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カオティック・ダイアリー  作者: 相良徹生
第三章 赤毛はお人好し

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相変わらずの日だった

十一月 十六日



 相変わらずの日だった。

 私の記憶は当然のようにさっぱり戻らず、なにも手につかないままフィセからの連絡をうずうずと待っている。

 彼女と別れた二日前からこのパラノイアは続いていた。

 部屋の中を何十往復かした後、マシロがついに声を荒げた。

 彼女は私の名前を知ってから、女特有のカンでどうすれば私に物事を言い聞かせられるか十分に理解したようだ。

「雄牛のようにうろうろするのは止めてアルベロ・ロッソ! 靴底を減らすなら、外でやってよ!」


 ユラリウム広場はこの街で数少ない自然のある空間だ。

 中央に噴水があり、それを取り囲むようにベンチが置かれている。

 つまり、生意気な女から逃げて一人で塞ぎこむにはうってつけの場所だった。

 私は売店で熱い紅茶と新聞を買いベンチに座りながら熱心に読みふけった。気晴らしにはもってこいの作業だ。

 一時間後、私は一週間分の大陸の気圧配置に関する最新情報を手に入れた。予報によれば今夜から明後日にかけて大嵐だ。

 私は空を見上げ今日何回目かのフィセに連絡するという欲求を飲み込んだ。

 彼女からの連絡はもうすぐのはずだ。

 私と彼女の間に過去なにがあったのか知らないが『さっさと失せろ』と言われなかったということは、フィセは私に対して悪意は持っていない。

 フィセが心配そうに私を覗き込む顔を思い出して体の中に暖かいものが広がった。

 彼女の地毛は何色なのだろう。マシロはブルネットと言っていたが、いまいち想像がつかない。あんなにブロンドが似合っているのだから。

「よう、ロッソ」

 ざわめきからの一言で私は一瞬で我に返った。男の声だ。

「ロッソ」

 話しかけてきた人物はすぐにわかった。

 広場にいるすべての人間が目的の場所に向かって早足で歩いている中、彼だけは立ち止まり私を見つめていたからだ。

 黒髪の男が立っていた。

 こざっぱりとした服を着ていて、大学で歴史でも教えているのがお似合いといった風貌だった。

 私と同じような年頃だが奇妙な雰囲気を纏っているのは、左目の下にある目立つ傷のせいだろうか。

 当然のことながら、私はその男に関する一切の記憶がなかった。しかし相手はそうでもないようで、感じのよい微笑を浮かべながら私の反応を――礼儀正しい挨拶を――辛抱強く待っている。

 私は目を閉じてこの男の記憶を探った。これっぽっちも閃かない。

 私はなにか馬鹿な事を口走る前になんとか立ち上がった。

「久しぶりだな。十五年ぶりだ」

 男は頷きながら言った。十五年? 

「どちら様でしょう」

「俺だよ」

 男が面白がるようにポツリと言った。

「誰です?」

「俺だ」

 私は混乱したまま男をじっと見つめた。

 彼は真っ黒の瞳を輝かせて私の返事を待っている。

「やれやれ、シュゼ叔父さんを忘れちまうなんて」

「シュゼ?」

 私は馬鹿みたいに繰り返した。

「背が伸びたな」

 シュゼは目を細めた後に満足そうに頷いた。私はその様子に落ち着かない気分になった。

 自分は相手の事をさっぱり知らないのに、相手は自分の事をよく知っているという状況は非常に居心地が悪い。

 しばらく沈黙が続いた後、彼は怪訝な表情で私を見上げた。

「おい、まさか本当に俺を忘れたんじゃないだろうな」

 シュゼは面食らったように仰け反ると口を歪ませた。

 この場合、どうやって相手に不愉快な思いをさせず自分が記憶喪失だと伝えたらいいのだろう。マシロやフィセの時はどうやったっけ?

 今はあの時より自尊心が発達しているのが残念だ。

「どうなんだ」

 シュゼが静かに繰り返した。

 脳みそは猛烈な勢いで回転して、男に伝えるべき言葉を紡ぎだそうとしていたが唇はぴくりとも動かない。

「――――の……その……や……おい、耳をどうした」

 シュゼの声が妙に遠くから響いた。

「なんですって?」

「左耳だよ」

 私はなんとか手を動かしてぎくしゃくと左耳に触った。ただの耳だ。

「左耳が聞こえないんじゃないのか?」

「はい?」

「左耳は人工内耳だろう。ちゃんと定期メンテに行っているのか?」

「定期メンテ?」

「お前……」

 シュゼの黒い瞳が探るように私を覗き込む。

「――記憶がないのか?」

 私は無言で頷き――次の瞬間凍りついた。シュゼの後ろから見慣れた少女がこちらに向かって走ってくる。

「マシロ……」

 マシロが私に気付き手を振った。そしてシュゼに気付くとハッとしたように目を見開いた。

 私は静かに首を振り少女がなにも言わずに部屋に帰ってくれるだけの分別を持っている事を信じた。

 もちろん、彼女はそんなものを持ってはいなかった。窺がうようにこちらに向かってくる。

「マシロ、部屋に戻ってください」

 私はたまらずに声を上げた。

 シュゼがギョッとして振り返る。そしてマシロに気付いたのか答えを求めるように私に向かって肩をすくめた。

 私は天を仰ぎ神に祈ってみた。

 もちろん効果なし。

「なんでもありません」

 私は大した問題ではないかのようにさりげなく手を振ってみせた。

 私の陥った状況を説明するだけでも大変なのに、マシロの面倒までは見れない。

 マシロは口に手をあてて、黙っていろと身振りで示した。

「もう遅い」

 私は悪態を飲み込んで呻いた。

「マシロ。部屋に戻りなさい」

 マシロはムッとして睨んでいる。まるでそうする事で自分の意見が通るように。

「帰るんだ」

 きっぱりと言うと彼女は体を強張らせてから駆け出した。

 私はホッとしてシュゼに向き直った。

 シュゼは私とマシロのやり取りを興味深そうに見ていたようだ。

 ちくしょう。誰だかわからないが少女の友達がいると知られるとまずい。

 シュゼは考え込むようにうつむくと探るように言った。

「俺にマシロを紹介してくれないかな」

「あなたには関係ありません」

「なるほどね」

 シュゼは興味津々の様子だったが、すぐにため息をついて肩をすくめた。

「俺の質問に答えていないね、記憶がないのか?」

 私はゆっくり頷きながらぼんやりとシュゼを眺めた。

 この男の事は全く覚えがないが、少しだけ懐かしい感じがする。

「いつからそうなったか覚えているか?」

 あぁ……そうか、このしゃべり方だ。

 口調がフィセにそっくりだ。堅苦しく、はっきりした発音なのに少し訛っていて、言いたい事をずばりと言う。

「――……ロッソ……おい……――」

 シュゼの声がはっきりと聞こえ私を現実に引き戻した。

「失礼。なんです?」

「記憶だよ。記憶はいつからなくなった?」

「一週間ほど前です」

 私はなんとかつぶやいた。

「スタンモア研究所に行っただろ。なにをしに行った?」

 私は凍りつきシュゼをじろじろと見つめた。なぜこの男はそれを知っている? 

「言えません」

 私はもごもごとつぶやいた。

「知り合いがいたのか?」

 ずっと尾行されていた? まさか。

「女か?」

「違います」

 ああくそっ、答えが早すぎる。なんでこう嘘が下手なのだ。

「そうか」

 シュゼは全く納得していない様子で肩をすくめた。

 見かけは優男なのに癪に障る男だ。

「それで? そんな質問をしに十五年ぶりに私の前に姿を現したのですか?」

「違うよ。記憶喪失ってのは予想外だけど。これを返しにきたんだ。十五年借りっぱなしだったからな。役に立ったよ。ありがとう」

 シュゼはびっくりするほどの笑顔で言うと、私の手にずっしりと重い新聞紙の塊をねじ込んだ。私は呆然と手の中を見下ろした。

 体の中で投げ捨てたいと欲求と新聞紙を今すぐ破りたい猛烈な好奇心が荒れ狂っている。

「じゃあな、マシロとお前の彼女によろしく」

 顔を上げるとシュゼは消えていた。

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