第28話 皇帝の勅命
帝国監察官ユリウス・ヴァルテンが領地に滞在してから、すでに二週間が経過していた。
レスティーナの城館は、以前よりもずっと騒がしくなっていた。
監察官の視察は徹底していたからだ。
農地、村、工房、倉庫、街道、税務台帳、兵士の装備、さらには井戸の数に至るまで――すべてを細かく調べている。
普通の監察官なら、ここまでやらない。
しかしユリウスは違った。
朝から晩まで歩き回り、質問し、記録し、確認する。
その姿は、まるで獲物を追う猟犬のようだった。
城館の執務室で、レスティーナは机の上に広げた書類を見ながら小さく息を吐いた。
「……相変わらず熱心ね」
向かいに座るエルガルトが苦笑した。
「領内の農地の半分以上を視察しました」
「もう?」
「はい。しかも今日の午後は鍛冶工房だそうです」
レスティーナは肩をすくめた。
「働き者の監察官ね」
エルガルトは少し声を潜める。
「ですが……」
「何?」
「どうやら帝国本国へ報告書を送ったようです」
レスティーナの手が止まった。
「もう?」
「早馬を使ったそうです」
それはつまり――
監察結果の途中報告。
帝国がこの領地をどう判断するか。
その材料が、すでに皇帝の元へ届いた可能性がある。
レスティーナはしばらく考え込んだ。
「……そう」
静かに言う。
「早いわね」
「はい」
「でも、悪くない」
エルガルトは驚いた顔をした。
「悪くない、ですか?」
「ええ」
レスティーナは微笑んだ。
「どうせ遅かれ早かれ、帝国は知ることになるもの」
この領地の発展を。
そして――
この制度を。
その時だった。
城館の外から、慌ただしい足音が聞こえた。
執務室の扉がノックされる。
「領主様!」
「どうぞ」
扉が開き、衛兵が飛び込んできた。
「急報です!」
「何?」
「帝国の使者が到着しました!」
レスティーナの眉がわずかに動いた。
「帝国?」
「はい!」
衛兵は息を整えながら続けた。
「皇帝の紋章旗を掲げています!」
部屋の空気が一瞬で変わった。
エルガルトが立ち上がる。
「皇帝直属の使者……?」
レスティーナは静かに立ち上がった。
「……なるほど」
予想より早い。
だが、来ると思っていた。
「どこにいるの?」
「城門です」
「通しなさい」
「はっ!」
衛兵は敬礼して走り去った。
レスティーナは窓の外を見た。
城門の方角。
(皇帝の使者……)
それはつまり――
ただの手紙ではない。
**勅命。**
帝国皇帝の命令だ。
しばらくして、執務室の扉が再び開いた。
中に入ってきたのは、一人の騎士だった。
真紅のマント。
黄金の紋章。
帝国皇帝直属の近衛騎士団の装束だ。
騎士はゆっくりと前に進み、レスティーナの前で膝をついた。
「帝国皇帝陛下の名のもとに」
低く響く声。
「勅命を伝える」
部屋の全員が息を呑んだ。
騎士は懐から巻物を取り出した。
金の封印が施されている。
帝国皇帝の紋章。
騎士はそれを開き、読み上げた。
「帝国辺境領主レスティーナに告ぐ」
厳かな声が部屋に響く。
「貴領における発展は、帝国にとって重大な関心事である」
レスティーナは静かに聞いていた。
「よって皇帝陛下は命ずる」
騎士は一瞬言葉を区切る。
「領主レスティーナを、帝都へ召喚する」
エルガルトが息を呑んだ。
帝都。
皇帝の都。
そこに呼び出されるということは――
皇帝が直接会うという意味だ。
騎士はさらに続ける。
「帝都にて、領地政策について詳しく報告せよ」
「また」
声が少し強くなる。
「逃亡農奴受け入れの制度について説明を求める」
レスティーナの目がわずかに細くなった。
やはり来た。
この問題。
騎士は最後の一文を読み上げた。
「これは帝国皇帝の勅命である」
巻物が閉じられる。
部屋は静まり返っていた。
しばらくして、レスティーナが口を開いた。
「……帝都へは、いつまでに?」
騎士は答える。
「一ヶ月以内」
「わかったわ」
レスティーナは軽く頷いた。
「勅命、確かに受け取りました」
騎士は立ち上がった。
「ご理解いただき感謝する」
そう言って一礼する。
やがて騎士が退室すると、部屋に残されたのはレスティーナたちだけになった。
エルガルトが焦った声を出す。
「帝都ですよ!?」
「ええ」
「下手をすれば……」
言葉を飲み込む。
レスティーナは椅子に座った。
「処刑?」
あっさり言った。
エルガルトの顔が青くなる。
「そんな……!」
レスティーナは小さく笑った。
「大丈夫」
「本当ですか?」
「ええ」
レスティーナは窓の外を見た。
広がる農地。
働く人々。
煙を上げる工房。
「皇帝は」
静かに言う。
「この領地を壊したいわけじゃない」
「では?」
「知りたいのよ」
レスティーナは微笑んだ。
「どうしてこんなことができたのか」
エルガルトは息を吐いた。
「……確かに」
レスティーナは立ち上がった。
「準備しましょう」
「帝都へ?」
「ええ」
レスティーナの目は、静かに燃えていた。
「皇帝に会うなら――」
彼女は小さく笑った。
「この領地の未来を、直接売り込みに行くわ」
帝国皇帝。
帝国の頂点。
その人物が、この領地に興味を持った。
それは危険でもあり――
同時に、巨大な機会でもあった。
レスティーナは窓の外の空を見上げた。
遠い帝都の空。
(待ってなさい、皇帝陛下)
私は行く。
そして――
この世界を、少しだけ変えてみせる。
こうして。
レスティーナの帝都行きが決まった。
それは、後に帝国の歴史を揺るがす出来事の始まりになるのだった。




