第32話 幼き王子との出会い
皇帝との謁見を終えたレスティーナは、宮殿の長い廊下を歩いていた。
大理石の床は磨き上げられ、窓から差し込む光が白く反射している。壁には帝国の歴代皇帝の肖像画が並び、静かな威圧感が廊下全体に漂っていた。
エルガルトが少し後ろを歩きながら小声で言った。
「それにしても……」
「何?」
「北方領の再建ですか」
レスティーナは軽く肩をすくめた。
「難題ね」
「難題どころではありません」
エルガルトは苦笑する。
「北方は数年前の反乱と飢饉で荒廃した土地です」
「知ってる」
「農民も少なく、貴族も逃げ出した領地です」
「だから皇帝は私に命じたんでしょう」
レスティーナは淡々と言った。
「逃亡農奴を受け入れる私なら、何とかできるかもしれないって」
エルガルトは腕を組んだ。
「……試されていますね」
「ええ」
レスティーナは笑った。
「面白いじゃない」
その時だった。
廊下の向こうから、軽い足音が聞こえてきた。
複数人。
だが騎士の重い足音ではない。
子供の歩く音だ。
角を曲がって現れたのは、小さな一団だった。
先頭にいるのは――
一人の少年。
年齢は十歳ほど。
背筋をまっすぐに伸ばし、堂々と歩いている。
金色の髪。
澄んだ青い瞳。
整った顔立ち。
その後ろには、近衛騎士が数人控えていた。
エルガルトが小さく息を呑む。
「……殿下」
レスティーナはすぐ理解した。
皇族。
しかも近衛騎士が護衛している。
ただの皇族ではない。
少年はレスティーナたちの前で足を止めた。
青い瞳が真っ直ぐこちらを見る。
そしてはっきりした声で言った。
「お前がレスティーナか」
レスティーナは軽く礼をした。
「はい」
「辺境領主レスティーナです」
少年は腕を組んだ。
背丈はまだ低いが、その仕草にはどこか王族らしい威厳があった。
「私はアルヴェルト」
短く名乗る。
「帝国第一王子だ」
やはり――。
レスティーナは心の中で思った。
(この子が)
第一王子アルヴェルト。
皇帝の長男。
皇位継承者。
そして――
レスティーナの前世の記憶にある「物語」の重要人物。
アルヴェルトはレスティーナをじっと見ていた。
「父上が言っていた」
「妙な領主が来た、と」
レスティーナは思わず笑った。
「否定はできません」
アルヴェルトは少し眉をひそめた。
「笑うのか?」
「はい」
「普通は怒るだろう」
「本当のことですから」
その返事に、アルヴェルトは少し考えるような顔をした。
十歳の少年だが、その瞳には年齢以上の聡明さがあった。
「逃亡農奴を受け入れているそうだな」
「ええ」
「なぜだ」
レスティーナは少しだけ考えた。
だが答えは簡単だった。
「働く人が欲しいから」
アルヴェルトは瞬きをした。
「それだけか?」
「それだけです」
レスティーナは続けた。
「土地が余っている」
「働く人がいない」
「だから来てもらう」
アルヴェルトは腕を組んだまま考え込んだ。
「……合理的だ」
小さく呟く。
エルガルトは少し驚いた顔をしていた。
王子が真面目に考えている。
アルヴェルトは顔を上げた。
「北方領の再建を命じられたらしいな」
「はい」
「難しいぞ」
レスティーナは笑った。
「簡単な仕事なら、私じゃなくてもできます」
アルヴェルトは少しだけ口元を上げた。
「面白いことを言う」
そして突然聞いた。
「お前は何歳だ?」
「十歳です」
アルヴェルトの目が少し驚いたように見開かれた。
「……同じか」
「殿下も?」
「十歳だ」
レスティーナは少し笑った。
「それは偶然ですね」
アルヴェルトはしばらくレスティーナを見ていた。
やがて言う。
「レスティーナ」
「はい」
「北方領を再建してみろ」
まるで挑戦するような口調だった。
レスティーナは平然と答えた。
「やります」
アルヴェルトは頷いた。
「成功したら」
少し考えてから言う。
「私が見に行く」
レスティーナは少し驚いた。
「視察ですか?」
「そうだ」
アルヴェルトは真剣な顔で言った。
「自分の目で見たい」
「何を?」
「お前のやり方を」
レスティーナは小さく笑った。
「歓迎します」
アルヴェルトは満足そうに頷いた。
そして踵を返す。
「行くぞ」
後ろの近衛騎士たちがすぐに続いた。
少年の小さな背中は、廊下の向こうへ消えていく。
静かになった廊下で、エルガルトが息を吐いた。
「……驚きました」
「何が?」
「第一王子が、あんなに長く話すなんて」
レスティーナは窓の外を見た。
帝都の空が広がっている。
(第一王子アルヴェルト)
まだ十歳の少年。
だが将来、帝国の頂点に立つ人物。
そして――
前世の記憶では「物語の中心人物」。
レスティーナは小さく笑った。
(面白くなってきた)
皇帝の任務。
北方領の再建。
そして幼い王子との出会い。
この小さな邂逅が、やがて帝国の歴史を大きく動かすことになるとは――
この時、まだ誰も知らなかった。




