第26話 市場誕生の日
都市認定から一週間。
魔の森の都市は、さらに大きく変わり始めていた。
朝日が城壁の上から差し込み、町の通りを照らしている。井戸の周りには水を汲む人々が並び、あちこちで鍬の音や斧の音が響いていた。子供たちが走り回り、家々の煙突からは朝の煙が上がっている。
だが、この日の都市はいつもと少し違った。
人々の視線がある場所へ集まっている。
城壁の内側にある広い空き地。
そこに木の屋台が並び始めていた。
丘の上の領主館からそれを見ていたレスティーナは、小さく笑った。
「ついにできたわね」
隣に立つジェイが頷く。
「市場です」
都市にとって欠かせない施設。
それが今日、初めて形になった。
アルトも後ろで腕を組みながら町を見ている。
「開拓都市に市場ができるまで、普通は数年かかります」
レスティーナは肩をすくめた。
「ここは普通じゃないから」
ジェイが帳簿を開く。
「人口も増え続けています」
「何人?」
「六百八十二」
レスティーナは頷いた。
五百を突破してからも流入は止まらない。逃亡農奴、流民、そして噂を聞いて来た職人まで増え始めていた。
アルトが言った。
「都市の吸引力ですね」
都市ができると、人はそこへ向かう。
仕事がある。
食料がある。
安全がある。
それだけで人は集まる。
レスティーナは空き地を指した。
「市場ができれば、さらに増える」
ジェイが頷く。
「商人が来ます」
都市に市場があるという噂が広まれば、周辺の商人が動く。
布。
塩。
鉄。
農具。
様々な物が流れてくる。
アルトが興味深そうに聞いた。
「税は取るのですか?」
レスティーナは少し考えた。
「最初は取らない」
ジェイが驚く。
「無料?」
「ええ」
レスティーナは言った。
「まず商人を増やす」
市場が賑わえば自然と利益が生まれる。
最初から税を取れば、商人は来ない。
アルトが小さく笑った。
「商業都市の考え方ですね」
その時だった。
城壁の上から声が響いた。
「馬車接近!」
ジェイが振り向く。
丘の向こうから馬車が三台、ゆっくり近づいてくる。
荷物を積んだ商人の馬車だった。
レスティーナは微笑んだ。
「来たわね」
城門へ向かう。
門番が槍を持って立っている。
「開けて」
「開門!」
丸太の門がゆっくり開いた。
馬車が城内へ入ってくる。
先頭の男が馬を止めた。
「ここが都市か?」
レスティーナが頷く。
「そう」
男は周囲を見回した。
城壁。
井戸。
家々。
そして建設中の市場。
「噂は本当だったか」
ジェイが聞く。
「何の商人ですか?」
男は荷台を叩いた。
「塩だ」
レスティーナの目が少し光った。
塩は重要な交易品だ。
保存食に必要で、どの村でも不足している。
男は続ける。
「あと布もある」
ジェイが小さく呟く。
「助かります」
レスティーナは言った。
「市場を使っていい」
男は驚いた。
「もうあるのか?」
「今日から」
男は笑った。
「面白い都市だ」
後ろの馬車からも商人たちが降りてくる。
布商人。
鍋を売る商人。
小さな道具を売る行商人。
彼らはすぐに市場の屋台へ向かった。
木の台の上に商品が並び始める。
塩袋。
布。
鉄の鍋。
木の道具。
それを見て、住民たちが集まり始めた。
「塩だ!」
「布がある!」
人々の声が広場に響く。
レスティーナはその光景を静かに見ていた。
市場。
都市の心臓だ。
ここから金が動き、人が動く。
アルトが言った。
「もう完全に都市ですね」
レスティーナは頷く。
「そうね」
その時だった。
城壁の上からまた声が響いた。
「人影!」
ジェイが振り向く。
森の奥。
また小さな影が動いている。
逃亡農奴だ。
レスティーナは小さく笑った。
「今日も来た」
城門へ歩く。
門が開く。
逃げてきた人々が町へ入る。
男。
女。
子供。
レスティーナは静かに言った。
「ここは都市」
一人の女性が震える声で聞く。
「住めますか……?」
「働くなら歓迎」
女性は涙を流した。
ジェイが人数を数える。
「二十一人」
帳簿に書く。
「人口七百三」
レスティーナは空を見上げた。
「七百」
千までは、あと三百。
だが、この勢いなら遠くない。
市場ができた。
商人が来た。
人も来る。
都市は成長している。
レスティーナは丘の上へ歩き出した。
そこから町を見下ろす。
市場。
家々。
城壁。
働く人々。
都市は確実に大きくなっている。
レスティーナは静かに呟いた。
「次は千」
ジェイが後ろで笑った。
「本当に止まりませんね」
レスティーナも笑う。
都市とは、そういうものだ。
一度動き始めた流れは止まらない。
人が人を呼び、町は大きくなる。
そして魔の森の都市は、今まさにその流れの中にあった。
森の奥からは、まだ人影が動いている。
逃げてくる人々。
そしてそのすべてが、この都市へ流れ込んでくる。
その流れは――
まだまだ終わりそうになかった。




