第61話 少年従僕来訪
北方の朝は冷たい。
まだ春にもなりきらない空気が、山から吹き下ろしてくる。
その風の中で、小さな町が目を覚ましていた。
市場では農民たちが荷車を引き、木箱を並べて野菜や穀物を並べ始めている。
パン屋の窯には火が入り、香ばしい匂いが漂っていた。
鍛冶屋では赤く焼けた鉄を打つ槌音が響く。
木材を運ぶ男たち。
井戸で水を汲む女たち。
そして石畳を敷く職人たち。
ここは北方の開拓地。
レスティーナ・フォン・グランテが王命によって統治を任された土地だ。
開拓が始まったのは――
**ほんの数ヶ月前。**
だがその短い期間で、すでに町の形が見え始めていた。
広場を中心に市場が作られ、簡易ながら倉庫が建ち、道路には石畳が敷かれ始めている。
水路も掘られ、井戸も増えた。
人口もすでに五百人を越えていた。
農奴、職人、商人、移住民。
人は増え続けている。
それらをまとめているのが――
領主館にいる少女。
レスティーナ・フォン・グランテだった。
そのレスティーナは、今まさに執務室で机に向かっていた。
机の上には大量の書類。
農地開墾の進捗。
市場の売上。
木材の搬入量。
石材の消費。
水路工事の人員配置。
「……多すぎる」
レスティーナは小さく呟いた。
まだ十歳の少女である。
本来なら家庭教師と勉強している年齢だ。
だが彼女は今、五百人以上の生活を管理していた。
(ググル先生)
『はい』
(都市作りってこんなに書類多い?)
『はい。人が増えるほど管理は増えます』
「でしょうね……」
レスティーナは椅子にもたれた。
都市を作るというのは、人を動かすこと。
人を動かすということは、管理が必要になる。
つまり――
書類だ。
その時。
扉がノックされた。
「領主様」
エルガルトの声だった。
「どうしたの?」
扉が開く。
エルガルトは少し不思議そうな顔をしていた。
「来客です」
「来客?」
レスティーナは首を傾げる。
帝都からの使者だろうか。
それとも商人か。
「誰?」
エルガルトは答えた。
「ジェイと名乗っています」
その瞬間。
レスティーナは目を見開いた。
「ジェイ?」
「はい」
レスティーナはすぐ立ち上がった。
「どこ?」
「玄関ホールです」
「今行く」
レスティーナは急いで廊下を歩いた。
そして玄関ホールへ。
そこに――
一人の少年が立っていた。
黒髪。
少し細身の体。
まだ少年らしい顔立ち。
年齢は十五歳。
レスティーナは思わず声を上げた。
「ジェイ!」
少年は振り向き、深く頭を下げた。
「お久しぶりです」
「レスティーナ様」
レスティーナは驚いた顔のまま近づいた。
ジェイ。
グランテ家の従僕の息子。
そしてレスティーナが幼い頃から一緒に育った少年だった。
年齢はレスティーナより五つ上。
レスティーナが十歳なら、ジェイは十五歳。
幼い頃、ジェイはいつも彼女の側にいた。
庭で遊び。
本を読み。
時には木登りをして叱られ。
そしてレスティーナが泣けば、いつも慰めてくれた。
兄のような存在だった。
だが北方開拓が決まった時。
ジェイは同行できなかった。
理由は――
**まだ若すぎるから。**
危険な開拓地に連れて行くわけにはいかなかったのだ。
「本当にジェイ?」
レスティーナはじっと見た。
ジェイは笑った。
「はい」
「背伸びたわね」
「レスティーナ様も」
エルガルトが横で咳払いした。
「領主様」
「紹介を」
「あ、そうね」
レスティーナは言った。
「ジェイは昔からうちにいる従僕よ」
「私が小さい頃から一緒にいたの」
エルガルトは少し驚いた。
「そうでしたか」
ジェイは丁寧に頭を下げる。
「ジェイです」
「よろしくお願いします」
レスティーナは腕を組んだ。
「それで?」
「どうしてここに来たの?」
ジェイは町を見た。
石畳工事。
市場。
倉庫。
忙しく働く開拓民。
「帝都で噂を聞きました」
「レスティーナ様が北方で町を作っていると」
レスティーナは少し笑った。
「まだ数ヶ月よ?」
「それでも」
ジェイは言った。
「すごいと思いました」
そして深く頭を下げる。
「お願いがあります」
「ここで働かせてください」
レスティーナは少し驚いた。
「北方は大変よ?」
「覚悟しています」
ジェイの声は真剣だった。
レスティーナは少し考える。
(ググル先生)
『はい』
(十五歳って働かせて大丈夫?)
『この世界では一般的です』
(だよね)
レスティーナは小さく笑った。
「いいわ」
ジェイが顔を上げる。
「本当ですか?」
「ただし」
レスティーナは言った。
「危険な仕事は禁止」
「まずは領主館の仕事から」
ジェイは嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます!」
こうして――
北方開拓が始まって数ヶ月。
まだ発展途中の町に、レスティーナの幼なじみである少年従僕ジェイが加わることになった。
都市を作る少女領主。
そしてそれを支える少年従僕。
北方の町は、今日も少しずつ形を変えていくのだった。




