第46話 偽りの天使
北方領の朝は、まだ冷たい空気に包まれていた。
春が近づいているとはいえ、この地方の朝は肌寒い。
しかし町はすでに動き始めている。
市場の広場では、パン屋が窯に火を入れ、農民たちが荷車を引いて集まり始めていた。
家畜の鳴き声。
子供たちの笑い声。
そして鍛冶場の金属音。
人口六百を超えたこの町は、もはや小さな村ではない。
**都市の芽**になりつつあった。
その町の中央にある領主館で――
レスティーナは机の上に広げた手紙を見つめていた。
「第一王子の婚約者選定茶会……ね」
帝都から届いた招待状。
皇帝の名で発行された正式なものだ。
同年代の貴族令嬢が帝都へ招かれ、第一王子アルヴェルトの婚約者候補として顔合わせを行う。
そう書かれていた。
レスティーナは小さくため息をついた。
「面倒ね」
横に立つエルガルトが苦笑する。
「領主様」
「わかってるわよ」
レスティーナは肩をすくめた。
「断れないってことくらい」
皇帝の招待。
無視すれば外交問題だ。
北方領の立場を考えれば参加するしかない。
レスティーナは椅子の背にもたれた。
(ググル先生)
『はい』
(こういう婚約者茶会って、どれくらい競争激しい?)
『歴史的事例から判断すると、かなり激しい可能性があります』
(でしょうね)
レスティーナは苦笑した。
王子の婚約者。
つまり未来の皇后候補。
帝国中の貴族令嬢が狙う椅子だ。
「私は別に狙ってないんだけど」
ぽつりと呟く。
エルガルトが聞き返す。
「何か?」
「いいえ」
レスティーナは手紙を折りたたんだ。
その時だった。
伝令がもう一通の書簡を持ってきた。
「領主様」
「帝都商人ギルドからの報告です」
レスティーナは受け取る。
封を切る。
そして目を通した。
「……へえ」
少し面白そうな顔になる。
「どうしました?」
エルガルトが聞く。
「帝都の噂」
レスティーナは紙を渡した。
エルガルトが読む。
そこには、婚約者茶会に参加予定の令嬢の情報が書かれていた。
有力貴族の娘たち。
公爵令嬢。
侯爵令嬢。
伯爵令嬢。
その中に、いくつか気になる名前があった。
エルガルトが言う。
「スー公爵家のメアリー・スー」
「聞いたことある?」
「帝都で何度も商会を作っては破産している令嬢です」
レスティーナは思わず笑った。
「十歳で商会?」
「かなり強引な経営をしているようです」
「なるほど」
レスティーナは少し考える。
転生者の可能性が高い。
前世知識を使って商売。
よくあるパターンだ。
だが帳簿管理や物流を理解していなければ失敗する。
(ググル先生)
『はい』
(十歳の子供が商会経営って普通成功する?)
『極めて困難です』
(でしょうね)
レスティーナは苦笑した。
だが、もう一つの名前が目に入る。
それを見た瞬間、レスティーナは少し眉を動かした。
「……この子」
エルガルトが聞く。
「どうしました?」
レスティーナは紙を指した。
そこに書かれていた名前。
**リリア・フェルミナ。**
平民出身。
最近、貴族の後援を受けて貴族学院へ入学予定の少女。
そして。
王子と出会う運命の人物。
いわゆる――
**ヒロイン。**
レスティーナは少し考えた。
(ググル先生)
『はい』
(乙女ゲームのヒロインってどんな性格が多い?)
『一般的には善良、純粋、努力家などが多いです』
(まあそうよね)
レスティーナは肩をすくめた。
しかし帝都から届く噂には、別の話もあった。
エルガルトが言う。
「このリリアという少女ですが」
「ええ」
「少し奇妙な噂があります」
「どんな?」
エルガルトは言った。
「非常に愛想が良く、誰にでも優しいそうです」
「いいことじゃない」
「ですが」
少し言いにくそうに続ける。
「裏では他の令嬢をかなり敵視しているとか」
レスティーナは目を細めた。
「へえ」
「特に王子に近づく令嬢には攻撃的だそうです」
レスティーナは考えた。
もしこの少女も転生者なら。
自分がヒロインだと思っている可能性がある。
つまり。
自分こそ特別。
自分こそ物語の中心。
そう信じている。
だから他の令嬢を排除しようとする。
レスティーナは小さく笑った。
「面白いわね」
エルガルトが首を傾げる。
「何がです?」
レスティーナは窓の外を見た。
北方の町。
煙が上がる家々。
働く人々。
自分はただ町を作っているだけ。
だが帝都では。
悪役令嬢を自称する少女。
ヒロインを自称する少女。
そんな子供たちが争っている。
レスティーナは思った。
(まるで舞台ね)
帝都は舞台。
登場人物は令嬢たち。
そして王子。
その舞台に自分も呼ばれている。
レスティーナは手紙を机に置いた。
「行きましょう」
エルガルトが頷く。
「準備を進めます」
レスティーナは笑った。
「帝都のお茶会」
「どんな子たちがいるのかしら」
だが彼女はまだ知らない。
その茶会が。
転生者三人の思惑がぶつかる、奇妙な舞台になることを。
そして。
自分を蹴落とそうとする少女が、すでに帝都で準備を始めていることを。




