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塩焼きそばにタルタルをぶっかけるのは合法ですか?



 私立聖華女子学園の昼休みは、百花繚乱の庭園を思わせる華やかさに満ちている。


 お嬢様学校というわけではないが、全寮制の女子高ということもあり、生徒たちの美意識は総じて高い。そんな洗練された女子高生たちの中でも、一際まばゆい光を放っているのが、二年生のクラスに在籍するいぬい双子姉妹であった。


「ねえ、今日の乾さんたちも素敵ね…」


「本当。見てるだけでこっちまで女子力が上がりそう」


 クラスメイトたちの羨望の眼差しの先。窓際の席で上品に机を並べ、お弁当箱を開いているのが、姉の詩織と妹の栞奈だ。


 姉の詩織は、色素の薄いゆるふわなセミロングの髪をさらりと揺らし、おっとりとした微笑みを浮かべている。授業中にどれだけコックリコックリと居眠りをしていても、「まるでおとぎ話の妖精のよう」と称される、天性の儚げ美少女だ。


 一方、妹の栞奈は、艶のある黒髪ショートカットにアンダーリムのメガネ。背筋をピンと伸ばし、完璧なノートを取る姿は「クールで知的な学年トップクラスの優等生」として、後輩からも慕われていた。


 そんな二人が今日、お弁当箱から取り出したのは、彩り鮮やかな「手作りオーガニック・ヘルシーランチ」だった。


 白米の姿はなく、代わりに敷き詰められているのはブロッコリーとミニトマト。メインのおかずは、丁寧に油分を落とした蒸し鶏の胸肉と、味付けなしのゆで卵である。


「乾さん、やっぱりスタイル維持のために、お昼は糖質制限してるの?」


 クラスメイトの一人が、自分の購買の焼きそばパンを恥ずかしそうに隠しながら尋ねる。


 栞奈はメガネのブリッジを人差し指でクイと上げ、いかにも知的な優等生らしいトーンで答えた。


「ええ。午後からの授業で集中力を切らさないためにも、血糖値を急上昇させない食事を心がけているんです。ビタミンと良質なタンパク質を中心に摂取するのが、体調管理の基本ですから」


「すごーい、やっぱり違うなぁ! 私なんて昨日の夜、我慢できなくてカップ麺食べちゃって、今朝すっごく自己嫌悪だったんだよね」


「ふふ、たまにはそういう息抜きも必要ですよぉ」


 詩織がふんわりと聖母のような笑みを添える。クラスの女子たちは「なんて意識が高いの」「見習わなきゃ」と、感動の溜め息をもらして去っていった。


 だが。


 周囲に人がいなくなった瞬間、二人の仮面は静かに剥がれ落ちる。


(味気ない。味が、しないよぉ…)


 詩織は、味付けの薄い蒸し鶏を虚ろな目で咀嚼しながら、心の中でシクシクと泣いていた。


(限界。もう限界だよ。今日の数学の小テスト、難易度設定がおかしすぎた。脳の糖分も、塩分も、油分も、何もかもを使い切った。私は今、猛烈にガツンとしたものが食べたい。具体的に言うなら、茶色くて、油ぎっていて、体に悪い味がするやつだ…!)


 栞奈は、無表情を装いながらブロッコリーをフォークで突き刺し、心の奥底で獣のように咆哮していた。


 周囲から向けられる「美のカリスマ」という期待の目。それに応えるために、昼間は徹底してヘルシーを演じる二人だが、その反動は、確実に彼女たちの胃袋を蝕んでいたのである。


 そして、運命の深夜がやってくる。


 午前二時。


 寮の部屋は静まり返り、冷たい月光だけが室内を照らしている。


 栞奈は、あまりの空腹と昼間のエネルギー不足のせいで、激しい胃の痛みを覚えて目を覚ました。寝返りを打ち、お腹をさすりながら天井を仰ぐ。


(ダメだ…寝られない。お腹がすきすぎて、夢の中にまで巨大な唐揚げが出てきた)


 ふと、部屋のローテーブルの方へ目を向ける。そこには、すでにベッドを抜け出していた人影があった。


 姉の詩織だ。彼女はジャージの萌え袖を器用に使い、暗闇の中で何やら「ゴソゴソ」と不穏な音を立てていた。


「…お姉ちゃん? 何してるの?」


 栞奈が掠れた声で呼びかける。


 詩織はゆっくりと振り返った。その手には、昼間のオーガニック弁当からは天地がひっくり返っても想像できない、四角いプラスチックの容器が握られていた。


「起きたんだね、栞奈。…ふふ、見て。お昼にクラスのみんなが噂していたから、どうしても我慢できなくなっちゃって、購買の棚の奥から救出してきたの」


 詩織が月光にかざしたのは、お馴染みの市販品『濃厚にんにくレモンペッパー・塩焼きそば』のカップ麺だった。


「だ、ダメだよお姉ちゃん!」


 栞奈はベッドからガバッと起き上がり、メガネを装着して詩織に詰め寄った。声のトーンは、昼間の優等生のものとは違い、完全に焦燥しきっている。


「夜中の二時にカップ焼きそばなんて狂気の沙汰だよ! しかも普通のソースじゃなくて塩焼きそば!? 塩分過多で明日の顔のむくみが殺人レベルになる! 乾姉妹の美のブランドが崩壊しちゃう!」


「大丈夫だよ栞奈、落ち着いて」


 詩織は、まるで興奮した幼児をあやすかのような優しい声で、大真面目な顔をして言った。


「普通のソース焼きそばは、茶色いからカロリーがあるでしょ? でもね、塩焼きそばのソースは『透明』なの。透明っていうことは、光を透過するから実質カロリーゼロなんだよ? むくむ成分なんて、どこにも入ってないの」


「入ってるよ! ナトリウムの暴力だよ! 透明だからゼロなんてそんな理屈が通るわけないでしょ!」


「それにね…ふふふ、ただの塩焼きそばじゃないんだよ。これを使うの」


 詩織がニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ミニ冷蔵庫から取り出したのは、ずんぐりとした形のボトルだった。


「タ…タルタルソース!?」


「そう。冷蔵庫の奥で出番を待っていた、具だくさんタルタルソース。これをね、出来上がった塩焼きそばの上に、ドバドバドバッてぶっかけるの。塩焼きそばのにんにくの塩気と、タルタルの卵の甘み、マヨネーズのコク、そしてレモンペッパーの酸味…合体したら、実質チキン南蛮だよ? チキン南蛮はお昼に食べた胸肉と同じだから、完全なヘルシーフードだよ?」


「チキン南蛮は揚げ物だしタルタルは脂質の塊だよ!!」


 栞奈のツッコミが冴え渡る。しかし、詩織の口から語られる「にんにく塩だれ×具だくさんタルタル」という禁断の掛け算が、栞奈の脳内に直接、暴力的なまでの味覚イメージを叩き込んできた。


 レモンが爽やかに香る塩焼きそば。そこに絡みつく、粗切りのゆで卵と玉ねぎがゴロゴロ入った濃厚なタルタルソース。


 じゅるり。


 栞奈の口内に、限界突破した唾液が溢れ出す。


 昼間のブロッコリーと蒸し鶏で飢えきっていた胃袋が、その「悪魔のレシピ」を拒絶できるはずがなかった。


「お姉ちゃん…」


 栞奈はメガネの奥の目をギラリと光らせ、ヤケクソ気味にジャージの袖をまくり上げた。


「夜中に焼きそばにタルタルをぶっかけるなんて、合法なわけがない。でも、私の脳が、今すぐそれを調理しろって命令してる。…今日だけ、今日だけだからね! 明日の朝、フェイスマッサージを一時間やるのを条件に、執行猶予をあげます!」


「さすが栞奈、話がわかるねぇ」


 調理が始まれば、栞奈の動きは無駄のない職人のそれだった。


 寮の共用キッチンの使用時間は過ぎているため、部屋にある電子ケトルで、極限まで静かにお湯を沸かす。カップのフタをそっと剥がし、かやくを投入。


 熱湯を注ぎ、フタの上で液体ソースを温める。時計の針が刻む時間を睨みつけながら、栞奈はあえて、本来の指定時間よりも「十秒早く」湯切りを行うことを決意した。


「お姉ちゃん、湯切り用のビニール袋持って。一滴もこぼさないようにね」


「任せて」


 シンクを使わず、部屋の中で静かに湯切りを完了させる。


 フタを完全に剥がすと、蒸気とともに、小麦の香ばしい匂いが立ち上った。そこへ、にんにくのガツンとした香りが効いた特製塩だれと、黒胡椒が効いたレモンペッパー粉末を投入する。


 刹那。


 二一五号室の空気は、完全に「深夜のラーメン街道」へと変貌した。


「くっ…! このにんにくの匂い、すでに犯罪的!」


「早く、栞奈。仕上げの儀式を…!」


 栞奈は、タルタルソースのボトルを掴むと、ためらいなくカップの真上で逆さにした。


 ブ、ブチュチュチュ。


 心地よい音を立てて、白いタルタルソースが、塩だれでツヤツヤと輝く麺の上にうず高く盛られていく。それはまるで、ジャンクの最高峰に君臨する雪山のようだった。


「完成『深夜二時の特製タルタル塩焼きそば・レモンペッパー仕立て』!」


 二人は吸い寄せられるようにローテーブルの前に正座した。


 箸を二一五号室の静寂の中でパチンと割り、視線を交わす。


「「いただきます!」」


 栞奈は、箸をタルタルの山へと突き刺し、下の塩焼きそばごと豪快に巻き込んだ。


 少し硬めに茹で上げた縮れ麺に、タルタルソースの細かく刻まれたゆで卵と玉ねぎが、これでもかと絡みついてくる。月光に照らされて、油とマヨネーズが怪しく、しかし美しく輝いていた。


 一気に、口の中へとかき込む。


「ーーーーーーっ!!」


 衝撃が、栞奈の全身を駆け抜けた。


 口に含んだ瞬間、まずガツンと弾けたのは、塩だれのにんにくの強烈な旨味と塩気だ。しかし、それを追うように、タルタルソースのまろやかなコクと、玉ねぎのシャキシャキとした食感が押し寄せてくる。


 特筆すべきは、レモンペッパーの効果だった。にんにくとタルタルという、本来なら胃もたれを連れてくるはずの濃厚コンビが、レモンの爽やかな酸味と黒胡椒のピリッとした刺激によって、驚くほど軽快な味わいへと昇華されている。


「んんんんんーーーっ!! 美味い! 美味すぎるよお姉ちゃん!!」


 栞奈は、昼間の「クールな優等生」の面影を完全に失い、目を剥いて麺をすすり続けた。


「塩焼きそばの鋭い塩気と、タルタルの甘酸っぱさが完璧に調和してる! 湯切りを十秒早くしたから、麺の噛みごたえがガシガシしてて、ジャンク感をさらに加速させてる…! 箸が、脳の命令を聞かずに勝手に動く!」


「でしょ? タルタルソースの酸味はフルーツと同じだから、実質これはビタミン補給のデザートなんだよぉ」


 詩織も、普段の儚げな様子はどこへやら、頬袋をリスのようにパンパンに膨らませて麺を貪っていた。


「あはは、美味しいねぇ、栞奈。お昼のあのパサパサした胸肉が、この瞬間のためにすべて伏線だったんだよ。私たちは今、救われてるの」


「もう、むくみなんてどうでもいい! 私は今、この瞬間のために生きている!!」


 二人の箸の動きは加速する。


 ジュルジュル、ズズズ、と深夜の女子寮にあるまじき野生的な咀嚼音が響く。


 にんにく塩だれの油をまとった麺が、タルタルを絡め取りながら、二人の飢えた胃袋へと次々に吸い込まれていく。昼間の「オーガニック弁当」という抑圧から解放された乾姉妹は、まさに無敵のドカ食いマシーンと化していた。


 開始から、わずか三分。


 大容量サイズだったはずのカップ焼きそばは、跡形もなく消え去っていた。プラスチックの容器の底には、わずかに残ったタルタルソースの残骸と、レモンペッパーの黒い粒が寂しく張り付いているだけだ。


「はぁ。終わってしまった…」


 栞奈は、空になったカップを見つめ、魂が抜けたような声を漏らした。


 口の中に残る、にんにくとタルタルの圧倒的な多幸感。そして、一歩遅れてやってくる、冷や汗が出るほどの「罪悪感」。


 チラリとゴミ箱へ目をやると、そこには、数分前までたっぷり入っていたはずのタルタルソースのボトルが転がっていた。中身は、明らかに半分以上が消費されている。


「お姉ちゃん…私たち、やっちゃった。タルタルソースを半分も夜中に直飲みしたようなものだよこれ。明日の朝、絶対に顔がパンパンになって、クラスのみんなに『乾さん、どうしたの!?』って言われるよ」


 メガネの奥の目を涙で潤ませ、己の理性の弱さを呪う妹。


 そんな栞奈の肩を、詩織は萌え袖の手で優しくポン、と叩いた。その顔には、一点の曇りもない、神々しいまでの笑顔が浮かんでいた。


「大丈夫だよ、栞奈。タルタルソースの半分は『玉ねぎ』と『卵』だから、実質サラダだよ。焼きそばの麺も、よく噛んで食べたから消化のエネルギーで相殺されてるの。だから、昨日の夜より今の私たちのほうが、むしろ痩せてる可能性すらあるよ」


「そんな都合のいい体内メカニズムがあるわけないでしょーーーー!!」


 午前二時半。


 にんにくの匂いが充満する二一五号室で、妹の、音量をギリギリで抑えた魂の咆哮が再び響き渡った。


 そして、翌朝。


 学園の女子トイレの大きな鏡の前。


 そこには、必死の形相で自分のアゴの下をグイグイと押し上げ、フェイスラインをマッサージする二人の美少女の姿があった。


「くっ…! やっぱりちょっとむくんでる! いつもよりフェイスラインが丸い気がする!」


「気のせいだよぉ、栞奈。これはむくみじゃなくて、昨日の『美味しかった記憶』が、まだお顔に残ってるだけだから」


「それを世間一般では『太った』って言うんだよお姉ちゃん!!」


 昨日あれだけ「美意識が高い」と憧れていたクラスメイトたちが、トイレに入ってきてその様子を不思議そうに見つめる。


 優等生の栞奈は、ハッと我に返ると、何事もなかったかのようにメガネをクイと上げ、キリッとした表情で言った。


「おはようございます。ちょっと、小顔のツボを刺激する高難度のマッサージを試していたところです。皆さんもいかがですか?」


「わあ、さすが乾さん! 朝から美への追求がすごいのね!」


 なんとかその場を取り繕ったものの、栞奈の背中には冷や汗が流れていた。


 乾姉妹の、世間への見栄と、深夜のギルティな欲望の戦いは、まだまだ終わる気配を見せない。


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