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重姫駆動  作者: 樹下繪本
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001

これは、小さな人間が生きる物語ではありません。

巨大な少女たちの世界に、一人の小さな人間が足を踏み入れた物語です。

「俺は……ヘ……ル……そうだ、ヘル……」

目を覚ました時、俺の身にはボクサーパンツ一枚しか残っていなかった。

全身がびしょ濡れだった。

俺は透明な部屋の中に閉じ込められていた。

空間はそれほど広くはないが、活動するには十分だった。

そして俺の服は隣に置かれていた。

着ていない理由は単純で、同じように濡れていたからだ。

今の俺の頭の中は、完全に混乱していると言っていい。

なぜ自分がここにいるのか思い出せない。

なぜ全身が濡れているのかも分からない。

だが、一つ妙なことがあった。

こんな状態にもかかわらず、まったく寒さを感じないのだ。

それどころか、この場所の温度は快適とさえ言えた。

今の状況を整理するために何かしたいと思ったが、家具一つない空っぽの部屋では、できることがほとんどなかった。

服を絞るか?

やめておこう。

水滴をあちこちに飛ばすだけだ。

退屈でどうしようもなくなっていたその時、目の前の透明な壁に突然映像が表示された。

単純に壁をスクリーン代わりにしているわけではない。

俺が完全に透明だと思っていたこの部屋は、外の映像を遮断し、表示モードを自由に切り替えられる先進的な設備だったらしい。

俺は今になって初めてそれを知った。

そして俺の目の前に現れたのは――

女性の輪郭を持つ巨大なロボットたちだった。

全部で三体。

見たところ身長はおよそ七メートルほど。

外に立ち、こちらを見つめている。

中央にいる一体が俺を見た。

どうやら俺と意思疎通を試みているらしい。

だが残念ながら、まったく理解できなかった。

彼女たちは巨大だったが、俺の知る冷たい機械のようには見えなかった。

顔の材質はむしろ人間のシリコンドールに近い。

柔らかさを感じさせる白色で、肌のような繊細な質感さえ感じられた。

しかし、よく観察すると、一部には継ぎ目が見えた。


その印象は、高級な人工生命体のようだった。


美しい。


だが同時に、機械特有の人工的な雰囲気もわずかに残している。


脇の下、手首、腰部、臀部や膝関節の折れ目部分には、黒いレザーのような柔軟素材が使われていた。


それらの部分にも細かな継ぎ目が見え、可動性を確保するための設計であることが分かる。


そして彼女たちが身に着けているものは、衣服というより装甲に近かった。


だが、その装甲には想像していたような重厚感はない。


表面はマットな質感で、見た目にはむしろ柔らかささえ感じられる。


しかし、何かがぶつかった時の音を聞けばすぐに理解できた。


――あれはとてつもなく硬い。


まるで鋼鉄並みの強度を持つ特殊な樹脂のようだった。


中央にいる黄・白・橙を基調とした機体は、上品で知的な女性のような雰囲気を持っていた。


長いウェーブヘアをしており、装甲の量も三人の中で最も多い。


その装甲にどのような機能があるのかは、俺にはまったく分からない。


だが、その佇まいからして――


おそらく彼女がリーダーなのだろう。


俺は中央の黄・白・橙色のロボットへ向かって右手を上げ、挨拶の仕草をした。


すると相手もすぐに右手を上げて応えた。


しかも、とても嬉しそうに何度も頷いている。


……少なくとも敵意はなさそうだ。


ただし、言葉は相変わらずまったく理解できない。


相手は慌てた様子で工具箱のようなものを取り出し、中を探り始めた。


最初に取り出したのは指輪のようなものだった。


もちろん、それは彼女たちにとっての話だ。


俺から見れば、ほぼバスケットゴールほどの大きさがある。


彼女はその指輪を見て、それから俺を見下ろした。


サイズが合わないと判断したらしく、それを箱へ戻した。


そして再び中を探り始める。


やがて少し苛立ったように、小さなクリップのような道具を使い、先ほどよりさらに小さな輪を摘み上げた。


彼女たちにとっては小さなアクセサリー程度なのだろう。


だが俺にとっては、ちょうどブレスレットくらいの大きさだった。


彼女は俺が入っている容器の上部ハッチを開き、それを中へ放り込んだ。


その女性型ロボットは右手を伸ばし、自分の左手首を指差した。


どうやら、さっきの装置を左手に付けろということらしい。


俺がその通りにすると、その装置は腕時計のように自動で縮み、しっかりと手首へ固定された。


装着を終え、俺は顔を上げて相手を見る。


彼女は一本指を立て、それからもう片方の手で自分の口元を指差し、一つの音を発した。


俺も真似してみる。


「一。」


それを聞いた相手は、とても嬉しそうに頷いた。


続いて彼女は二本指を立てる。


なるほど。


何となく意図が分かってきた。


しばらくやり取りを続けた結果、俺が言えることは一つだけだった。


彼女たちの装置は、完全にブラックテクノロジーだ。


俺はてっきり、長い時間をかけて言語をすり合わせることになると思っていた。


だが、そんな必要はなかった。


この装置は互いの言語を高速で同期してしまったのだ。


俺が聞く言葉は、自動的に理解できる言語へ変換される。


そして俺の話した言葉も、彼女たちの言語へ変換される。


一体どうやって入出力しているのか。


興味はあったが、今の俺に理解できるとは到底思えなかった。


「ヘルは聡明な人で、本当に助かりました。」


私と意思疎通をしていた黄・白・橙色の女性型ロボットは、笑顔を浮かべながらそう言った。


「ご存じですか? 他種族に翻訳機を装着してもらうだけで、とても長い時間がかかることもあるんですよ。」


彼女の名前は――ソフィア。


そしてソフィアの隣に立っていた、ピンク・白・黄色を基調とした短髪の女性型ロボットは、両手を上げて虎の真似をしながら言った。


「ほんとそれ!」


「中にはいきなり怒り出して、『戦争だ!』なんて叫ぶ人たちもいるんだから!」


彼女の名前はセフィ。


……今の仕草は、たぶん虎の真似だったのだろう。


ソフィアと比べると、セフィの装甲も方向性は似ているが、色使いや細部の構造には明らかな違いがあった。


また、三人の中では最も小柄でもある。


――もちろん、相対的な話だ。


俺から見れば、それでも十分すぎるほど巨大だった。


特に特徴的なのは、関節部分の装甲が明らかに強化されていることだ。


とりわけ手と膝。


手の甲にはメリケンサックのような突起構造まで付いている。


しかも彼女の手は他の二人よりも厚みがあり、まるで軍用の重装グローブを装着しているようだった。


肘や膝にも衝撃吸収用の防具のような強化構造が見える。


全体として受ける印象は――


兵士というより、


むしろ猫科動物の特徴を持った近接戦闘型機体だった。


現場にいる三人目の女性型ロボットは、紫・白・黄色を基調としたカラーリングだった。


彼女は腕を組み、小さくため息をつく。


「あの時の接触は本当に最悪だった。」


「よくあれで宇宙航行なんてできたものね。」


「コミュニケーション能力はないし、無駄にプライドだけ高いし、実力だって大したことない。」


彼女の名前はベローナ。


引き締まった、気の強そうな印象を与えるタイプだった。


三人の中で最も背が高く、


そして最も和風の雰囲気を持っている。


大和風のすっきりしたショートヘア。


さらに腕を組んだ時に漂う迫力。


まるで武士の少女のような印象だった。


だが、俺が彼女の腰へ目を向けた時、


そこにあったのは刀ではなかった。


銃だ。


しかも大量に。


腰の左右に一丁ずつ。


脇の下に近い胸の側面にも、それぞれ副武装が装備されている。


肩には短刀のような小型装備まで取り付けられていた。


そして背中には――


狙撃銃や重砲のような武装まで背負っている。


まるで歩く火薬庫だ。


……もう刀を差す場所なんて残っていないだろう。


こうして意思疎通ができるようになったのは、俺にとってありがたいことだった。


だが彼女たちの話の内容は、聞けば聞くほど理解できなくなっていく。


種族。


宇宙。


恒星間航行。


そういった単語の規模が、俺の想像をはるかに超えていた。


結局、俺は一番単純な質問をするしかなかった。


「皆さんに聞きたいんですが……あなたたちは一体どこから来たロボットなんですか?」


『未知の語句のため翻訳できません。』


突然、頭の中に案内音声が響いた。


……未知の語句?


なぜ未知の語句なんだ?


彼女たちはロボットじゃないのか?


これほど高性能な翻訳機なのに、「ロボット」という概念を伝えられないのはなぜだ?


疑問が一気に頭の中へあふれ出した。


だが今は、その理由を掘り下げている場合ではない。


そこで俺は質問を変えた。


「では……ここはどこなんですか? そして、なぜ俺はここにいるんでしょうか?」


結果として――


俺はさらに混乱することになった。


まず、ここはアルカディアという名の惑星らしい。


彼女たちの話によれば、正体不明の宇宙船がアルカディアの防衛システムを突破し、そのまま海上へ墜落したという。


しかも、その宇宙船は墜落後に莫大なエネルギー波を放出し、周辺の海域を丸ごと凍結させて巨大な氷山を作り出したらしい。


そして彼女たちは、その事件の調査のために派遣された。


その後、宇宙船の内部で冷凍された状態の俺を発見した。


そのため、彼女たちは俺を宇宙船の関係者だと判断し、すぐに解凍と救命処置を行ったという。


……


まあ。


話の内容自体は、一語一句理解できた。


だが全部を繋げると、まったく理解できない。


記憶は混乱している。


それでも一つだけ確信できることがあった。


俺の故郷は地球だ。


そして地球の技術では、こんな途方もない宇宙船を造ることは絶対にできない。


異星の防衛網を突破するどころの話ではない。


地球の技術水準で考えれば、墜落した時点で中の人間は真っ先にあの世行きだ。


ましてや、この宇宙船は原形を保ったまま残っている。


それどころか、海そのものを俺ごと凍結させてしまった。


そして俺自身――


記憶は依然として曖昧だが、一つだけほぼ百パーセント断言できることがある。


この宇宙船は絶対に俺のものじゃない。


俺は無実だ。


わけの分からない星間事故の責任なんて背負いたくない。


気持ちを整理した後、俺は自分の現状を彼女たちへ説明した。


俺の名前はヘルであること。


記憶がかなり混乱していること。


あの正体不明の宇宙船は絶対に自分のものではないこと。


そして、俺が地球から来たこと。


ソフィアは話を聞き終えると、少し考え込んだ。


「分かりました。」


彼女は落ち着いた口調で言った。


「ですが、一つだけ確実に言えることがあります。」


「現在のあなたの身体状態は、かなり深刻です。」


「記憶の混乱も、おそらく冷凍処置による後遺症でしょう。」


「時間が経てば徐々に回復すると思いますので、あまり無理に思い出そうとしなくても大丈夫です。」


そう言うと、彼女は隣にいるセフィを指差した。


「何か必要なことがあれば、直接セフィに伝えてください。」


それだけ言うと、ソフィアはベローナを連れて部屋を後にした。


その場に残されたのは、ピンク・白・黄色の配色をしたセフィだけだった。


部屋を出た後、ソフィアとベローナは通路で小声で話し始めた。


先に口を開いたのはベローナだった。


「彼の話は信用できるの?」


ソフィアはほとんど迷うことなく答えた。


「問題ありません。」


「翻訳機は彼の発言に対して一切異常反応を示しませんでした。」


「それに、回答も誠実で論理的でした。」


彼女は少し間を置いて続ける。


「だから私は、彼とあの正体不明の宇宙船に直接的な関係はないと判断しています。」


「ただ、なぜ彼が巻き込まれたのかは分かりません。」


それを聞いたベローナは、小さくため息をついた。


「それなら、ずいぶん運が悪いわね。」


そう言ってから、彼女はさらに尋ねた。


「その地球という場所について、何か資料はあるの?」


ソフィアは首を横に振った。


「ありません。」


「おそらく辺境にある無名の惑星なのでしょう。」


「彼の状態が安定したら、改めて情報を集めましょう。」


彼女は遠くへ視線を向けた。


「今はまず、あの正体不明の宇宙船の調査を優先します。」


そう言うと、二人はその場を離れていった。


「ねえねえねえ! 地球ってどんなところなの?」


「向こうの天気はどうなの?」


「地球人は何人くらいいるの?」


「娯楽にはどんなものがあるの?」


その時の俺は、セフィという女性型ロボットから立て続けに質問攻めにされていた。


何と言うべきだろうか。


彼女の好奇心は本当に旺盛だった。


俺は覚えている限りのことを、できるだけ彼女に話して聞かせた。


ソフィアはさっき、ちゃんと休むように言っていたはずだ。


それなのに彼女が出て行った途端、セフィによる「地球百科事典質問大会」が始まってしまった。


しばらく話しているうちに、ふと一つ気になることを思い出した。


そこで何気なく尋ねてみる。


「そういえば、どうしてそんなに簡単に俺の話を信じたんだ?」


俺にとってはありがたいことだが、それでも少し不思議だった。


セフィはそれを聞くと、満面の笑みを浮かべた。


「だって翻訳機には、相手が嘘をついているかどうかを判別する機能があるから!」


彼女は明るい口調で続けた。


「嘘とか、迷いとか、それからグレーな言い回しなんかも分析できるんだよ!」


「ただし、その結果は普通わたしたちにしか見えないけどね。」


その言葉を聞いた瞬間、俺は固まった。


……それはさすがに反則だろう。


こんな技術を外交の場で使われたら、ほとんどチートみたいなものだ。


相手がその機能を知らなければ、情報面での優位はほぼ完全に彼女たちのものになる。


……待てよ。


セフィ、今とんでもない機密をうっかり漏らしたんじゃないか?


額に冷や汗を浮かべながら、俺はセフィを見る。


「誰かに言われたことないか?」


「そういう話は軽々しく口にしちゃ駄目だって。」


セフィは一瞬きょとんとした。


そして次の瞬間、彼女自身も冷や汗を流し始めた。


「あ……えっと……その……わたし……」


しどろもどろになる彼女を見て、俺はすぐに言った。


「今の話は忘れよう。」


「俺が言ったことも忘れる。」


「それから、君が言ったことも忘れる。」


「お互いのために、その方がいいと思わないか?」


セフィは勢いよく何度も頷いた。


「うん!」


……本当に分かりやすい子だ。


とりあえず今の俺は、人並みの格好を取り戻していた。


微妙な気まずさを紛らわせるため、俺はセフィに濡れた服のことを頼んだ。


ところが驚いたことに、この隔離室には洗濯機と乾燥機まで備え付けられていた。


しかも、それらの設備は普段は壁の中に収納されていて、呼び出すと自動的に現れる。


使い終われば勝手に収納されるらしい。


……便利すぎるだろ。


自宅にこもるのが好きな人間や、ミニマルな生活を好む人が見たら歓喜しそうだ。


セフィの説明によると、今の俺はまだ隔離室の外へ出ることができない。


俺の体に感染源や未知の病気が存在しないか確認している最中だからだ。


だが不思議なことに――


俺は自分が精密検査を受けたような感覚をまったく覚えていなかった。


一体どうやって調べているんだ?


プライバシーを重視していると言うべきか。


それとも、俺にはすでにプライバシーなんて存在しないと言うべきか。


……正直よく分からない。


ふかふかになった服へ着替えた後、俺はさっき洗濯機や乾燥機を呼び出したのと同じ方法で、今度はソファを呼び出した。


そしてゆったりと腰を下ろし、引き続きセフィとの雑談を続けた。


彼女の話によると、彼女たちの種族名は――


重姫。


なぜ翻訳機がそう訳したのかは分からない。


だが、なかなか迫力のある呼び名だ。


とりあえず俺はその名称を受け入れることにした。


そして、なぜ翻訳機が彼女たちを「ロボット」と翻訳しなかったのか。


もしかすると彼女たちの文化では、「重姫」という概念そのものがロボットとは別物なのかもしれない。


その辺りは、今後少しずつ理解していけばいいだろう。


「実は、わたしまだ新人なんだ。」


セフィは少し照れくさそうに言った。


「経歴も浅いし、射撃も戦術も成績はあまり良くないの。」


「だから今回の遠征では、少しでもみんなの役に立ちたいんだ。」


俺は話を聞きながら、彼女に対する印象を整理していた。


セフィは身体こそ大きいが、今まで会った三人の重姫の中では一番小柄だ。


そして、どこか高校を卒業したばかりの少女のような雰囲気がある。


情熱的で、


少し世間知らずで、


それでいて親しみやすい。


もし互いのサイズが同じだったなら、


たぶん俺より少し背の低い妹みたいな感じだっただろう。


……ある意味、彼女が地球ではなく、この惑星にいることを喜ぶべきなのかもしれない。


でなければ、こんなに素直な子は、

あっという間に地球人に染まってしまうだろう。


……待てよ。


そんなことを考えている俺は、一体何歳なんだ?


さっき壁に映った反射を利用して、自分の姿を少し確認してみた。


すると、白髪が何本か見えたのだ。


まさか……


もう五十代だったりしないよな?


やめろ。


自分で自分を怖がらせるな。


そうだ。


服以外にも、何か持ち物があったはずだ。


俺はセフィを見る。


「発見された時、俺の持ち物って他にもあったのか?」


「あるよ。」


セフィは頷いた。


「消毒した後、もう隔離室の収納棚に入れてあるの。」


「呼び出せば見られるよ。」


……この部屋、一体どれだけ機能があるんだ?


俺は今までと同じ方法で収納棚を呼び出した。


開けてみると、確かに俺の持ち物が入っていた。


メッセンジャーバッグ。


耐衝撃・防水スマートフォン。


財布。


モンキーレンチ。


ハンマー。


シャベル。


作業用手袋。


質の良いゴーグル。


俺はそれらを見つめながら、思わず考え込んだ。


……俺、もしかして現場監督か何かだったのか?


だが、それ以上に驚いたことがあった。


スマートフォンの電源が入ったままだったのだ。


冷凍されて、


解凍までされたスマートフォンだぞ?


さすがは耐衝撃・防水モデルだ。


丈夫にもほどがある。


俺はスマートフォンを起動して中身を確認した。


間違いなく自分のスマートフォンだった。


そして中には、さまざまな乗り物の写真が大量に保存されていた。


なぜか分からないが、それらの写真には強い親近感を覚えた。


続いて自分の個人情報を確認する。


年齢の欄を見た瞬間、俺は大きく安堵した。


二十五歳。


よかった。


ただの若白髪だったらしい。


その時、セフィが興味深そうに俺の手元を覗き込んだ。


「スマートフォンって何?」


だが、俺が答えるより早く――


建物全体が激しく揺れ始めた。


例えるなら、地球で言う震度五から六程度の地震だろう。


セフィは即座に顔を上げた。


まるで遠くの誰かと通信しているかのようだった。


次の瞬間。


彼女の表情が一気に緊張へと変わる。


彼女は駆け出し、俺のいる四角い隔離室のそばへ飛び込んだ。


そして操作パネルを立て続けに操作する。


すると――


隔離室そのものが、ふわりと浮き上がった。


「ヘル!」


セフィは切迫した声で言った。


「攻撃を受けてる!」


「すぐにこの正体不明の宇宙船から退避しないと!」


「相手の目的は、この船を奪うことなんだ!」


数分前――


ソフィアとベローナは正体不明の宇宙船を出て、屋外へ出ていた。


外は厳しい寒さだったが、彼女たちにはまったく影響がない。


ソフィアは整然と重姫部隊へ指示を出しながら、調査を進めていた。


ベローナはソフィアの傍へ歩み寄る。


「進捗はどう?」


ソフィアは首を横に振った。


「ほとんど成果なしです。」


「材質も、識別番号も、表面の模様も、すべて未知のものです。」


「内側も外側も、まるで破壊できません。」


彼女は軽く船体へ触れる。


「それどころか、あらゆるスキャン信号を吸収してしまいます。」


「ですから今できることは、最も原始的な物理接触による調査だけです。」


ベローナは腰に手を当てた。


「一度戻って、あの人間にもう少し聞いてみる?」


「もしかしたら、少しは記憶が戻っているかもしれない。」


それを聞いたソフィアは首を振る。


「大きな助けにはならないと思います。」


「あの人間自身、現状をまったく把握できていませんから。」


彼女は巨大な船体を見上げた。


「それに、気付きませんか?」


「私たちは船内を普通に歩き回れています。」


「つまり――」


彼女は一度言葉を切る。


「この宇宙船のサイズは、そもそも人類向けに設計されたものではありません。」


「だって……大きすぎますから。」


ソフィアは船体へ手を添えたまま続ける。


「考えてみてください。」


「この宇宙船はアルカディアの防衛線を容易く突破しました。」


「船体にはほとんど損傷がありません。」


「しかも唯一の損傷ですら、私たちが与えたものではない。」


「墜落後も分解することなく、周辺地域の気候そのものを書き換えるほどの莫大なエネルギーを放出しました。」


「結果として巨大な氷山まで形成した。」


彼女は声を落とした。


「これを見て、私は何を感じると思いますか?」


「私たちが最も原始的な方法でしか対処できない、未知の混沌そのものです。」


ベローナもソフィアの言葉を聞きながら宇宙船を見上げる。


「……そう言われると、確かに気分が悪いわね。」


「いつまでここに足止めされることやら。」


その時だった。


二人の頭上で、連続する衝撃音のような轟音が鳴り響いた。


ドォン!


ドォン!


ドォン!


複数の宇宙戦艦が、何の前触れもなく上空へ出現した。


その中には黒煙を上げている艦まで混ざっている。


激しい戦闘を経て、どうにかここまで辿り着いたように見えた。


ソフィアはその艦隊を見上げた瞬間、表情を変えた。


「クロノス?」


彼女は信じられないという顔で呟く。


「そんな……」


「エネルギー波があの星へ届くには、まだかなり時間がかかるはずです。」


「どうしてこんなに早く発見できたんですか?」


「しかも、これほどの大艦隊まで連れて……」


一方、ベローナは即座に状況を判断した。


「アルカディアの外縁防衛線を強行突破してきたみたいね。」


彼女はすぐに武器を構え、周囲へ向かって叫んだ。


「全員、武装!」


「直ちに遮蔽物へ退避!」


「無理に交戦するな!」


空中の宇宙戦艦から、大量の固定ケーブルが投下される。


それと同時に、数え切れないほどの重姫兵士たちも降下してきた。


彼女たちは降下しながら無差別の援護射撃を開始した。


幸い、ベローナが事前に命令を出していたため、アルカディア側に死傷者は出なかった。


しかしその代わり、両軍の間では激しい銃撃戦が始まった。


遮蔽物の後ろへ身を隠したソフィアは眉をひそめる。


「本当にコスト度外視ですね……」


「ここまで大規模に仕掛けてくるなんて。」


「口封じまで兼ねるつもりなんでしょうか。」


ベローナは射撃を続けながら冷静に答えた。


「違うと思う。」


「本当に口封じが目的なら、最初から男性重姫を投入しているはずよ。」


彼女は正体不明の宇宙船を見上げる。


「連中は電撃作戦で、一気に船を奪うつもり。」


「たとえ艦隊が全滅しても構わないと思っている。」


地上へ降下したクロノスの女性重姫たちは、素早くいくつかの部隊へ分かれた。


一部は太い固定ケーブルを使い、正体不明の宇宙船へ何重にも巻き付けていく。


別の部隊は継続して火力支援を行った。


やがて固定ケーブルで拘束された正体不明の宇宙船が、わずかに振動し始める。


その様子を見たベローナは即座に理解した。


この船が奪われるのは時間の問題だと。


彼女はすぐに、まだ宇宙船内部にいるセフィへ緊急通信を送った。


だが――


事態は彼女たちの予想よりさらに悪かった。


激しい振動の後、正体不明の宇宙船はゆっくりと地面から浮上し始めたのだ。


クロノスの重姫たちは、


船体の上に乗っている者もいれば、


内部へ侵入している者もいる。


さらに外側では固定ケーブルを維持し続ける部隊もいた。


そして宇宙船は、強引な追撃が不可能な高度まで急速に上昇していく。


ソフィアとベローナは、その光景をただ見守るしかなかった。


ベローナは歯を食いしばりながら尋ねる。


「アルカディア防衛線へ迎撃要請は出せる?」


ソフィアは頷いた。


「可能です。」


しかしその直後、彼女は首を横に振る。


「ですが、お勧めできません。」


「宇宙戦艦そのものは迎撃できるでしょう。」


「ですが、ヘルとセフィを人質に取られない保証がありません。」


彼女は上昇を続ける宇宙船を見つめた。


その声は今までになく重い。


「それに……」


「私はあの船が攻撃された時、何が起こるのか分かりません。」


「特に――」


「もし爆発した場合。」


ソフィアは数秒間沈黙した。


「アルカディア全体が無事で済む保証はありません。」


正体不明の宇宙船内部。


俺とセフィは、すでに包囲されていた。


「本当に交渉の余地はないのか?」


俺は目の前の重姫たちへ話しかける。


今の空気が最悪であることくらい、俺にも分かる。


だが現状を見る限り、


彼女たちの本当の目的は、この正体不明の宇宙船であって、俺たちではないはずだ。


ならば――


まだ話し合いの余地はあるかもしれない。


俺は深く息を吸った。


「宇宙船なら好きに持っていってくれて構わない。」


「せめて俺たちだけでも降ろしてくれ。」


先頭に立つ重姫は落ち着いた声で答えた。


「私たちが受けている命令は、この正体不明の宇宙船を回収することです。」


俺は少しだけ安堵した。


しかし次の一言で、再び地獄へ突き落とされる。


「中に存在するすべてを含めて。」


……Mother fucker.


最後まで一度に言えよ。


落ち着け。


まだ諦めるわけにはいかない。


俺は交渉を続けた。


「だったら本当に必要なのは、この船と俺だけのはずだ。」


「後ろにいる彼女は、ただの末端兵士だ。」


「彼女を帰してくれるなら、俺はできる限り協力する。」


「悪くない取引だと思わないか?」


正直に言えば、


仮に取引が成立したとしても、俺が提供できる情報なんてほとんどない。


なにしろ、この船について俺自身まったく知らないのだから。


そう考えると、


損をするのはむしろ向こうの方だ。


……そう思うと少し笑えてくる。


しかし俺の言葉を聞いたセフィは、明らかに息を呑んだ。


先頭の重姫は少しの間沈黙した後、微笑んだ。


「魅力的な提案ですね。」


「確かにあなたには交渉する価値があります。」


俺は安堵しかけた。


だが次の瞬間。


彼女は続きを口にする。


「ですが、あなたの発言には意図的な誘導の可能性が含まれています。」


……You mother fucker.


そうだった。


この翻訳機は裏切り者だった。


これを設計した連中は、こういう状況を想定しなかったのか?


こんな時だけ優秀になるなよ。


俺は心の中で固く誓った。


機会があれば、


絶対にこの機能を停止させてやる。



次の手を考えていた、その時だった。


突然、セフィが動いた。


彼女は隔離室の操作パネルを素早く何度か操作する。


次の瞬間――


隔離室そのものが凄まじい速度で前方へ突進した!


ドォン!


進路上にいた数名の重姫が、そのまま弾き飛ばされる。


そしてセフィは隔離室の後部へしがみつき、そのまま一緒に突進を始めた。


「セフィ!」


俺は思わず叫ぶ。


「この隔離室、一体どれだけ機能があるんだ!?」


高速移動中だというのに、セフィは得意げな笑みを浮かべた。


「だってこれは医療隔離居住ポッドの一種なんだよ!」


「高速移動くらい基本機能!」


「他にもワクチン接種とか、お掃除とか、お風呂とか、睡眠支援とか色々できるの!」


さらに彼女は笑顔で付け加える。


「必要なら、中の生命体を危険から守ることだってできるんだから!」


「例えば高所からの落下とか!」


正直、もはや超技術の隔離室程度では驚かなくなっていた。


それよりも今の発言で、俺は彼女の考えを理解してしまった。


俺はセフィを見る。


「つまり……俺ごと隔離室を外へ投げ捨てるつもりか?」


セフィは当然という顔で笑った。


「そうだよ?」


そして続ける。


「わたしは飛び降りたりしないけどね。」


「さすがにこの高さは無理だもん。」


彼女はとても楽しそうに笑った。


「でも、ヘルを押し出せたらわたしの勝ち!」


それを聞いて、俺は慌てて言う。


「だったらせめて俺を外へ出してくれ!」


「何か手伝えるかもしれないだろ!」


セフィは俺の言葉を聞くと、再び操作パネルを数回操作した。


「はい、完了~♪」


仕事を終えたような満足そうな表情を浮かべる。


「ちゃんとロックしておいたよ!」


俺は二秒ほど沈黙した。


そして頭の中に浮かんだ言葉は一つだけだった。


……What the fuck?


その時だった。


突然、非常に懐かしい感覚が襲ってくる。


バランスの崩壊。


重心の移動。


修正不能。


横転。


そう。


俺たちはひっくり返った。


隔離室が外部からの衝撃によって吹き飛ばされ、空中で回転したのだ。


だが、さすがは高性能医療隔離室だった。


横転した瞬間、内部へ大量の柔らかいエアバッグが展開される。


俺の身体は完全に包み込まれた。


衝撃が収まると、エアバッグはすぐに萎み、元の状態へ戻る。


どうやらセフィの説明は誇張ではなかったらしい。


この装置の保護性能は異常なほど高かった。


まるで危険そのものを隔離しているようだ。


我に返った時には、ようやく状況を理解していた。


出口付近に待機していた敵の重姫たちに阻止されたのだ。


俺はセフィを見る。


彼女の表情は明らかに焦っていた。


急いで立ち上がると、今度は足で俺ごと隔離室を蹴り飛ばそうとする。


だが――


間に合わなかった。


敵の重姫の方が速かったのだ。


ドォン!!


敵の重姫が放った蹴りが、セフィへ直撃する。


その威力は異常だった。


セフィの身体はそのまま天井近くまで吹き飛ばされる。


衝突音は、隔離室の中にいる俺にもはっきり聞こえた。


そして彼女は地面へ叩きつけられ、


そのまま動かなくなる。


俺はもう座っていられなかった。


以前設備を呼び出した時の感覚を真似しながら、


翻訳機を通じて隔離室へ呼びかける。


「開けろ!」


しかし操作パネルは赤く点灯した。


拒否。


……まさか本当にロックしたのか?


俺はもう一度試す。


今度はさらに強く意志を込めた。


「誰かが危険なんだ!」


だが隔離室は再び赤く光る。


ただし今回は拒否表示だけではなかった。


新たな通知が表示される。


《隔離プロセス未完了。ワクチン未接種。》


俺は一瞬固まった。


今の反応は、これまでと明らかに違う。


まさか――


翻訳機は、本当に「意思」そのものを伝達しているのか?


俺はさらに強く要求した。


「だったら今すぐ打て!」


「終わったらすぐに出せ!」


再び赤い光が点灯する。


続いて新しい表示が現れた。


《現在のワクチンは完全版ではありません。実施に同意しますか?》


……あるならそれでいい。


完璧なんて求めていない。


早くしろ。


プシュッ――


小さな作動音と共に、鋭い痛みが走った。


正直、どこから注射針が出てきたのか分からない。


だがそんなことはどうでもよかった。


次の瞬間。


パッ!


隔離室の扉が勢いよく開いた。


俺は即座に飛び出した。



俺はすぐにセフィの元へ駆け寄った。


そして彼女の身体へ手を伸ばす。


触れた感触はひんやりとしていた。


少し驚いたが、よく考えれば俺と彼女は別種族だ。


人間と同じ基準で判断できるはずがない。


問題は、セフィがうつ伏せになっていることだった。


表情が見えないため、状態を確認しづらい。


そこで俺は背中の構造を探り始めた。


生命反応を確認できそうな場所を見つけるためだ。


その時――


俺は一つの構造物に触れた。


まるでグリップのような形状だった。


そしてそれを握った瞬間。


強烈な既視感にも似た感覚が、脳内へ流れ込んできた。


この感覚……


どこかで覚えがある。


そうだ。


さっきスマートフォンの中にあった乗り物の写真を見た時と同じだ。


一枚一枚の写真。


一台一台の乗り物。


俺はそれらを信じられないほどよく知っていた。


単に見覚えがあるという話ではない。


――実際に運転したことがある。


自動車。


バイク。


建設機械。


その他、数え切れないほどの乗り物。


それらの操縦方法は、ほとんど本能のように身体へ染み付いていた。


そして、その瞬間。


俺は思い出した。


そうだ。


俺はドライバーだった。


地球で様々な乗り物を操縦してきた。


その考えが閃きとなって脳裏を走る。


翻訳機が俺の意思を機械へ伝達できるのなら――


もしかして。


同じことをセフィにもできるんじゃないか?


俺は軽くセフィの身体を揺する。


意識が残っていることを確認するためだ。


彼女はゆっくりと目を開いた。


そして俺を見る。


どこか悲しそうな表情だった。


その顔を見て、俺は自然と笑っていた。


「大丈夫だ。」


「方法がある。」


「試させてくれるか?」


セフィはまったく迷わなかった。


すぐに頷く。


「うん。」


……本当に素直な子だ。


背後では敵の重姫たちが俺を拘束しようとしている。


だが俺は意識的にそれらを無視した。


全神経をセフィへ集中させる。


両手でグリップをしっかり握る。


両足は腰の近くにある突起構造へ乗せた。


この感覚は……


ロッククライミングに近い。


いや。


むしろ――


超大型バイクへ跨ったような感覚だった。


俺は自分の意思を。


操縦感覚を。


そして運転手としての直感を。


一切残さず流し込む。


次の瞬間。


セフィの腕が勢いよく伸びた。


彼女は、まさに今俺を引き離そうとしていた敵の重姫を掴み取る。


そして――


ガキィッ!!


背筋が寒くなるような音が響いた。


敵重姫の腕が、関節部分から強引に引きちぎられたのだ。


周囲の敵重姫たちは一斉に動きを止めた。


その瞬間、


この場の空気が完全に変わる。


殺気が膨れ上がった。


セフィはぱちぱちと瞬きをする。


そして自分の手を見る。


そこには――


さっき引きちぎったばかりの腕が握られていた。


「うぇぇ~~」


彼女は露骨に嫌そうな顔をした。


そしてゴミでも捨てるように、その腕を放り投げる。


「ど、どうして!?」


セフィは心底驚いた様子で叫ぶ。


「わたし、なんでこんなことしたの!?」


そして勢いよく俺を見上げた。


「ヘル! これってあなたがやったの!?」


正直なところ、俺にも百パーセントの確信はなかった。


だが、さっきの動きは間違いなく俺が知っている関節技の一つだった。


だから俺は答える。


「……たぶんな。」


そしてすぐに意識を次の行動へ向けた。


さっきの同期によって、俺は完全に理解していた。


セフィの身体の特性を。


彼女の関節は驚くほど柔軟だ。


模型に例えるなら、ほとんど全ての関節に死角がない。


可動域は広く、


弾性も高い。


これを上手く利用すれば――


負荷を大幅に軽減できる。


速度を飛躍的に向上できる。


人間には不可能な動きさえ実現できる。


壁や天井を利用した連続跳躍も可能だ。


重心制御さえ正確なら、垂直な壁面へ一時的に留まることすらできる。


俺はセフィを操りながら、


信じられないほど軽快な動きで敵陣を駆け抜けた。


こちらへ伸びてくる無数の手は、


すべて容易く回避されていく。



出口へ向かう途中で、俺はついでに一つだけ仕返しをした。


壁から得た反作用を利用し、


全力で一人の重姫へ蹴りを叩き込む。


相手は、先ほどセフィを蹴り飛ばしたあの重姫だった。


結果は確認していない。


だが、さっき以上に派手な衝突音が聞こえたことから考えると――


しばらく立ち上がれないだろう。


一方のセフィはというと……


どうやら今起きていることを理解する余裕がまったくないらしい。


移動中ずっと、


「わぁぁっ――!」


とか、


「きゃあああ――!」


とか、


そんな声ばかり上げていた。


興奮しているのか。


怖がっているのか。


正直よく分からない。


……たぶん両方だろう。


だが、率直に言ってしまえば。


この操縦感覚は、かなり悪くなかった。


やがてハッチの近くへ辿り着く。


出口は目の前だ。


しかも開きっぱなしになっている。


外では激しい風が吹き荒れていた。


その下には、


見ているだけで足がすくみそうな超高高度の空間が広がっている。


……だが。


問題なさそうだった。


俺は迷わずセフィを操り、


そのまま外へ飛び出した。


「きゃああああああああああああ――!!」


今度の悲鳴は間違いなく本物だった。


だが正直なところ、


怖がる理由はあまりない。


なぜなら宇宙船の外側には、


正体不明の宇宙船を固定するためのケーブルが、嫌になるほど張り巡らされていたからだ。


俺はセフィの腕を伸ばし、


そのうちの一本をしっかりと掴ませる。


そして振り子の原理と重心移動を利用しながら、


まるで振り子のように身体を大きく振る。


その勢いを利用して、


俺たちは正体不明の宇宙船の甲板上へ向かって飛んだ。


着地は完璧だった。


俺は上空を見上げる。


そこには無数の宇宙戦艦が浮かんでいた。


正直、もっとじっくり眺めてみたい。


だが甲板の上には、


まだまだ敵の重姫たちが待ち構えている。


俺は攻撃を回避しながら周囲を観察した。


するとすぐに目的のものを見つける。


何本かの固定ケーブルは特に強固に結び付けられており、


そのまま上空の宇宙戦艦へ繋がっていた。


よし。


あれだ。


俺は足先で地面に落ちていた戦斧を跳ね上げる。


そのまま手で受け取る。


身体を回転させる。


セフィの柔軟性。


関節の可動域。


そして遠心力。


その全てを利用して、


戦斧を全力で投げ放った。


戦斧は狙い違わず、


一本のケーブルを切断する。


その間もセフィは、


完全について来られていないようだった。


それでも何とか言葉を絞り出す。


「つ、次はどうするの!?」


「斧一本で宇宙戦艦なんて落とせないよ!?」


俺は思わず笑った。


「誰が宇宙戦艦を落とすなんて言った?」


「俺が欲しいのは、ただ一本のロープだ。」


俺がそう言った直後だった。


切断されたケーブルが、


上空から落下してくる。


セフィは完全に呆然としていた。


「ど、どうしてあのロープを狙えたの!?」


俺は肩をすくめる。


「知らない。」


「たぶん……勘だ。」


そして何気なく尋ねた。


「スパイダーマンって知ってるか?」


セフィは全力疾走しながら困惑した声を出した。


「クモなら知ってるけど……」


「『マン』って何?」


俺は答えなかった。


その代わり、


落下してくるケーブルへ向かって一直線に突っ込む。


そのケーブルの片側は、


まだ正体不明の宇宙船へ固定されたままだ。


俺は迷うことなく、


セフィを操って飛び降りた。


「きゃあああああああああああああ――!!」


今度は完全な絶叫だった。


落下するにつれ、


重力によって加速していくのがはっきり分かる。


だがセフィが掴んでいるケーブルは非常に頑丈だった。


俺たちの重量程度ではびくともしない。


俺はケーブルを強く握らせることはしなかった。


少し力を緩め、


滑り降りるように下降する。


このケーブルはもともと宇宙戦艦から伸びていたものだ。


上へあれだけ長く伸びていたのだから、


下へ垂れ下がる長さも当然相当なものになる。


ケーブルを使い切った時、


残った高度で安全に着地できる保証はない。


だが――


まあいい。


その時はその時だ。


そしてケーブルが尽きようとした瞬間。


俺はセフィの手に力を込めさせた。


次の瞬間――


俺たちはスパイダーマンのように、


大きな弧を描きながら空中を駆け抜けた。


真下へ向かっていた速度は、


一気に前方への慣性へ変換される。


落下衝撃も大幅に軽減された。


その時には、


下の地面がはっきり見えていた。



だが、本当の地面はさらにその下にある。


今、俺の目に映っているのは、


この正体不明の宇宙船が墜落した際に形成された巨大氷山の頂上部分だった。


よし。


着地できる場所はある。


ならば――


その可能性を最大限に活かす。


俺は即座に重心を調整し、


セフィを氷山の頂上へ向かって全力で飛ばした。


セフィの体重は決して軽くない。


この惑星の重力がどの程度なのかは分からない。


だが、両足で無理やり着地するよりも、


滑走によって衝撃を分散させた方が安全なのは間違いない。


それに何より――


俺は転倒した勢いで、


血と肉の塊になってセフィの背中へ貼り付くなんて真似は御免だった。


俺は重心を合わせる。


彼女の全身に存在する関節の弾性を利用し、


衝撃を全体へ分散していく。


そして今回の着地で最も重要なのは腰だった。


片腕は支え。


もう片方はバランス維持。


どちらが欠けても成立しない。


ザァァァァ――!


ザァァァァ――!


ザァァァァ――!


氷面に長い滑走痕が刻まれる。


大量の氷片が周囲へ舞い上がった。


速度は凄まじかった。


それでも俺たちは、


ほとんど完璧と言っていい着地を成功させる。


……残念なことに、


この氷山はほとんど何もない。


減速に利用できそうな障害物も存在しなかった。


つまり――


止まれない。


ならば仕方ない。


滑れるだけ滑る。


俺は振り返り、


運び去られていく正体不明の宇宙船を見た。


その高度は今もなお上昇し続けている。


思わず苦笑が漏れた。


……本当に洒落にならない高さだ。


どうやら向こうも、


わざわざ俺たちを追い掛けるつもりはないらしい。


助かった。


俺は視線をセフィの手へ移す。


掌にはかなりの擦り傷が増えていた。


だが内部まで損傷している様子はない。


発熱や異常反応も見られなかった。


頑丈だな。


俺は細かく重心を調整しながら滑走を続ける。


高速移動によって巻き上がる大量の雪は、


思った以上に綺麗だった。


見ているうちに、


ふと馬鹿なことを考えてしまう。


……ここに練乳でもかけたら美味そうだな。


どうやら本格的に糖分が不足しているらしい。


セフィも徐々に先ほどの混乱から立ち直り始めていた。


彼女は顔を上げ、


果てしなく広がる氷原の景色を見渡す。


俺は思わず笑った。


「はは、悪くないだろ?」


「地球でも、この世界でもさ。」


「こんな巨大な氷の上を滑りながら、こんな景色を眺める機会なんて滅多にないと思うぞ。」


目の前の巨大な氷山は、


そのほとんどが水でできている。


空の色をそのまま反射し、


どこまでも続いていた。


見方によっては、


まるで空の上を滑っているようにすら見える。


セフィも俺と同じように、


その景色へ見入っていた。


そして小さく感嘆の声を漏らす。


「……わぁ~」


やがて最後の慣性が失われる。


セフィの巨大な身体も、


ついに完全に停止した。


そして俺たちは、


ようやくセフィたちの野営地を発見する。


俺は両手を離し、


セフィの背中から飛び降りた。


すると野営地の中が一気に騒がしくなる。


後方支援担当の重姫たちが次々と駆け寄ってきた。


死地から帰還したセフィを囲み、


点検したり、


喜んだり、


大騒ぎになっている。


まるで戦場から帰還した英雄を迎えるような雰囲気だった。


一方の俺は、


そっと整備区画の隅へ移動する。


物資箱の横に腰を下ろした。


激しい動きで乱れ、


氷片や汗まで付着した服を軽く整える。


そして箱へ背中を預け、


大きく息を吐いた。


視線を落とし、


自分の手を見る。


さっきまでの――


あの感覚が、


まだ微かに残っている気がした。


不思議だった。


俺は運転手だ。


これまで様々な乗り物を操縦してきた。


だが――


意識を持った存在を操縦したのは初めてだった。


あれは今までのどんな乗り物とも違う。


操縦というより、


むしろ同期に近い。


何とも言えない感覚だった。


嫌ではない。


だからといって、


好きとも言い切れない。


俺はそんなことを静かに考えていた。



数分後。


ソフィアとベローナはブリーフィングルームに座り、


セフィが送信してきた戦闘記録映像を見ていた。


ヘルが強引に隔離を解除した場面から始まり、


セフィとの同期、


そしてその後に続いた常識外れの一連の動きまで。


二人は最後まで映像を見終える。


そして同時に額へ手を当てた。


沈黙が数秒間続く。


やがてソフィアが深くため息を吐いた。


「……ようやく分かりました。」


「なぜあなたが映像付きで報告したがったのか。」


彼女はこめかみを揉みながら言う。


「ご苦労様でした。」


少し間を置き、


さらに付け加えた。


「それとも――」


「理解するのが困難すぎる、と言うべきでしょうか。」


分析や推理を得意とするソフィアでさえ、


今は言葉を失っていた。


ベローナは眉をひそめ、


ソフィアを見る。


「あなたがあの人間へ渡した翻訳機って、そんな特殊仕様だったの?」


「それとも……もともとあんな機能があるの?」


ソフィアは即座に首を横へ振った。


「まさか。」


「ただの標準型翻訳機です。」


「他の炭素系生命体へ渡したとしても、あんな現象は絶対に起きません。」


彼女は一度言葉を切る。


そして断言した。


「もし翻訳機に制御権の奪取機能などあったなら。」


「とっくの昔に私たち自身が他者へ支配されているはずです。」


「理論上、翻訳機の優位性は私たちの側にあるべきものですから。」


そして先ほどの交渉場面を思い出したのか、


小さく苦笑した。


「もっとも、ごく一部の状況では。」


「その優位が裏目に出ることもありますが。」


ソフィアは再び映像へ視線を戻す。


「ですが確実に言えることがあります。」


「翻訳機そのものに、重姫を操作する機能は存在しません。」


「つまり――」


「先ほど起きたことは、すべてヘル自身が成し遂げたということです。」


ソフィアは気持ちを整理すると、


傍らに座るセフィへ目を向けた。


「ごめんなさい。」


「今回の件で、かなり不快な思いをしたでしょう。」


「任務が終わったら、有給休暇を申請して構いません。」


だが――


セフィはどこかぼんやりした表情を浮かべていた。


反応も少し遅い。


「え……?」


ぱちりと瞬きをする。


不調どころか、


まるで何か不思議な余韻に浸っているようだった。


ほんのり赤く染まった頬。


そして身体が痺れるような、


どこか蕩けた表情。


そのせいで、


部屋の空気が急に妙なものになる。


数秒の沈黙。


やがてベローナが声を潜めて尋ねた。


「……まさか。」


「この現象って感染するの?」


ソフィアは額を押さえながら、


硬い声で答えた。


「あるいは……」


「依存性のようなものかもしれません。」


ベローナは一瞬固まった。


そして次の瞬間、


勢いよく立ち上がる。


「あっ!」


「そういえば報告書にあったわよね!?」


「あの人間、検査が終わる前に隔離室から飛び出したって!」


彼女は顔を赤くしながら叫んだ。


「駄目だわ!」


「今すぐあいつを捕まえて、全身検査をやり直さないと!」


そう言い残すと、


ベローナはそのまま部屋を飛び出していった。


残されたのは、


どこか気まずそうな表情のソフィアと、


まだ奇妙な余韻から抜け出せないセフィだけだった。



重姫駆動-比例


挿絵(By みてみん)


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

少しずつこの世界を広げていきますので、よろしければ次回もお付き合いください。

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