 私はベッドの足にもたれて、痛む耳を手で揉んだ。

 ぬるりとした液体が手につく。脳みそのかけらかもしれない。

 ちくしょう。私は目を閉じて十秒数えてから、ゆっくりと話し始めた。

 話が終わると息を詰めていたマシロが口を開いた。

「なんで真夜中に部屋を出たの?」

「私がチェックインした時の防犯ビデオを見せてもらおうとしたんです。誰が部屋代を払ったのか気になって」

 私は猛烈な胡散臭さに鼻白んだ。

 真夜中に寝付けなかったので防犯ビデオを見せてもらおうとフロントの奥の部屋に入り込んだ?

 まだフロント係を殺そうとして下に降りた、と言った方が自然だ。

「君がどう思おうと、誓って真実です」

「信じるわよ。あなたがフロントを殺してどうなるってのよ。でも、正直言って警察に行くのはお勧めできないわね」

 思わず下を向くと、ズボンのすそにこびり付いた血のシミに気が付いた。

 悪態を押し殺し、袖で拭う。

「――それで……警察に連絡をしようと部屋に戻ってくると、男が私の部屋に入るところを見ました」

「そして、正義の味方の如く登場したあなたは殺人犯に向かっていったって訳ね」

「君がいたからね」マシロがハッとして口を開く前に私は続けた。

「電話はどこですか?」

「あなたの目の前に」

 マシロはうやうやしくベッドサイドの電話に手を向ける。

「警察?」

「違います」

 私はジャケットをまさぐって、フィセの名刺を取り出した。

 オフィスの番号のほかに美しい文字で彼女の自宅の番号が書かれている。

「この時間に?」

 マシロがベッドサイドの時計に目をやって顔をしかめた。

「朝です。そろそろ起きてもいい頃でしょう」

「四時ってまだ夜よ」

 マシロの言葉を無視して私はフィセの番号を押した。十回目の呼び出し音で彼女は降参したかのように電話にでた。

「……はい」

「フィセ、私です。ロッソです。朝早く申し訳ありません」

「……ああ。アルね……あなた――」

「私の住所を見つけてくれましたか?」

 フィセの呻きを無視し私は一気に用件を言った。受話器の向こうで彼女がなにかをつぶやいているのが聞こえる。

 くぐもった声でよく聞き取れなかった事に私は感謝した。

 好意を持っている女性の悪態を聞くのは気持ちいいものではない。しかもそれが自分に向けられている場合には。

「明日……いえ、今日の十時にオフィスに来てもらえる。話したいことがあるの」

「わかりました。でも住所は今教えてください。見つけてくれたんでしょう?」

 嘘をついた後ろめたさを押し殺して私は声を絞り出した。

「お願いです。フィセ」

 受話器の奥でチャイムがなり、フィセのつぶやきが聞こえた。

 くそっ、こんな夜中に彼女の家に来る奴は誰だ! 

「お願いです」

 フィセは降参したようにため息をついた。

 もう一度チャイムの音。

 彼女は明らかに急いでいる様子で早口に言った。

「バックランクメイトのW四」

 私はすばやくメモし、ぼそぼそと礼らしきものをつぶやくと信じられない速さで電話を切った。

「住所を手に入れました」

「おめでとう。あなたとフィセが別れた理由がわかるわ。どこまでY染色体が傲慢になれるか、垣間見れたわね」

 マシロが非難の視線を向けて言った。

「で、どうするの? 彼女に謝る台詞の練習をでもする?」

 私は目を閉じてから、ゆっくりと息を吸った。

 これからの対決に備えるために。

「私は自分の家に向かいます。マシロ、ここでお別れです」

 マシロは鼻をならして顎をつんと上げた。

 馬鹿言うんじゃないと全身で言っている。

「冗談は止めて、アルベロ・ロッソ」

「ここまでです。家出はもう十分に堪能したでしょう。今までありがとうございました」

 私はぴしゃりと言った。

「今回の件でわかったでしょう。私はどうもろくでもない事態に巻き込まれているようだし。見ず知らずの君をこれ以上巻き込む訳にはいきません」

「ろくでもない事態ですって? なかなか気障ったらしいの台詞じゃない」

「議論の余地はありません」

 マシロの顔に薄っすらとした笑みが広がる。私は嫌な予感に身構えた。

「一つ忠告しておくけど、わたしをここに置いていくとまた一つろくでもない事態ってヤツを背負い込むことになるわよ。もしかしたらお忘れかもしれないけれど、わたし達は一週間も一緒に暮らしたのよ」

「それがどうかしましたか」

「わたしは両親にそれを報告しなければいけないの」

 体の中にじんわりと冷たい物が広がる。

 私は呻くように声を上げた。

「私は君の髪の毛一本にすら触れてはいません。少なくともあのホテルではね」

 マシロは残念そうに首を振った。

「誰もそんな事を信じない」

「私が君を絞め殺さないのが奇跡だな。これが君の恩返しのやり方ですか?」

「わたしはもう選んだわ。次に選ぶのはあなたよ」

 マシロはゆっくりと言うと、ソファーに身を沈めた。

 黒い瞳をきらめかせて、私の答えを待っている。

 彼女は私の答え完璧に予想しているのだろう。

 私は拳を握り締め、罰当たりな言葉をつぶやくのを堪えた。

 ここまで神経を逆撫でされたのは初めてだ。冷たくなった全身に血が巡り始めるが、上手い返答が全く出てこない。

 私は自分の脳みそを罵り、マシロを冷たく見返した。

 そして、自分が彼女を好きになり始めている事に猛烈に腹を立てた。私はゆっくりと息を吐き十秒数えると、かすれた声でのろのろと言った。

 私は愚か者だ。これではっきりした。

「わかりました。好きにしてくれ。私が君の父親に殺される時は止める素振りくらいしてくれるんでしょうね。今みたいにチェシャ猫みたく笑っているんじゃなくて、ちくしょう」

 マシロは身を起してウインクした。

「言い忘れてたけど、わたしのパパは軍人なの」

「私は君のその言葉に歯を食いしばって『そりゃどうも』なんて言わなきゃいけないのですか?」

 マシロが眉を上げる。

「いえ、聞きたくありません。これ以上死体が増えないうちに口を閉じてください」

 少女はにっこりと笑った。

 昨日までは天使のように無邪気な笑みと思っていたが、今では完璧に悪魔的な笑みだった。

 次の瞬間マシロが駆け寄ってくるなり私に抱きついた。柔らかい彼女の頬と固い傷跡が耳をかすめる。

「言っとくけど、これがわたしをお払い箱にする理由にはならないわよ。それに……助けてくれてありがとう。あなたは逃げられたはずなのに、わたしのために戻って来てくれた。わたし、あなたの事が好きになっているのよ」

 マシロは言うが早いか私の頬にキスをした。そして心底動揺している私を見てニヤリと笑い、洗面所に駆けこんだ。

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