第31話 皇帝謁見
帝都の朝は早い。
まだ太陽が昇りきらないうちから、街の通りには人の声と車輪の音が響いていた。
商人たちは店を開き、荷馬車が行き交い、帝国兵の巡回隊が整然と歩く。
帝国の中心は、朝から活気に満ちていた。
その頃、宮廷客館の一室ではレスティーナが窓辺に立っていた。
窓の外には帝都の街並みが広がっている。
遠くには白い宮殿の塔。
そこが今日の目的地だ。
「よく眠れましたか?」
背後からエルガルトが声をかけた。
レスティーナは振り返り、小さく笑った。
「ええ。思ったよりね」
「さすがです」
「緊張して眠れないと思った?」
「正直に言えば、少し」
エルガルトは苦笑した。
レスティーナは肩をすくめた。
「緊張しても皇帝は逃げないわ」
「確かに」
その時、扉がノックされた。
「失礼します」
宮廷書記官アドルフの声だった。
「どうぞ」
扉が開き、アドルフが入ってくる。
今日は昨日よりさらに正装だった。
「馬車の準備が整いました」
「もう?」
「謁見は午前です」
アドルフは丁寧に礼をした。
「皇帝陛下をお待たせすることはできません」
レスティーナは軽く頷いた。
「行きましょう」
客館を出ると、宮廷の馬車が待っていた。
白い車体に黄金の紋章。
皇帝宮廷の正式な馬車だ。
レスティーナが乗り込むと、馬車はゆっくりと動き出した。
帝都の中心区を進んでいく。
通りは昨日よりもさらに賑わっていた。
やがて馬車は大きな門の前で止まった。
帝国宮殿。
皇帝の居城。
巨大な白い城壁と、高くそびえる塔。
門の前には近衛兵が並んでいた。
黄金の鎧を着た兵士たちだ。
門が開く。
馬車は宮殿の中庭へ入った。
レスティーナは思わず息を吐いた。
「……すごい」
庭園はまるで芸術だった。
整えられた木々。
噴水。
大理石の彫像。
そしてその奥に――
巨大な宮殿。
階段の上に、赤い絨毯が敷かれている。
アドルフが言った。
「こちらです」
レスティーナは馬車を降りた。
階段を上がる。
重い扉が開く。
宮殿の中は、さらに豪華だった。
大理石の床。
高い天井。
壁には巨大な絵画。
兵士や貴族、官僚が静かに歩いている。
やがて一行は大きな扉の前で止まった。
近衛兵が槍を交差させる。
「謁見の間です」
アドルフが静かに言った。
レスティーナは深く息を吸った。
そして頷く。
「開けてください」
兵士が扉を押す。
重い扉がゆっくりと開いた。
その瞬間、レスティーナは少し驚いた。
謁見の間は想像以上に広かった。
巨大な柱。
赤い絨毯。
左右には貴族たちが並んでいる。
数十人。
いや、百人近い。
そしてその奥。
階段の上の玉座に――
一人の男が座っていた。
帝国皇帝。
年齢は四十代半ばほどだろうか。
黒髪。
鋭い眼。
黄金の冠。
威厳と静かな威圧感がある。
レスティーナはゆっくり歩き出した。
絨毯の中央を進む。
周囲の貴族たちの視線が一斉に向けられた。
好奇。
警戒。
敵意。
さまざまな感情が混じっている。
やがて玉座の前まで来た。
レスティーナは膝をつき、礼をする。
「辺境領主レスティーナ」
「皇帝陛下の御前に参上いたしました」
静寂。
そして――
皇帝が口を開いた。
「顔を上げよ」
低く、よく通る声だった。
レスティーナは顔を上げた。
皇帝と目が合う。
その目は鋭かった。
まるで人の内側まで見透かすような視線だ。
皇帝は静かに言った。
「そなたがレスティーナか」
「はい」
「噂は聞いている」
皇帝は少し身を乗り出した。
「辺境を豊かにした領主」
「逃亡農奴を受け入れる異端」
謁見の間がわずかにざわめいた。
皇帝は続ける。
「なぜだ?」
短い言葉だった。
レスティーナは理解した。
皇帝の質問。
なぜ逃亡農奴を受け入れるのか。
なぜ制度を変えるのか。
レスティーナは静かに答えた。
「理由は簡単です」
謁見の間が静まり返る。
「人は、希望があれば働きます」
皇帝の目が細くなる。
レスティーナは続けた。
「土地も自由もない農奴は、ただ生きるだけです」
「ですが」
「自分の土地を持てるなら」
「人は努力します」
レスティーナの声は落ち着いていた。
「それだけです」
貴族たちの間にざわめきが広がった。
「馬鹿な」
「危険思想だ」
「農奴制度を否定する気か」
皇帝は手を上げた。
ざわめきが止まる。
皇帝はレスティーナを見つめた。
「面白い」
小さく呟いた。
「では聞こう」
皇帝は玉座から立ち上がった。
階段をゆっくり降りてくる。
そしてレスティーナの前で止まった。
「その制度で」
皇帝は言った。
「帝国を豊かにできるか?」
レスティーナは一瞬も迷わなかった。
「できます」
謁見の間が再びざわめく。
皇帝は笑った。
小さく。
だが確かに笑った。
「大きく出たな」
「事実です」
皇帝はしばらくレスティーナを見つめていた。
やがてゆっくりと頷く。
「よかろう」
そして言った。
「証明してみせよ」
その言葉に、謁見の間の空気が変わった。
皇帝は玉座へ戻りながら続ける。
「レスティーナ」
「そなたに新たな任務を与える」
レスティーナは静かに頭を下げた。
「お聞きします」
皇帝の声が響く。
「帝国北方の荒廃した領地」
「そこを再建せよ」
貴族たちがざわめいた。
荒廃した領地。
つまり――
失敗すれば破滅。
成功すれば奇跡。
皇帝は言った。
「そなたの制度が本物なら」
「それもできるはずだ」
レスティーナはゆっくり顔を上げた。
そして微笑んだ。
「承知しました」
その瞬間。
帝国の歴史を変える挑戦が、静かに始まった。




