第60話 都市の礎
北方領の朝は早い。
帝都のように豪華な鐘が鳴るわけではない。
しかし、日の出とともに町は目を覚ます。
市場ではパン屋が窯に火を入れ、農民たちが荷車を押して集まり始める。
家畜の鳴き声。
鍛冶屋の槌音。
子供たちの笑い声。
人口六百を越えたこの町は、もはや単なる村ではなかった。
**町の形をした開拓地**。
そして今――
それはさらに変わろうとしていた。
領主館の書斎。
レスティーナ・フォン・グランテは机の上の図面を見ていた。
紙いっぱいに描かれているのは、町の地図だ。
中央に市場。
そこから四方に伸びる道路。
住宅区画。
商業区画。
農地。
そして――
水路。
「ふむ……」
レスティーナはペンを持ちながら考える。
(ググル先生)
『はい』
(都市計画って、どれくらい先まで考えるべき?)
『理想的には人口三倍程度を想定すると良いとされています』
レスティーナは目を細めた。
(今六百人だから……)
(千八百人?)
『はい』
「なるほど」
レスティーナは小さく笑った。
「それなら最初から広めに作るべきね」
扉がノックされた。
「領主様」
入ってきたのはエルガルトだった。
「石工たちが集まりました」
レスティーナは頷いた。
「ちょうどいいわ」
彼女は立ち上がった。
「町へ行きましょう」
数分後。
町の中央広場。
石工や大工たちが集まっていた。
二十人ほど。
皆、屈強な男たちだ。
レスティーナが現れると、彼らは頭を下げた。
「領主様」
レスティーナは図面を広げた。
「今日から道路工事を始めます」
男たちはざわめいた。
「道路?」
「石畳だ」
レスティーナは地面を指した。
今の道は土だ。
雨が降ると泥になる。
荷車が通りにくい。
「これを石に変える」
石工の親方が腕を組む。
「全部ですか?」
「全部よ」
レスティーナはあっさり言った。
「町の中心から市場、商会通りまで」
親方は少し驚いた。
「かなりの仕事になります」
「だから頼んでいるの」
レスティーナは図面を見せた。
「ただの石畳じゃない」
男たちは図面を覗き込む。
中央が少し高くなっている。
両側に溝。
「雨水が流れる構造よ」
石工たちは顔を見合わせた。
「なるほど……」
「水が溜まらない」
親方は感心した顔をした。
「面白い」
レスティーナは笑った。
「やれる?」
親方は頷いた。
「もちろんです」
「石工の腕を見せましょう」
工事はその日から始まった。
まず地面を掘る。
基礎を作る。
砂利を敷く。
そして石を並べる。
町の人々は興味深そうに見ていた。
「すごいな」
「石の道だ」
子供たちは目を輝かせていた。
レスティーナはその様子を見ながら歩く。
エルガルトが隣に立つ。
「順調ですね」
「ええ」
レスティーナは頷いた。
「でもまだ始まりよ」
次の日。
レスティーナは丘の上にいた。
町を見下ろせる場所。
ここにあるのは古い井戸だけだ。
彼女は地面を指した。
「ここに作る」
「貯水池?」
エルガルトが聞く。
「そう」
レスティーナは頷いた。
「ここに水を溜める」
「そこから町へ流す」
エルガルトは少し考えた。
「水道ですか」
「ええ」
レスティーナは笑った。
「井戸だけじゃ足りないもの」
この世界の町では、井戸が主な水源だ。
だが人口が増えると問題が出る。
水不足。
衛生問題。
だから――
レスティーナは決めた。
「水路を作る」
エルガルトは頷いた。
「工事は大変そうですが」
「やる価値はある」
レスティーナは町を見た。
市場。
煙突から煙が上がる家。
石畳を作る石工たち。
まだ小さい町。
だが確実に変わっている。
その夜。
領主館の書斎。
レスティーナは再び机に向かっていた。
(ググル先生)
『はい』
(次は何が必要?)
『都市の発展には商業が重要です』
(分かってる)
レスティーナはネットショップを開く。
新しい商品。
保存食。
調味料。
布。
工具。
色々なものがある。
「商会も拡大ね」
メモワール商会。
帝都にも店がある。
北方でも成長している。
レスティーナはペンを走らせた。
「倉庫を増やす」
「市場を広げる」
「商人を呼ぶ」
やることは山ほどある。
だがレスティーナは楽しそうだった。
エルガルトが言う。
「領主様」
「お疲れでは?」
レスティーナは首を振る。
「全然」
そして窓の外を見た。
夜の町。
灯りが点々と見える。
以前より確実に増えている。
レスティーナは静かに言った。
「見てて」
「この町」
「きっと大きくなる」
エルガルトは微笑んだ。
「もう十分大きくなっています」
レスティーナは首を振った。
「まだまだよ」
彼女の目は遠くを見ていた。
石畳の道路。
水道。
市場。
商会。
そして――
都市。
北方の小さな開拓地は今、確かに**都市の礎**を築き始めていた。




