その52
昇降機は一気に最上階へと向かった。
バンクの高さは十階建てに迫る。ホワイトモノリスのように窓すら存在しないのではないが、一階から上の内部構造は詳しく知られていない。金貸しに付随する業務を行うフロアに充てられていると想像できるが、それは多くても二階層分だろう。金庫は地下にあるし、ギャングの本拠地を他の企業に貸し与えてるとも考えにくい。残りの階層の利用方法は謎だった。ひとつ言えるのは、フロリアーノがプライムになる前のバンクは、これほど大きな建物ではなかったということだ。慎重なフロリアーノのことだ、力の誇示では決してない。なにか他の理由があるに違いなかった。
最上階は、極端に装飾の少ない薄青い石壁に、等間隔で同じ見た目の扉が並ぶ廊下だった。
ニコラスは、視覚的に迷わせる構造をとっさに連想した。扉の先にも扉。模様のない壁。そんな似たような風景が続いては、たちまち自分がどこにいるのか見失ってしまうだろう。ホワイトモノリスにも、そんな仕掛けの階がいくつかあったのだ。
だが、そんな発想に反して、ディーノはまっすぐ進んで行き、突き当たりの扉を開けた。正面の机に、いかにも大儀そうなフロリアーノの姿があった。ディーノがニコラスたちから離れ、プライムの傍らに控えた。
シャーリーに押され、ニコラスは机の前に進み出た。グレゴリー神父は一歩引いた位置で厳しい表情をしていた。
「ひさしぶりだね、フロリアーノ」
返事をせずに、フロリアーノはニコラスを見た。
「とっくに街を出たと思っていた」
「残念だが、ここにいる」
視線はニコラスから神父へと移った。
「ソルトフリーズの神父に間違いないな」
グレゴリー神父は軽い会釈をした。恰幅のいいプライムは大きく息をつき、
「考えは分かった。用件を聞かなきゃなるまい」
「話が早くて助かるよ」
「まあ待て。だが……」
突然、話をやめ、その大きな頭を机に乗せた。
「めんどくさ」
それだけ言うと、フロリアーノは目を閉じてしまった。寝てはいないようだが、起き上がる気配はない。ニコラスとシャーリーは顔を見合わせ、肩をすくめあった。
ディーノが帳面をいじりながら前に出た。
「ここからは私が話しましょう。つまり、フロリアーノはこう言いたいんです。あなたたちが突きつけた武器は大したものだ。『C教』を扇動して《バンク》を利用しないよう喧伝されては困る、と。この地区の信者は多いですから。しかし《バンク》は損得勘定にうるさいギャングです。火器を突き付けられても、損する署名は決してしません。そこで取引といきましょう」
「取引?」
「おっと、主導権は握ってると言いたいんですか。それはどうでしょう。私どもとしては」
帳面を繰る手が止まった。目が鋭く尖っていく。
「あなたたちをここで抹殺するのも、やぶさかではない」
シャーリーの手が素早く腰のホルスターに伸びた。それが抜かれる前にディーノは言った。表情も元に戻っていた。
「冗談です。ここでバチバチやり合う気分じゃないですしね。そうならないための取引ですよ」
このやり取りにひとり渋い顔をしているのはグレゴリー神父だった。
「中身を聞かずには決められないのだがね」
とニコラスは微笑んだ。
「よろしい。取引というのはこうです。《バケット》を潰していただきたい」
「ほう」
「あなた方の話は、その報酬という形で聞きましょう」
「《バンク》は《バケット》を放置していたんじゃなかったのかい」
「今まではね。でも、そろそろ目障りだなあ、なんて思いましてね。いわゆる『手を出してからの三年』が過ぎたということですよ」
なぜ今なのだろうか、とニコラスは考えた。
「《バンク》の方で《バケット》の情報は集めていないのかな。共有できれば仕事が楽になるが」
ディーノは帳面を二度、三度と手に打ちつけてから答えた。
「集めてないとは言いません。ですが、それに関しては《バンク》の機密も関わる。お答えできませんね」
「何もかも不明のまま、戦わなければいけないわけだね。なかなか厳しい条件だ」
「さて、どうします。と言ってもあなた方の状況では、受けざるを得ないと思いますが」
もっと探りを入れたかったが、ディーノが答えるはずもない。代わりに、
「信用していいんだろうね」
と聞いた。
「よく知っているはずでしょ。ギャング同士の恩の重さを」
ニコラスは頷いた。
「受けよう」
「取引成立ですね」
二人はがっちりと握手を交わした。
別れ際にグレゴリー神父は言った。
「やはりギャングのやり方は正しくない。暴力的で、他人を踏み台にし、弱者を顧みない。だが、もしそれでも君たちが何か成し遂げるとしたら、私は……」
彼は額に手を当て、首を何度か振った。
「いや、なんでもない」
「ひとつ、訂正させていただけるなら」
ニコラスは言った。
「私は弱者が排除される社会を望みません。父もそうでした」
感慨深そうに神父は頷いた。
天使を見たり、その言葉を聞くのは聖職者に多い。だが、聖職者で占められているかというとそうではない。一般のヒュープルが天使と出会い導かれ、強い信仰に目覚めるという話は、教典でもひとつふたつではない。それでも天使とギャングというのは異質な取り合わせで、『創色教団』に長く身を置いた神父でさえも聞いたことがない。
ギャングに『創色教団』の教えは、微塵もない。正反対に位置する存在と言ってもいい。なのに、そこへ天使は現れた。グレゴリー神父は、この事実を受け止めきれずにいた。
ニコラスたちと教会前で別れたグレゴリー神父は、中へ入ると中央をゆっくりと進んだ。そして大きなシンボルの前まで来ると膝を折り、祈った。だが、一向に雑念が晴れなかった。望んでもありがたき奇跡、天使を目の当たりにし、さらには言葉まで頂いたというのに、彼の心はどこか曇っていた。それでも祈り続けると、その中ではっきりと感じた。原因は、ギャングの元に天使が現れたからではなかった。彼が、ギャングに協力したからでも、ギャングの実態に改めて失望したからでもなかった。それは彼がこれから歩む道を問う、鈍い痛みであった。
オンボロ動力車が発進すると、ポイットはようやくの自由を全身で表現した。
「うー、堅苦しかったあ。言われたとおりにしゃべったけども、あのおじさん、急にひざまずくんだもん、驚いちゃった」
「なかなかの演技だったよ」
シャーリーはハンドルを右に切りながら言った。
「でも、よかったね。全部ニコラスの言うとおりだった。あの神父って人を連れて行ったら《バンク》は話をしてくれたし、そこで取引を持ちかけられるのも当たってたもの」
「それにその中身もね」
「ニコラスってば、すごいのね。カラスがあなたたちを選んだのも納得なんだわ。次は、そのカラスが戻ってくるのを待って《バケット》をちゃちゃっと制圧、ね! 謎が多いギャングみたいだけど、あいつがいれば何とかなるわよ」
緊迫した場面もあったものの、話し合いは穏便かつ円滑に進んだ方だろう。シャーリーは心の中でポイットを肯定しながら、ニコラスをちらと振り返った。彼は、これまでにない険しい表情をしていた。顔色悪く、爪を噛み、目だけはきらきらして、運転中ではっきりと見られなかったシャーリーでも、一目でぎくりとさせた。
「ニコラス、どうした」
と遠慮がちに聞く。
「だめだ」
「だめって、何が?」
今度はポイットが言った。
「カラスは待てない。フロリアーノは約束を守る気なんてない。それがはっきりした」
窓の外の風景が停止した。気づくと仮拠点の小屋が目の前だった。よく理解できないという風に首をかしげたポイットは「先に行ってるね」と残して、小屋に向かって飛んで行った。座席越しに振り返ってシャーリーが言った。
「分からないね。話し合いはうまくいっていた」
「ディーノがそう見せかけたんだ。あいつはひとつも嘘をつかず、だが私たちを騙している。理由は分からない。分からないが、《バンク》は、私たちを消すつもりだ」
何のメリットがある、それにどんな根拠が、とシャーリーは言おうとしたが、それは戻ってきたポイットによって中断させられた。彼女は妙に慌てている。
「大変、大変! タイヘン!」
「どうした、とにかく落ち着くんだ」
とニコラスがなだめるが効果なし。
「これが落ち着いていられますか! あのでかいのが見当たらないんだわ!」
二人は同時に小屋を見た。壁が破られたり、荒らされた形跡は見当たらない。
「マクスが?」
「マクスが敵と接触したにしては、小屋が無事すぎる。あのヤロウ、勝手にほっつき歩いてるんだ。……行くよ!」
ぶるんと荒々しく車体が揺れた。シャーリーは鋭くハンドルを回し、アクセルを踏んだ。




