第54話 城下町の密談
メモワール商会の店内には、朝の光が柔らかく差し込んでいた。
棚に並ぶ商品。
整えられた布。
透明なガラス瓶。
そして色鮮やかな絵本。
どれも帝都の普通の店ではあまり見ない品ばかりである。
客は何人かいるが、店内はそれほど騒がしくはない。
そんな空間で、レスティーナ・フォン・グランテとアルヴェルト第一皇子は、並んで商品棚を見ていた。
もちろん二人とも**お忍び**である。
周囲の客はまさか目の前に帝国第一皇子がいるなど思いもしない。
アルヴェルトはガラス瓶を光にかざした。
「やはり綺麗だな」
透明度の高いガラス。
光を受けて輝く。
帝国内のガラス工房ではここまでの品質はなかなか出ない。
レスティーナは隣で答える。
「輸入品ですから」
王子は横目で彼女を見る。
「便利な言葉だ」
レスティーナは軽く肩をすくめた。
「本当ですから」
王子はくすっと笑った。
そして棚に瓶を戻す。
次に手に取ったのは絵本だった。
ページをめくる。
森の動物たちの物語。
柔らかな色彩。
丁寧な挿絵。
アルヴェルトは少し驚いた顔をする。
「この絵はすごいな」
「帝国では見ない」
レスティーナは答える。
「子供向けです」
王子はページをめくりながら言う。
「帝都の貴族の子供も喜びそうだ」
レスティーナは内心で頷いた。
実際、この絵本は売れている。
貴族の家庭では教育用として人気が出始めているのだ。
その時、店員が近づいてきた。
「何かお探しですか?」
アルヴェルトは自然な口調で答えた。
「珍しい本だと思ってな」
店員は笑顔で説明する。
「最近入荷した商品です」
「メモワール商会の目玉商品です」
アルヴェルトは興味深そうに言った。
「この商会は面白いな」
「誰が経営しているんだ?」
店員は少し誇らしげに答えた。
「若い女性の商人です」
「とても優秀な方でして」
レスティーナは心の中で苦笑した。
自分のことを説明されるのは少し妙な気分だ。
アルヴェルトは横目でレスティーナを見た。
「なるほど」
意味ありげな視線。
レスティーナは小さくため息をつく。
王子は店員に言った。
「この本を一冊もらおう」
「ありがとうございます」
店員が本を包む。
アルヴェルトはそれを受け取った。
そしてレスティーナに小声で言う。
「いい店だ」
「気に入った」
レスティーナは答えた。
「それは良かったです」
王子は少し歩きながら店内を見回す。
「この店、帝都でどれくらいの売り上げなんだ?」
レスティーナは答えた。
「悪くないです」
「安定しています」
王子は頷く。
「帝都の商売は競争が激しい」
「それで続いているなら優秀だ」
レスティーナは少し笑った。
「ありがとうございます」
王子はしばらく考えた後、言った。
「北方領の町」
「市場もあると言っていたな」
「あります」
「どんな店がある?」
レスティーナは答えた。
「パン屋」
「鍛冶屋」
「布屋」
「木工職人」
そして少し間を置いて言う。
「メモワール商会もあります」
王子は笑った。
「やっぱりか」
レスティーナは苦笑した。
隠す意味はあまりない。
王子は真剣な顔になる。
「北方領は王命の土地だ」
「成功すれば帝国の利益になる」
レスティーナは頷いた。
「そのつもりです」
王子は言った。
「人口はどれくらいになった?」
「六百少しです」
王子は少し驚いた。
「早いな」
レスティーナは説明する。
「逃亡農奴も受け入れています」
「仕事を与えれば人は定住します」
王子は腕を組んだ。
「理屈は分かる」
「だが実行するのは難しい」
レスティーナは答えた。
「だからやっています」
王子は笑った。
「面白いな」
その時だった。
店の外から大きな声が聞こえた。
「おい!」
「ここが新しい商会か!」
荒い声。
店の客が驚いて振り向く。
扉が乱暴に開いた。
数人の男が入ってくる。
粗野な服装。
どう見てもまともな客ではない。
店員が困った顔をする。
「何かご用でしょうか?」
男は鼻で笑った。
「用はあるさ」
「この辺りで商売するならな」
そして指を立てた。
「挨拶が必要だろ?」
レスティーナは心の中でため息をついた。
帝都の城下町。
当然こういう連中もいる。
いわゆる**みかじめ料**だ。
店員は戸惑っている。
その時――
アルヴェルトが一歩前に出た。
「なるほど」
穏やかな声。
しかし目は冷たい。
「挨拶が必要なのか?」
男は睨む。
「そうだ」
「この通りは俺たちが仕切ってる」
王子は静かに言った。
「面白い」
そして少し微笑む。
「だが」
「この店は、そういう店じゃない」
その瞬間。
男たちはなぜか背筋が寒くなった。
目の前の少年。
ただの貴族の子供ではない。
そんな気配を感じたのだ。
レスティーナは横で思う。
(あーあ)
(完全に怒らせた)
お忍びの皇子。
抜き打ち視察の商会。
そして城下町のならず者。
静かな朝の商会で――
また新しい騒ぎが始まろうとしていた。




