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その51

 軽いノックの音が響き、扉が開いた。入ってきたのは、濡れたように滑らかな毛並みを持つ小柄なヒュープルで、《バンク》らしい三つ揃えの青いスーツをかっちりと着こなしていた。整った身なりにピンと伸びた髭、小さな丸い耳、そしてまっすぐな尻尾。これらの要素は、見た者に実直な印象を与えるものの、一方で眼には利口さと同時に心の冷たさを湛えていた。

 ここは《バンク》のプライム、フロリアーノの部屋。この男、失礼しますの一言でもあってよさそうなものだが、無言のまま、見た目通りの滑らかさでするすると部屋を横切ってくる。対する叱責はない。それもそのはずで、部屋の主は、肥大した身体を、同じぐらい大きな椅子と机に預けて目を閉じていたからだ。

 男は、机の前までくると、懐から干染布の分厚い帳面を取り出し、パラパラとめくった。目はそれに落としているが、内容を読み取ってはいない。この男の単なる癖だ。男は視線を上げて、言った。

「フロリアーノ、ニコラスのやつが来てます」

 反応は実にゆっくりだった。目蓋の動きは、城の門が開いていくような緩慢さだ。ようやく目を開いたかと思うと、

「追い返せ。だが、見失うなよ」

 それだけ言って大きく息を吐き、いかにも億劫そうに再び目を閉じた。この状態のフロリアーノには、手短に情報を伝えるに限る。長い間ビビッドをやっているディーノは、それを心得ていた。

「グレゴリー神父も一緒です」

「ほう」

 プライムはぱちりと目を開いた。ディーノを捉えた目には、ありありと好奇心が灯っていた。

「どうされます」

 彼は直立不動で問うた。答えがすぐにないことは知っていた。

 しばらくして、大きく欠伸をひとつ。鋭い牙の並んだ口が顔いっぱいになる。それをゆっくりと噛み殺し、プライムはようやく言った。

「呼べ」


 満面笑みを浮かべた男が、机の上に袋を置いた。緩んだ袋の口からは、中に詰まったチントがこぼれ出していた。対面した、どこか申し訳なさそうな態度の男、その眼の色が変わった。それを見てか、男は笑みを一層深めて言った。

「お客様でしたら、これだけお貸しできます」

「おお……十万チント以上はありますね」

 これだけのまとまったチントは見たことがない、という顔だった。

「きっかり十五万チント。安定した収入があるようですので、月々三千チントの返済計画がおすすめです」

「でも……」

 申し訳なさそうな男は言葉を濁した。

「動力車をご購入なさるのでしょう? それはいい選択です。近所で何でもそろう、そんな時代はずっと昔のこと。地区から街、街から隣り街へと、私たちの活動圏は広がり続けています。その広がり方は急激で、今走っている乗り合いの動力車運行サービスでは、とても行き届いているとは言えなくなってきました。そう、一家に動力車一台、そういう時代が目前なのです」

「たしかに」

 同意はしたが、男はまだどこか決めかねる様子だった。笑み男は畳みかけた。

「ですが、動力車は高価なものだ。思い立っても、すぐには買えない。チントが溜まるまで待っていては、時代の波に乗り遅れるし、不便を強いられ続けてしまう……。そこで、あなたはここに来られた。私どもが、喜んでお手伝いいたします」

「だが……」

「わかります、わかります。利子を心配なさっているのですね。《バンク》は非常に良心的です。あなたが今すぐ動力車を手に入れられる代わり、その手数料をちょいとお支払いただくだけです。私どもでは、返済期間で利子を調整しております。一度決めた月々の返済額以上の負担を強いることは絶対にありません。三千チントは、あなたの収入のほんの」

 ここで男は、人差し指と親指で作った隙間を狭めた。

「ほんの一部分ですよ。それと天秤にかけてごらんなさい。そのわずかな月々の支払いで、あこがれの、自分専用の動力車が今日にでも手に入るのです」

 迷っていた男は、相手の話を聞いているうちによく分からなくなってきたようだった。何となく押し切られた形で、

「ではここに署名を……」

「はあ」

 などと、言うがままになってしまっていた。

 似たような光景があちこちの窓口で行われていた。ある場所ではチント袋を受け取り、また別の場所ではチント袋を手放す。ヒュープルが入れ替わり、ときには書類化した布――契約の類では干染布は用いられない。署名後でも容易に手を加えることができてしまうからだ――に何か書きこまされる。そしてチントの受け渡し。それらが繰り返されていく。

 《バンク》の本拠地であるここは、そのままバンクと呼ばれていた。その一階は、チントの貸し付けと利子を含む支払いをする場所だ。ヒュープルの流れは慌ただしく、途切れることもない。全体をぼんやりと見ていると、機構じみた反復的な規則によってこの場が支配されているかのように思えてくる。だが、ここを支配しているのは、そういった秩序ではなく《バンク》の暴力である。

 それらを遠目で見ていたグレゴリー神父がつぶやいた。

「全く不思議なことだ。このやりとりも、私がここにいるのも」

「不安ですか」

 ニコラスの言葉に対し、神父は首を振った。

「考えているのだ」

 二人が黙ると空気が重苦しい。ポイットにも隠れてもらっていた。

「遅いな」

 シャーリーは苛立ちを含めて言った。《バンク》のビビッド、たしかディーノという男がここで待つようにと言って昇降機に消えてから、もう十五分近くになる。しかも別室で待たせるでもなく、一階の長椅子でだ。プライムに対する扱いではない。

 当のニコラスは気にしていない様子で、

「遅いのはいい兆候だ。会わないつもりなら、こんなに待たせないだろうからね」

「ほっとかれてるのかも」

 先ほどのディーノの目つきは、まるで値踏みするようだった、と思いだす。

「それもありうる。だが……ほら」

 昇降機から現れたディーノは、ニコラスたちの前にぴたりと立ち止った。手にした帳簿をぱらぱらとめくり、

「お会いになるそうだ」

 と一行を昇降機へと促した。

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