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重姫駆動  作者: 樹下繪本
PR
2/6

002

「あの状況で全員生還できただけでも、君たちは十分によくやった。」


キャンプ臨時指揮所。


ソフィアとベローナは上層部へ任務報告を行っており、

相手はそう言って二人をねぎらった。


ソフィアは手元の資料を見ながら言う。


「現在の収穫は、地球から来た人類が一名のみです。」


「彼が未知宇宙船と直接関係しているかどうかは、現時点では確認できていません。」


彼女は別の資料を表示した。


「それ以外では、当時収集した未知宇宙船外部の観測データのみです。」


「時間が限られていたこと、

さらに現場の状況も不安定だったため、

内部調査までは行えませんでした。」


「収穫としては限定的と言わざるを得ません。」


それを聞いた相手は微笑んだ。


「ふふ、私はそうは思わない。」


報告資料へ目を向ける。


「相手は宝箱を持ち去ったが、

宝物そのものは我々の元へ残していった。」


ソフィアとベローナは少し驚いた。


「まったく新しい文明から来た知的生命体。

しかも現時点で唯一の個体だ。」


「その価値は、

我々には理解すらできない未知宇宙船一隻より、

はるかに大きい。」


彼は少し間を置いた。


「それに――」


「その人類は、我々の仲間を救ってくれた。」


相手は当時の映像を表示する。


「記録は見た。

実に興味深い。」


彼はソフィアへ視線を向けた。


「ソフィア。

あの人類が身につけている翻訳機は、

本当にただの一般的な翻訳機なのか?」


ソフィアは頷いた。


「確認済みです。

あれは間違いなく標準型翻訳機です。」


「翻訳機能と嘘発見機能以外に、

特別な能力はありません。」


「私も翻訳機とセフィの接続システムに異常同期が起きた可能性を疑いました。」


「ですが、すべての記録は正常でした。

むしろ非常にクリーンでした。」


彼女は少し間を置く。


「したがって、

現時点で唯一確認できることは――」


「あの操作は、

すべて彼自身の能力によって行われたということです。」


部屋は数秒間、静寂に包まれた。


相手は軽く机を指で叩き、

それからベローナへ視線を向ける。


「では、ベローナ。」


「映像のセフィと、

今のセフィでは何が違うと思う?」


ベローナはしばらく考えてから答えた。


「セフィは新人ですが、

能力そのものは以前から高く評価されています。」


「問題は、自信のなさと、

実行力や経験不足にあります。」


「ですが映像の彼女は、

強くなったわけではありません。」


「むしろ、

常に最高の状態を維持していました。」


「まるで自分自身の限界を完全に把握し、

一切迷うことなく百パーセント発揮しているようでした。」


相手は笑った。


「それは面白いな。」


「厄介な未知宇宙船よりも――」


「私はむしろ、

こういう未知の善意ある謎の人物の方が好きだ。」


ソフィアは気になっていたことを尋ねた。


「失礼ですが、

未知宇宙船の現在の状況はいかがでしょうか?」


今度は、

相手の笑みが少しだけ薄くなった。


「無礼な客には、

それ相応の返礼をしなければならない。」


その口調は相変わらず穏やかだった。


まるで今日の天気でも語るかのように。


「未知宇宙船を運搬していた母艦を除き、

侵入してきた敵はすべて殲滅した。」


部屋は静まり返った。


ソフィアとベローナは顔を見合わせる。


同時に額へ冷や汗が浮かんだ。


どうやら。


あのお方は相変わらず、

一切容赦するつもりはないらしい。


しかし次の瞬間。


相手はいつもの穏やかな笑顔へ戻っていた。


先ほど平然と

「すべて殲滅した」

と言った人物とは思えないほどだった。


「では。」


「今回の調査任務はこれで終了だ。」


「迎えの船を向かわせる。」


「君たちは直ちに帰還しなさい。」


ソフィアとベローナは同時に頷いた。


「了解しました。」


相手は笑顔で軽く手を振った。


「おやおや、

まだ気を抜くには早いよ。」


「家へ帰るまでは、

任務は終わっていないからね。」


二人は苦笑する。


この言葉は、

もう何度聞いたかわからない。


相手は何かを思い出したように付け加えた。


「ああ、そうだ。」


「あの人類も一緒に連れて帰ってきてくれ。」


「しばらくの間、

君たちが彼の護衛を担当すること。」


「くれぐれも宝物をなくさないように。」


ソフィアは頷いた。


「承知しました。」


相手は満足そうに頷く。


「よろしい。」


「それでは頼んだよ。」


満面の笑みを浮かべ、


「じゃあね。」


通信はそこで途切れた。


部屋はしばし静寂に包まれる。


ベローナはようやく大きく息をついた。


「女王陛下が自ら動かれたのね。」


ソフィアも頷く。


「今回は状況が特殊でしたから。」


「未知宇宙船はともかく、

アーカディア防衛線が連続して突破された時点で、

十分に重大事件です。」


ベローナは苦笑した。


「しかもクロノスの宇宙戦艦までいたものね。」


「ええ。」


ソフィアも苦笑する。


「女王陛下自ら出撃されたということは――」


「本気で怒っていたということです。」


部屋は一瞬静まり返る。


ベローナはふと思い出したように尋ねた。


「その戦艦たちは、

今どうなっているの?」


ソフィアは少し考えてから、

落ち着いた口調で答えた。


「たぶん、

もうリサイクル資源になっているでしょう。」


「運が良ければ、

今ごろ分別作業中かもしれません。」


ベローナは沈黙した。


ソフィアも沈黙した。


二人は同時に、

この話題はこれ以上続けないことに決めた。


――ここは隔離室。


また閉じ込められた。


キャンプ内の隔離室。


そう。

前と同じ、

生活機能がやたら充実したあの隔離室だ。


でも今回は一人じゃない。


ふふ。


お隣さんがいる。


セフィも隔離室に入れられていた。


ただ、

彼女の方は少し窮屈そうだ。


膝を抱えて座ることしかできない。


理由は簡単。


今回の遠征で持ってきた隔離室は、

このサイズしかなかったからだ。


ふふ。


どうしてセフィまで隔離されているのか?


どうやら、

何とも説明しづらい副作用が出たらしい。


聞いてみた。


でも、

みんな答えられなかった。


何なのか?


わからない。


だから安全のため、

ひとまず隔離。


実際、

俺とセフィは至近距離で接触している。


幸いなことに。


彼女は俺みたいに何日も閉じ込められるわけじゃない。


半日だけだ。


でも、

それだけでも十分ざまあみろと思える。


ふふ。


セフィは犯人を見るような目で俺を見ている。


そんな目で見ないでくれ。


妙に達成感があるから。


セフィはじっと俺を睨んだ。


「なんだか嬉しそうだね?」


俺は即答した。


「そんなことないよ。」


「めちゃくちゃ嬉しい。」


「せっかく獄友ができたんだから。」


ソフィアとベローナが、

俺たちがいるキャンプへやって来た。


ベローナは、

翻訳機を外しては付け、

付けては外している俺を見て、

少し驚いた顔をする。


「セフィ。」


「ヘルはどうして翻訳機を外しているの?」


「何をしてるの?」


セフィは答えた。


「ヘルは私たちの言葉を覚えたいんだって。」


「だから翻訳機を何度も付けたり外したりしてる。」


「それでスマホにメモを取ってる。」


「スマホ?」


ベローナは少し首を傾げた。


セフィは俺を指差す。


「あれ。

手に持ってるやつ。」


それを聞いたベローナは少し驚いた。


これまで外交の場では、

翻訳機を手に入れたら、

みんなそのまま使うだけだった。


わざわざ外して、

ついでに新しい言語まで覚えようとする人なんていない。


俺が初めてらしい。


俺は翻訳機を持ち上げながら言った。


「少し記憶を思い出したんだ。」


「昔、

仕事の関係でいろんな言葉を勉強してたみたいでさ。」


「現地の言葉を覚えるなら、

この翻訳機は最高の教材だよ。」


「少なくとも昔よりずっと楽だ。」


そこまで言って、

少し間を置く。


そして付け加えた。


「それに正直言うと――」


「これ、

あまり信用してないんだ。」


ベローナの眉がぴくりと動いた。


俺は続ける。


「もしもの時にさ。」


「これを頼りきりだと、

足元をすくわれても困るし。」


「はは。」


ベローナは乾いた笑いを浮かべた。


額にはうっすら冷や汗まで浮かんでいる。


なんとなくだけど。


今この人の頭の中では、


『こいつ、

まさか翻訳機が嘘発見器だって気づいてるんじゃ……』


『いや、

そんなはずはない。』


『たぶん……

違うよね?』


みたいな劇場が上演されている気がする。


よく考えれば当然だ。


もし俺がベローナだったら、

護衛対象が翻訳機を外して歩き回るなんて嫌だろう。


しかも、

これには嘘発見機能まで付いている。


とはいえ、

俺の理由も筋は通っている。


だから彼女も強くは言えず、

最後はソフィアへ助けを求めるように視線を向けた。


結果。


様子がおかしい。


ソフィアが反応しない。


その場に立ち尽くしたまま、

まったく動かない。


まるでぼーっとしているようだった。


そして。


ゆっくりと、

こちらへ歩いてくる。


一歩。


二歩。


三歩。


どんどん近づいてくる。


最初は俺を見ているのかと思った。


でも、

視線はもう少し下だった。


俺は視線を落とす。


ああ。


スマホを見ていたのか。


ソフィアはさらに近づいてくる。


そして。


ぴたりと張りついた。


いや。


もう「近づいた」なんてレベルじゃない。


張りついた。


隔離室の透明な壁に、

全身でべったりと張りついた。


顔は押しつぶされて変形し。


胸も押しつぶされて変形し。


しかもよだれまでついている。


さっきまでの物静かな研究員のイメージは。


その場で即死した。


ベローナは半歩後ろへ下がる。


まるで汚いものでも見たような顔だった。


ソフィアは俺の手にあるスマホを凝視しながら、

息を荒くして言った。


「ヘルさん……」


「いえ……」


「ヘル様……」


「そのお持ちの装置は……」


「一体何なのでしょうか……?」


ベローナは額を押さえ、

小さくつぶやく。


「また始まった……」


危うく心臓が止まるところだった。


「うわっ!?」


「どうしたんだよ!?」


「ただのスマホだよ!」


「地球人が普段使ってる道具。」


「主な用途は通信。」


「まあ、

通信だけじゃないけど。」


ソフィアはそれを聞くと、

ぶつぶつと独り言を始めた。


「多機能携帯端末……」


「レトロ……」


「精巧……」


「合理的……」


「実用的……」


「まるで……」


「細胞の中の細胞のような……」


「機能性と均衡美を兼ね備えた芸術品……」


俺はソフィアを見る。


それからスマホを見る。


もう一度ソフィアを見る。


……そこまでか?


そう言い終わると、

ソフィアは隔離室の解除スイッチへ手を伸ばした。


パシッ!


ベローナがその手を叩き落とす。


「やめなさい。」


「まだ時間じゃない。」


「落ち着いて。」


「うぅ……」


ソフィアはこの世の終わりみたいな残念そうな顔をした。


俺は思わず尋ねる。


「これ、

どういうこと?」


「普段からこんな感じなの?」


ベローナは申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「ソフィアは重度のメカオタクなの。」


「少しでもレトロだったり。」


「彼女の美的感覚に刺さる機械だったりすると。」


「こうなっちゃう。」


そう言いながらも、

ベローナはソフィアが解除スイッチを押そうとする手を叩き続ける。


パシッ。


パシッ。


パシッ。


慣れてるなあ。


「しかも普段はずっと我慢してるから。」


「一度発作が出ると。」


「症状はかなり重いの。」


「なるほど。」


俺は納得して頷いた。


病気だ。


その時。


セフィが突然手を挙げた。


「そういえば。」


「私たちが最初に未知宇宙船へ入った時。」


「どうしてソフィアは何も反応しなかったの?」


ベローナは二秒ほど黙ったあと、

答えた。


「一目見た瞬間にね。」


「こう言ったの。」


ベローナは当時のソフィアの口調を真似する。


『美的センスの欠片もない。』


『時間の無駄ね。』


病気どころか変態だった。


ソフィアの感情の落差が激しすぎる上に。


「ヘル様」


なんて呼ばれて鳥肌が立った俺は。


そのままスマホを受け渡し口へ差し出した。


「ほら。」


頼むから普通に戻ってくれ。


ソフィアは一瞬きょとんとした。


そして次の瞬間。


ぱあっと表情が輝いた。


まるでずっと欲しかったおもちゃをもらった子供みたいに。


いや。


それ以上だ。


失われた文明を発掘した考古学者みたいな顔だった。


ベローナは額を押さえたまま、

頭痛をこらえているようだった。


それでも本題は忘れていない。


彼女はソフィアへ尋ねる。


「ヘルがあんな使い方をしていて、

本当に問題ないの?」


――もしヘルが翻訳機に頼らなくなったら。


外交上の優位性は下がる。


そういう意味だろう。


ソフィアはその言葉を聞くと、

スマホを両手で大事そうにつまみながら振り返った。


「まったく問題ありません。」


「私はOKです。」


ベローナはすぐに叫ぶ。


「まずスマホを置いてから言いなさい!!」


ソフィアは一瞬きょとんとし、

手元のスマホを見下ろした。


まるで今になって、

自分が何を持っているのか気づいたようだった。


そして名残惜しそうにスマホを置く。


軽く咳払いを一つ。


強引に通常モードへ戻った。


少なくとも、

見た目は。


彼女は小声でベローナへ話しかける。


「実は、

それほど問題ではありません。」


「あなたも私も知っているでしょう?」


「ヘルはセフィを助けてくれました。」


「しかも信頼に値する人物です。」


「そうであるなら。」


「私たちも相応の誠意を示すべきです。」


「でなければ、

公平ではありません。」


ベローナはそれを聞いて黙り込んだ。


よく考えれば。


今の俺は保護対象だ。


けれど、

保護対象だからといって、

無条件に信頼する必要はない。


でも……


ソフィアの言うことにも一理ある。


結局。


ベローナは黙って認めるしかなかった。


ソフィアがようやく落ち着いた後、

彼女は現在の状況を説明し始めた。


「つまり。」


「私は保護対象ということですね?」


「その通りです。」


へぇ……


なるほど。


考えてみれば当然か。


俺は最初の地球人。


ある意味では、

症例ゼロみたいなものだ。


この世界では。


何をするにも、

俺が最初の人類になる。


希少種。


絶滅危惧種。


……いや待て。


これってどんな気分なんだ?


俺は今、


惑星最後の人類男性になったような気分を味わっているのか?


残念ながら、

隣にヒロインはいない。


まったく嬉しくない。


しかも今の俺は。


環境に慣れるだけで手一杯だ。


いろんな意味で余裕なんてない。


そのせいか、

断片的な記憶も少し戻ってきた。


俺は昔、

いろんな国へ行ったことがあるらしい。


仕事でも。


何度か風土病や水が合わず、

ひどい目にも遭った。


今の感覚は。


インドやエチオピアへ行った時と少し似ている。


いや。


あの時の方がもっと悲惨だった気もする。


この隔離室のサポート機能が優秀で助かった。


そうじゃなければ、

ここまで快適には過ごせなかっただろう。


異星文明のウォシュレットを体験した数少ない人類として。


もう元には戻れそうにない。


地球のあれは……


いや。


思い出すのはやめよう。


食事に関しては。


今のところ支給されるのは軍用栄養パックだけらしい。


見た目は、

豆腐とプリンを混ぜたような感じ。


味はほんのり甘く、

ほんのりしょっぱく、

ほんのり脂っこい。


必要な栄養素を全部まとめて混ぜ込み、

無理やり一つの容器へ詰め込んだような食べ物だった。


まあ。


確かに便利ではある。


だけど……


アジア料理を知っている身としては、

やっぱり少し物足りない。


食事は腹を満たすだけじゃない。


楽しみでもあるんだから。


状況を整理し終えた俺は言った。


「これからよろしくお願いします。」


ソフィアは頷く。


セフィは嬉しそうな顔をしている。


そして。


ベローナだけが、

じっと俺を見つめていた。


表情はどんどん厳しくなっていく。


嫌な予感しかしない。


「ですから。」


「以前のような無茶は、

二度としないでください。」


「今のあなたは、

私たちの保護対象です。」


「隔離室も万能ではありません。」


「しかもあなたは風土不適応だけでなく。」


「現在接種しているワクチンも、

まだ完成版ではありません。」


「つまり今のあなたの身体は、

最悪と言っていい状態です。」


「絶対に無茶はしないこと。

わかりましたか?」


やっぱり言われた。


セフィだって馬鹿じゃない。


ここまで聞けば、

あの時のことを思い出すはずだ。


俺が彼女を助けるために飛び出したことを。


それに正直、

俺自身も感じている。


風土不適応だけじゃない。


どんな優秀なワクチンにも副作用はある。


それくらいは知っている。


でも昔経験したものと比べれば。


まだ全然マシだ。


だから。


この子にはあまり自分を責めてほしくない。


俺はベローナを見る。


そして視線で訴えた。


ほら。


あの子、

もう気にし始めてる。


ベローナは小さくため息をつき、

セフィへ向き直った。


「私はあなたに性格を変えろと言っているわけではありません。」


「あなたらしさを捨てろと言っているわけでもありません。」


「あなたは私たちのムードメーカーです。」


「今のままでいいんです。」


「もちろん。」


「それに見合う実力を身につければ。」


「私は誰にも、

そのことで文句を言わせません。」


「顔を上げなさい。」


「あなたはよくやりました。」


それを聞いて、

俺は思わず笑ってしまった。


ベローナはすぐにこちらを睨む。


「何ですか?」


「何か文句でも?」


俺は慌てて両手を上げた。


「いやいや。」


「そんなわけない。」


「すごくいい話だと思っただけ。」


俺にとやかく言う資格なんてないしな。


「あ、そうだ。」


「忘れる前に、

一つ話しておこう。」


俺はソフィアへ、

戻ってきた記憶について説明した。


大まかには。


自分の過去は思い出している。


地球での職業も思い出した。


残念ながら。


未知宇宙船に関する記憶だけは、

相変わらず空白のままだ。


だが。


話し終わった後。


ソフィアとベローナの表情は、

どこか妙だった。


いや。


どころじゃない。


かなり妙だった。


まるで、

珍しい生き物でも見るような目で俺を見ている。


「どうしたんですか?」


「その顔は。」


ソフィアは手元の記録を見ながら言った。


「あなたを疑っているわけではありません。」


「ですが、

地球人と私たちが認識している異星人像には、

少し違いがあるようです。」


「私の知る限り、

操縦士というものは普通、

数種類の特定の乗り物に特化しています。」


「ですがあなたの場合は、

まったく違います。」


「あなたのスマホに保存されている情報が正しければ。」


「あなたが扱ってきた乗り物の種類は、

私たちの専門性に対する認識をはるかに超えています。」


「簡単に言えば、

数が多すぎるんです。」


「だから気になるんです。」


「地球人はみんなそうなんですか?」


「それとも、

あなたが特別なんですか?」


続いてベローナが口を開く。


「それに、

あなたの記憶が正しいのなら。」


「あなたは民間人の立場で軍用兵器を操縦していたことも少なくありません。」


「それ自体が異常なんです。」


いやいや。


そんなふうに言われると。


確かに少し変かもしれない。


俺は額に手を当て、

必死に記憶をたどった。


記憶の中の俺は。


いろいろな乗り物を、

ごく自然に操縦していた。


しかも周囲の人たちも、


「本当に運転できるの?」


とか。


「ここはこう操作するんだ。」


なんて反応ではない。


むしろ。


「任せた。」


そんな顔をしていた。


訓練生でもない。


体験イベントでもない。


どちらかというと……


日常。


毎日車で通勤するような、

そんな自然さだった。


少し考えてから、

俺は答えた。


「これって普通じゃないの?」


「…………」


「…………」


「…………」


え?


そんなにおかしい?


ソフィアはメモを取りながら言う。


「翻訳機に異常はありません。」


「となると、

答えは二つです。」


「一つ目。」


「あなたは地球では変人だった。」


「おい。」


「二つ目。」


「あなたは本気で、

何でも操縦できる人間だと思い込んでいる。」


「待って。

その二つ、

ほとんど同じじゃない?」


ベローナが続ける。


「ふふ。

案外その両方かもしれませんね。」


俺は反論しようとして、

勢いよく手を挙げた。


……ところが。


途中で止まった。


待てよ。


冷静に考えると。


俺、

どう反論すればいいんだ?


だって……


本当にいろんなものを操縦してきた気がする。


結局。


俺は情けない声を漏らすことしかできなかった。


「えぇぇぇ~~~」


その時だった。


キャンプ内にアナウンスが響く。


『飛行船が到着しました。』


『各部隊は乗船準備を開始してください。』


それを聞いたソフィアは、

ようやく安堵の息をついた。


「やっと。」


「こんな場所とはお別れです。」


ベローナも大きく伸びをする。


「あと少し。」


「やっと仕事が終わるわ。」


そして俺はというと。


飛行船?


飛行船だって!?


未知の乗り物じゃん!!


うわぁ!!


めちゃくちゃ見たい!!


俺は勢いよくソフィアへ振り向いた。


「あとで、

君たちの飛行船を見学してもいい?」


ソフィアは笑顔で答えた。


「もちろんです。」


「どうせあなたも、

私たちと一緒に行くんですから。」


やった!!


「じゃあ操縦席は?」


「操縦させてもらえる?」


ベローナは即座にツッコミを入れた。


「早すぎますよ!?」


「少しくらい遠慮してください!」


「もちろんダメです!」


「あなたまだ隔離中でしょう!?」


セフィは俺を見ながら言った。


「人間版ソフィア?」


この子、

まさか俺をあのメカオタクと同類扱いしたのか!?


「いや。」


「俺は普通だよ。」


「これは職業病みたいなものだから。」


するとソフィアが言う。


「その通りです。」


「職人魂というものですね。」


ベローナは手刀でソフィアの頭を軽く叩いた。


「あなたは黙ってて。」


その時。


「ピン。」


という音とともに、

セフィの隔離が終了し、

隔離室が自動的に開いた。


……この音。


どこかで聞いたことがあるような?


隔離が解除されたセフィは、

そのまま俺の隔離室を押して歩き始めた。


キャンプを出ると。


俺はついに飛行船を目にした。


しまった。


スマホを貸したままなのを少し後悔した。


隔離室に閉じ込められたままの俺は、

心の中でそう叫ぶ。


飛行船。


とても。


とても大きい。


透明な隔離室越しに、

見上げることしかできない。


写真すら撮れない。


残念すぎる。


俺の目には、

この飛行船は単に巨大というだけではなかった。


地球の豪華客船を思い出す。


そう。


まさにあのクラスだ。


思わず見上げてしまうほど巨大だった。


以前にもこの世界の宇宙船は見たことがある。


でもその時は、

状況が慌ただしすぎて、

ゆっくり眺める余裕なんてなかった。


実際に操縦するとどんな感覚なんだろう。


触ってみたいなあ。


俺は周囲を見回した。


たくさんの重姫たちが、

キャンプの片付けをしている。


様々な装備を飛行船へ運び込んでいた。


そして。


俺は違和感に気づく。


ああ。


比率か。


重姫たちは平均して七メートルほどある。


ならば、

彼女たちが使う飛行船も、

当然それに合わせて巨大になる。


そう考えると。


仮に操縦席へ入れたとしても、

俺には操縦できないだろう。


残念だ。


……いや待て。


厚底ブーツでも履けば?


いやいや。


やめろ。


事故率が上がるだけだ。


完全に素人の発想じゃないか。


サンダルで車を運転するようなものだ。


諦めよう。


みんなが忙しく働いているのを見ながら、

自分だけ何もできない。


なんだか落ち着かない。


どうやら昔の俺は、

かなり働き者だったらしい。


暇になる方が違和感を覚える。


それに人類と違って。


彼女たちのモジュール式キャンプは、

便利すぎる。


断片的な記憶がまた蘇る。


昔も似たような設備を組み立てたことがある気がする。


テント一つ建てるだけでも、

何人も必要だった。


でも重姫たちは違う。


まったく人手がいらない。


さすが隔離室と同じ系列の技術だ。


装置が勝手に収納され。


勝手に折り畳まれ。


勝手に整理されていく。


もはや効率的なんて言葉では済まない。


反則レベルだ。


しばらくすると。


キャンプは跡形もなく片付いてしまった。


釘一本落ちていない。


そういえば。


やっぱり俺って珍しいんだろうな。


隔離室にいる俺を。


他の重姫たちが、

時々こっそり見ていく。


無理やり分類するなら。


七割は興味本位。


一割は無関心。


一割は嫌悪感。


残り一割は……


よくわからない。


うんうん。


好きなだけ見ればいい。


どうせ日本のマジックミラー号じゃないし。


しかも無料だ。


暇すぎたせいか。


俺は周囲を歩く重姫たちを観察し始めた。


そして。


少し好意的そうで、

気になった重姫たちへ向かって。


日本のアイドルがよくやるポーズを決める。


きらり☆


反応は予想以上だった。


嬉しそうに悲鳴を上げて逃げる子。


頬を赤くしてそっぽを向く子。


驚いて隠れる子。


その場で固まる子。


うん。


面白い。


しかも予想以上に効果抜群だ。


その時、

後ろからセフィの声が聞こえた。


「ヘル。」


「あなた。」


「何。」


「して。」


「る。」


俺は振り返る。


そして。


きらり☆


セフィは、


「あっ……」


と固まった。


顔がみるみる赤くなる。


そのままぶんぶんと首を振った。


「もう!

ふざけないでよ!」


飛行船へ乗り込んだ後。


今の俺にできることは何もない。


だったら、

せっかくだし船内見学でもしよう。


配管。


通路。


隔壁。


継ぎ目。


点検ハッチ。


……ん?


点検ハッチは?


俺は一瞬立ち止まった。


もう一度見回す。


いや。


本当にない。


少なくとも、

今見えている範囲には存在しない。


俺の記憶にある船と比べると、

ここの通路は異様なほど広い。


いや、

言いたいのは大きさじゃない。


設計そのものだ。


露出した配管がない。


鋼管も見えない。


よくある整備用の構造物も見当たらない。


これで本当に整備できるのか?


部分修理とか必要ないのか?


綺麗すぎるだろ。


嫌いじゃないけど。


今ここで修理しろと言われても、

どこから分解すればいいのかさっぱりわからない。


まさか一体成形なのか?


もしそうなら。


ちょっと怖い。


かなり長い時間運ばれていく。


本当に長い。


体格差のせいだろうか。


ものすごく遠くまで連れてこられた気がする。


最初は、

貨物室みたいな場所へ放り込まれるのかと思っていた。


ところが。


目の前に現れたのは、

分厚く巨大な扉だった。


お?


この雰囲気は……


重厚な扉がゆっくりと開く。


中を覗き込む。


そして。


一気に目が覚めた。


まさか。


ここは操縦室……


いや。


この規模なら、

艦橋と言った方がいい。


セフィが得意げに笑う。


「えへへ。」


「びっくりしたでしょ?」


そりゃ驚くさ。


でも今の俺は、

見ることしかできない。


しくしく。


それでも俺は素直に言った。


「本当に。」


「目を見張る景色だ。」


「ありがとう。」


艦橋は、

地球の大型客船のブリッジと少し似ていた。


ただし、

操舵装置はまったく違う。


昔ながらの舵輪ではない。


左右にグリップを握るタイプだ。


どちらかと言えば航空機に近い。


周囲は大量のモニターに囲まれ。


視界は非常に広い。


死角がほとんどない。


うわぁ。


いいなぁ。


知ってる?


乗り物は大きくなればなるほど。


操縦者の空間認識能力が重要になる。


俺は初めて乗る乗り物に触れる時。


必ず歩いて一周する。


足で歩きながら、

目と身体でその乗り物の大きさを覚える。


全長。


全幅。


死角。


可動範囲。


どこまで動けるのか。


全部頭へ叩き込む。


そして。


どれだけ完璧に把握していても。


操縦中に見える景色なんて、

全体のほんの一部に過ぎない。


人間にはレーダーなんてない。


殺気を感じて避ける超能力もない。


見えないものは見えない。


感じないものは感じない。


だから最後に頼れるのは。


自分がどれだけ乗り物と周囲を把握しているかだけなんだ。


だからこそ。


この飛行船の監視システムがここまで完璧なのは、

正直かなり羨ましかった。


そして。


この飛行船を見ていると、

ある乗り物を思い出す。


俺にとって、

とても恐ろしい乗り物を。


いや。


悪夢と言った方が正しい。


潜水艦だ。


俺が最も乗りたくない乗り物の一つ。


巨大すぎる。


息が詰まるほど閉鎖的。


しかも、

他の乗り物とは違う。


手足の感覚で外の状況を把握することが、

ほとんどできない。


頼れるのは、

ソナーだけ。


あの感覚は、

本当に説明しづらい。


まるで真っ暗な洞窟へ放り込まれて。


断崖絶壁の縁に立ち。


一歩ずつ前へ進んでいくようなものだ。


手元にあるのは、

小さな拍子木一つ。


それを鳴らし続け。


返ってくる反響だけを頼りに。


前へ道があるのか。


壁なのか。


判断するしかない。


壁にぶつかれば。


そこで終わり。


踏み外しても。


終わるのは一瞬だ。


今でもあの感覚は忘れられない。


あの時は、

なんとか任務をやり遂げた。


だけど。


二度とやりたくない。


勘弁してほしい。


記憶を失った今でも。


あの恐怖だけは、

心の奥に深く刻み込まれている。


うわぁ。


心の傷って、

記憶と一緒に戻ってくるものなのか?


いやいや。


考えるのはやめよう。


今は目の前のことが大事だ。


その頃、

ソフィアとベローナも艦橋へやって来た。


ベローナは前方へ歩いていく。


どうやら今回の指揮は彼女が担当するらしい。


操縦は専門の操縦士へ任せるようだ。


いいなぁ。


いろんな意味で本当にいい。


俺はこういう、

役割分担がはっきりした組織が大好きだ。


そして。


俺は急にワクワクしてきた。


だって飛行船だぞ。


しかも艦橋だ。


こういう場所なら、

あの定番のやり取りがあるはずだ。


船長が号令をかけ。


乗組員が復唱する。


あのロマン溢れるやつ。


「全艦、傾注!」


「離艦準備!」


乗組員たちが、


「離艦準備!」


「機関正常!」


「航路確認!」


そんな感じのやつ。


ああいうの、

結構好きなんだよな。


ついでに、

あとでベローナをからかうこともできそうだ。


そう思いながら、

期待いっぱいで彼女を見つめる。


ベローナは胸を張り、

乗員全員を見回した。


そして一言。


「全員揃いましたね。」


「行きましょう。」


操縦士が答える。


「はい。」


飛行船は静かに動き始めた。


……What?


終わり?


それだけ?


カウントダウンもなし?


艦内放送もなし?


掛け声もなし?


まあいいか。


現実ってこんなものだよな。


そういえば、

地球にいた頃の俺も、

別にそんなことしてなかったし。


ベローナは俺を見た。


「その顔は何ですか?」


「それと。」


「知ってますよ。」


「さっき、

また何かやりましたね?」


俺はすぐにポーズを決める。


きらり☆


ベローナは驚いて言葉を失い。


「えっ?」


俺は言った。


「俺たちのところじゃ、

これは友好的な挨拶なんだよ。」


そう言って、

もう一度やってみせる。


きらり☆


ベローナは首をかしげた。


「なんだか変な感じですね。」


「でも……」


彼女は小さな声でつぶやく。


「嘘をついている反応はないんですよね……」


隣で見ていたソフィアが、

興味深そうに真似をした。


「こうですか?」


きらり☆


俺はすぐに親指を立てる。


「そうそう!」


「その通り!」


「すごくフレンドリー!」


ソフィアは自信満々に微笑んだ。


「なるほど。」


「簡単ですね。」


「いつか地球へ行く機会があったら、

ぜひ試してみます。」


それを聞いた俺も、

きらり☆のポーズをしながら言う。


「問題なし!」


「満点!」


「絶対に歓迎されるよ!」


いろんな意味で。


そして。


周囲にいた重姫たちも、

真似し始めた。


一人がやれば、

また一人。


伝染するように広がっていく。


広まる速度が異常に速い。


おっと。


セフィまで真似し始めた。


……うん。


俺は操縦席の方を見た。


What!?


操縦士の重姫まで、

片手を上げていた。


きらり☆


……まあ、

いいか。


みんなを眺めながら、

自分の成果に満足していたその時だった。


突然。


飛行船が大きく揺れた。


同時に警報が鳴り響く。


「報告!」


「巨大海霧の襲撃です!」


海霧?


俺は一瞬首をかしげた。


また翻訳がおかしくなったのか?


海霧って何だ?


霧が人を襲うのか?


俺はすぐに操縦モニターへ目を向けた。


いくつもの映像が遮られている。


完全に映像が途切れている画面まである。


そして。


俺は見た。


何本もの触手を。


しかもとんでもなく巨大な触手だ。


吸盤まで付いている。


……タコ?


まさか……


こっちの翻訳機、

タコを海霧って訳してるのか?


地方名とか。


昔の呼び方とか。


そんな感じなのかもしれない。


まあ。


どうでもいいか。


その時。


一本の触手が展望区へ叩きつけられた。


凄まじい衝撃で船体が揺れる。


幸い船体は頑丈で、

窓ガラスも割れなかった。


だが。


展望区から見えることで、

その大きさがよりはっきりわかった。


本当に巨大だ。


操縦士は必死に姿勢を維持している。


ベローナはすぐに指示を飛ばした。


「兵装展開!」


「目標を速やかに排除してください!」


「了解!」


艦首甲板が展開し。


次々と兵装プラットフォームがせり上がる。


触手へ向けて射撃準備が始まった。


しかし。


効果は悪い。


すでに触手が船体へ巻き付いているため。


兵装の一部は展開すらできない。


しかもモニターを見る限り。


本体は船の真下にいるらしい。


だが主砲はそこを狙えない。


うん。


あまり良くない状況だ。


俺はソフィアへ尋ねた。


「海霧って、

どんな生き物なんだ?」


ソフィアは説明する。


「個体数は非常に多い生物です。」


「基本的には小型で、

八本の触手と吸盤を持っています。」


「巨大化する個体はごく少数ですが、

巨大化した場合、

海中では極めて高い戦闘能力を持ちます。」


「基本的には肉食性です。」


「ただし巨大個体だけは例外で、

ほとんど何でも捕食します。」


「今回はエネルギー波に引き寄せられたのでしょう。」


「それも彼らにとっては餌になります。」


ありがとう、

ソフィア百科事典。


八本の触手。


吸盤。


海の生物。


肉食。


一部おかしなところはあるけど。


どう考えてもタコじゃないか。


よし。


賭けよう。


俺はあれをタコだと信じる。


俺は操縦士へ向かって叫んだ。


「無理に引っ張るな!」


「船体の力で正面から引き剥がそうとするな!」


全員が一斉に俺を見る。


「ゆっくり回せ!」


「船体を水平に回転させるんだ!」


「抵抗が少し戻ってくる感覚があるまで!」


「吸盤は横方向の力には弱い!」


「運が良ければ本体ごと海面へ引きずり出せる!」


指示を出す時は。


迷ってはいけない。


手加減もいらない。


たとえ賭けだったとしても。


操縦士の重姫は、

俺の言葉を聞くと理解したような表情を浮かべた。


「それと!」


「貨物ハッチを開けろ!」


「海霧のいる方向へ向けるんだ!」


操縦士はベローナへ視線を向け、

実行していいか確認する。


ベローナは頷いた。


「実行してください。」


「了解!」


ふぅ。


あとは運次第だ。


あれが本当にタコなら話は早い。


違っていても、

少なくとも状況を動かすきっかけにはなる。


俺たちは飛行船の後部へ向かっていた。


ベローナは砲身と本体を肩に担ぎ。


セフィは俺の入った隔離室を押し。


ソフィアは武器のパーツを抱えながら、

息を切らして後ろを走っている。


飛行船は回転しているとはいえ。


歩けないほどではない。


例えるなら。


震度四か五くらいの地震の中を歩いている感じだ。


歩ける。


でもかなり鬱陶しい。


ソフィアは走りながら息を切らして言う。


「ベローナ……」


「その武器……」


「ちゃんと申請してるの……?」


「何本かは……」


「絶対問題あると思うんだけど……」


前を走るベローナは答える。


「……うるさい。」


「聞こえません。」


この二人、

どっちもどっちだ。


やがて。


最後の隔壁が開いた。


ゴォォォッ!!


激しい風切り音が吹き込んでくる。


潮風。


海の匂い。


エンジンの轟音。


すべてが一気に耳へ飛び込んできた。


高空にいるはずなのに。


海面がはっきり見える。


なかなか壮観だ。


その時。


俺は隔離室を押しているセフィの足が、

少し震えていることに気づいた。


「もしかして。」


「前のこと思い出してる?」


セフィは困ったように笑う。


「だって……」


「あれは本当に怖かったんだもん……」


ベローナはその場へ片膝をつき。


武器の組み立てを始めた。


ソフィアは安全ロープを取り出し、

俺たちへ固定していく。


ソフィア。


セフィ。


そしてベローナ。


……ん?


一本。


二本。


三本。


ベローナには安全ロープが三本も繋がれていた。


俺は急に嫌な予感がした。


三本も必要なのか?


俺は外へ目を向ける。


海面は煮え立つように荒れ狂い。


巨大な波が次々と広がっていく。


飛行船の回転も、

どんどん大きくなっていた。


いい感じだ。


もう限界に近い。


船体がきしむような音まで聞こえてきた。


このまま回し続ければ。


そのうち船体そのものが歪み始めるだろう。


そして海の中央では。


巨大な海霧の本体が、

ついに海面から姿を現し始めていた。


どうやら操縦士は本当によく頑張っているらしい。


今の状況は、

実は単純だ。


釣りと同じ。


ただ相手が、

とんでもなく巨大なタコかもしれないだけ。


あとは我慢比べだ。


先に音を上げた方が負け。


「ふふ。」


小さな笑い声が聞こえた。


俺は思わず振り向く。


おお。


ベローナが笑ってる。


初めて見たかもしれない。


でも……


あれは楽しそうな笑顔じゃない。


待ちに待ったおもちゃで遊べる子供みたいな顔だ。


ベローナの手元では、

武器の組み立てがまだ続いていた。


どんどん長くなる。


どんどん複雑になる。


ちょっと待て。


その長さ、

本人より長くなってないか?


「できた。」


嫌な予感しかしない。


それ、

君の星の銃刀法に引っかかってない?


武器の組み立てが終わると。


そこには太い電源ケーブルまで付いていた。


ベローナはそのプラグを、

そのままソフィアへ放り投げる。


ソフィアは慣れた手つきで受け取り。


電源ポートへ接続した。


武器は低く唸り始める。


ブゥゥゥン……


ブゥゥゥン……


俺は武器を見る。


海の巨大ダコを見る。


そして三本の安全ロープを見る。


うん。


なんとなく理解した。


さっきソフィアが、

ちゃんと申請したのか聞いていた理由を。


巨大な水しぶきが舞い上がる。


海面全体が爆発したように揺れた。


海霧の本体が、

ついに完全に海面から姿を現す。


そして。


俺はその姿を見た。


What the fuck.


タコじゃねぇか!!


どう見てもタコだろこれ!!


ただ、

理不尽なくらい巨大なだけだ!!


巨大な身体が海面へ浮かび上がり。


大量の波しぶきを巻き上げる。


その瞬間。


バチバチバチッ!!


激しい放電音が響いた。


俺はベローナを見る。


彼女の武器から、

凄まじい電弧が飛び散っていた。


その音は、

俺の耳にもはっきり聞こえるほど大きい。


待て待て。


こんな距離から放電音が聞こえるって。


それだけで十分怖いだろ。


昔、

変電設備で働いていた時ですら。


こんな音は聞いたことがない。


ベローナは舌で唇を軽く舐める。


そして。


少し危険な笑みを浮かべた。


ベローナが叫ぶ。


「クリア。」


俺は思った。


なんでそんなことを言うんだ?


しかし。


答えはすぐに出た。


ドォォォォォンッ!!!!


砲口から凄まじい電弧が噴き出した。


空気が無理やり引き裂かれる。


衝撃波が貨物ハッチ全体へ炸裂した。


胸の奥まで震える。


Fuck!!


これ本気の兵器だ!!


ベローナの身体が、

反動で後方へ吹き飛ぶ。


バシッ!!


バシッ!!


バシッ!!


三本の安全ロープが一斉に張り詰めた。


Holy shit!!


三本必要だった理由、

今ならわかる。


今心配なのは海霧じゃない。


ベローナが引きちぎれないかどうかだ。


俺はすぐ海面を見る。


命中した。


しかも正確だ。


巨大な触手の付け根に、

巨大な穴が開いていた。


海面へ大量の水しぶきが舞う。


だが。


当たったのは触手。


本体ではない。


あいつはまだ元気そうだ。


いや。


色が変わった?


真っ赤になった!?


……うん。


すごくタコっぽい。


「ちっ。」


ベローナは不満そうに巨大なタコを睨んだ。


どうやら一撃で仕留められると思っていたらしい。


カチン。


乾いた金属音が響く。


ベローナは新たな弾薬を装填しながら言った。


「これは貴重な実体弾なの。」


「手持ちはあまり多くないわ。」


なんだかベローナは悔しそうだった。


でも同時に。


もう一発撃てることを、

少し楽しんでいるようにも見える。


この人。


どこか壊れてない?


俺は再び海面へ目を向けた。


触手が暴れ回る。


海面は荒れ狂う。


海霧は残った触手で、

一気に勝負を決めるつもりらしい。


俺はベローナへ尋ねた。


「あと何発ある?」


「二発。」


「なら次は。」


「両目の間を狙ってくれ。」


「わかった。」


あの武器の正式名称は知らない。


だが。


再び充電が始まった。


バチバチ……


バチバチ……


今度はベローナも、

すぐには撃たなかった。


姿勢を整え。


慎重に狙いを定める。


セフィは黙って、

俺の隔離室をしっかり押さえた。


どうやら、

この後何が起きるかわかっているらしい。


ソフィアはベローナの隣へ駆け寄り。


耳当てを装着させる。


そして自分はすぐに物陰へ避難した。


砲身から飛び散る電弧はますます激しくなり。


ついには煙まで噴き始めた。


……待て。


これ、

金属が気化してないか?


まさかこの銃。


重ね合わせ。


圧縮。


蓄積。


全部まとめてやってるのか?


頭皮がピリピリする。


静電気みたいな感覚まで伝わってくる。


しかも。


オゾン臭まで漂ってきた。


俺はまだ隔離室の中にいるのに。


これ。


もし外に立っていたら。


遺言を言う暇もなく灰になってそうなんだけど。


ベローナが叫ぶ。


「クリア!」


ドォォォォォンッ!!!


空気が再び引き裂かれる。


恐ろしい衝撃波が貨物ハッチ全体を襲った。


飛行船そのものまで微かに揺れる。


ベローナの身体は、

また勢いよく吹き飛ばされた。


バチンッ!


一本。


安全ロープが切れた。


うわっ。


冗談じゃない。


あれ、

本当に個人携行火器なのか?


俺は慌てて海面を見る。


暴れ狂っていた触手が止まった。


真っ赤だった海霧が、

今度は真っ白になっている。


巨大な身体から、

力が抜けていく。


触手がゆっくり開き。


ゆっくり緩み。


そのまま静かに海へ沈んでいった。


完全に死んだ。


飛行船へ巻き付いていた触手も、

力なく垂れ下がり。


一本。


また一本と滑り落ちていく。


飛行船は、

ようやく自由を取り戻した。


その場にいた重姫たちは、

一斉に安堵の息をつく。


張り詰めていた空気が、

一気に和らいだ。


ベローナはその場へ大の字に寝転がり。


大きく息を吐いて言った。


「ヘル。」


「どうしてあそこが弱点だってわかったの?」


俺は海面を指差して答える。


「地球じゃ、

あれはそこら中にいる生き物なんだ。」


「俺たちはタコって呼んでる。」


そして自分の眉間を指差した。


「だいたい弱点は、

あの辺なんだよ。」


ソフィアが手を挙げた。


「ちょっと待ってください。」


「海霧は地球にもいるんですか?」


「そうだよ。」


「しかも美味しい。」


「…………」


「…………」


「…………」


ん?


なんで急に静かになった?


セフィは信じられないという顔をしていた。


「どうしてあんなものを食べようなんて思うの?」


「もしかして地球って食糧不足なの?」


俺は笑いながら答えた。


「ははは。」


「さすがにあんなに大きいのは食べないよ。」


「臭いしね。」


「俺たちが食べるのはもっと小さいやつ。」


「料理方法もたくさんある。」


「茹でたり。」


「焼いたり。」


「揚げたり。」


「煮たり。」


「本当にいろいろあるんだ。」


「そんなに美味しいんだから、

食べない方がおかしいだろ?」


「…………」


セフィの表情はますます複雑になった。


まあまあ。


食べられる生き物は、

多い方がいいじゃないか。


俺はさらに続ける。


「実はさ。」


「君たちも食べてみたらいいと思うんだ。」


「そうすれば海霧の数も減らせるし。」


「増えすぎるのも防げるかもしれない。」


ベローナはその場で身体を起こし。


数秒間真剣に考え込んだ。


「お酒に合うなら。」


「一度食べてみたいわね。」


セフィは驚いた声を上げる。


「えぇっ!?」


ソフィアも真面目な顔で頷いた。


「実際、

研究する価値はありそうですね。」


「上へ提案してみます。」


セフィはさらに叫んだ。


「えぇぇぇぇぇーーーっ!?」


好き嫌いはよくないぞ。


……まあ。


俺も人のことは言えないけど。


その時だった。


チーン――


俺は一瞬固まった。


またこの音だ……


今度は俺の隔離が終わったらしい。


……あ。


思い出した。


これ。


パンが焼き上がった時のトースターの音じゃないか!


誰だよ!


この効果音を採用した天才は!!


隔離室の扉がゆっくり開く。


外へ出る前に、

俺は自分の額へ手を当てた。


熱はない。


身体にも特に異常は感じない。


たぶん大丈夫そうだ。


やっとだ。


普通に歩く感覚を忘れそうだった。


俺は顔を上げる。


セフィを見る。


……ん?


なんだか様子がおかしい。


少し考えてから。


俺はいつものようにポーズを決めた。


きらり☆


セフィは固まった。


まるでフリーズしたみたいに。


……ん?


次の瞬間。


顔が一気に真っ赤になる。


そしてそのまま、

くるりと背を向けて走り去ってしまった。


俺はその場で少し考えた。


ああ。


わかった。


きっとテレビ効果みたいなものだ。


今まではずっと隔離室越しだった。


厳密に言えば、

映像越しみたいなものだ。


急に本人を目の前で見たら。


びっくりするのも無理はない。


うん。


理解できる。


ベローナは走り去るセフィを見送り。


それからソフィアへ視線を向けた。


「あなたはどう思う?」


ソフィアは数秒真剣に考えたあと、

静かに答える。


「差が大きすぎます。」


「現時点では判断が難しいですね。」


「今は娯楽程度に見ておくのがいいでしょう。」


俺は軽く肩を回した。


そして飛行船の外へ目を向ける。


見知らぬ空。


見知らぬ海。


まあ。


自分がどうしてここへ来たのかは、

まだわからない。


でも。


ここも案外悪くない。


俺は結構、

この場所が気に入り始めていた。

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