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その44

 熱気の中、カシミロだけは浮かない様子だった。

「負けはしない」とカラスは言った。

 カシミロは、それにあっさり同意した。

「そうだろうな。おまえは勝つよ」

「なら、何でそんな顔をする」

「ベアトリスが選んだからさ。こんな決闘、意味がない」

 カラスは首をひねった。


 《ハウス》のプライムがベアトリスになる前、カシミロがまだ老いを感じない頃。決闘は『スカウト』の度、頻繁に行われていた。審査の公平を期するために採用されたシステムだったが、そこは娯楽を重要視する《ハウス》である。決闘の持つゲーム性が好評となり、『スカウト』に付随した定番の催しとなっていった。この決闘が、後に闘技となり、《ハウス》が興すショービジネスの一角となっていく。

 しかし、新プライムの着任で状況が一変する。原因は、そのベアトリスにある。彼女の審査は迅速かつ正確。平常、一週間以上も要していた審査をほんの数時間で終わらせ、『スカウト』の負担を大幅に削減した。そして、完璧すぎた。

 カシミロが覚えている限り、ベアトリスが仕切った決闘は十二回。そのいずれも挑戦者が負けている。始めのうちはプライムの選定眼が優れている程度だと思っていた構成員たちも、あまりの判定の覆らなさに怪しみ、やがては彼女の決定の絶対さに平伏した。決闘の挑戦権を得るには、何かを賭けなければいけない決まりだ。必ず負けるのでは、自ら罰を受けに行くようなものだ。必定、決闘が行われる頻度は減っていき、今では全く行われなくなってしまっていた。


 ややして、カラスはカシミロの心情に思い当った。決闘の勝敗ではないなら、彼はチリーノの身を案じているに違いない。さっきの様子では、チリーノは普段からカシミロを貶しているのだろう。カラスに言わせれば、自業自得、救う必要のないやつだ。それでもカシミロは心配している。あまりに非ギャング的で、カシミロらしい。

「何か方法はないか」

 気持ちが通じているのかいないのか、カシミロはゆっくりと首を振った。

「ないね。ここまで事が進んでは」

「手を抜いたらどうだ」

 展開を一方的にせず、いい勝負を演じれば、チリーノに言い渡される罰が軽いものになるのではないか。カラスはそう思ったのだ。

 するとカシミロは突然、くわっと目を見開き、恐ろしい顔をした。

「めったなことは言うなよ。決闘中に手抜きしたなんてばれてみろ、お互い《ハウス》にいられなくなるぞ。いや、ばれる。間違いなく。ベアトリスは何でもお見通しなんだ」

 却下したものの、その提案の意味するところをカシミロは察した。ぶっきらぼうだが、意外と情があるやつなのかもな、などと思いながら、

「チリーノがプライムに処置を委ねた以上、何もしてやれない。なるべく穏便な沙汰が下ることを祈ろう。考えようによっては、これはおまえの実力を見せるいい機会かもしれん。上手くやれば、ビビッドの目にも留まる」

 カラスは無反応だ。何か、頭を働かせている様子がある。

 にわかに潜入任務が難しさを増してきたからだ。この任務最大の障害はベアトリスだ。カラスはそう直感した。審査方法も異様だったが、最もそれを意識したのはカシミロの言葉からだった。『ベアトリスは何でもお見通し』なのだと。彼女には何かある。ギャングとしての素質を一瞬で把握し、戦闘中に手を抜いたことを易々と看破する何か。だが、それが分からない。決闘で圧勝するのはまずい。目立つ。かといって、手を抜いてはベアトリスに目をつけられる。始めからこんな調子で、どうやって彼女の信頼を得ればいい?

「あんまり深く考えず、決闘に集中すりゃいい」

 そう言って、カシミロは気合いを入れるかのようにカラスの背中を叩いた。それは彼自身の気持ちを切り替えるためでもあったかもしれない。カラスはじろりと視線を合わせて、うなずいた。

 室内がわっと湧いた。

「ビビッドが来ている!」

 誰かが吹き抜け二階を指差した。

「全員そろっているぞ!」

 カラスたちもそちらを見た。周囲の構成員、見物人とは一線を画した存在感を放つ四人のヒュープルがいた。

 ひとりは長い顔を縮れ毛で埋め、角を生やした男。グロスレイの階段で出会った“指揮者コンダクター”と呼ばれていた男だ。彼は目立つことを好まないらしい。二階で見物していると指摘され、明らかに顔をしかめている。

「なーんて顔してんのよ、バルトロ。せっかくの『スカウト』なんだから楽しみなさいよお」

「ロザリンダ、私は静かな観客でいたいのだよ」

 それは一言で表せば、派手な女。首が細長く、くちばしは頭ほどの大きさがある。そのくちばしの先端を真っ赤なハートに塗り、まつ毛はバサバサと音がしそうなほど長く、瞼はジュース結晶の粉末が混ざっているのだろうか、妙にきらきらした青色で彩られている。服装は身体の曲線を強調する、ぴったりしたもので、上にボリュームのある羽毛の肩掛けをはおっていた。

 彼女は無愛想なバルトロにちょっかいを出しながら、しきりとストローでジュースをすすっていた。見ると、空になった結晶が大量に足元に転がっている。ジュースは美味だが栄養価も高い。これ以上身体が受けつけないという量がある。結晶の数からすると、明らかにそれを超過している。カラスにはジュースをがぶ飲みした経験はないが、見ているだけでも胸やけがする光景だ。

「あれれ、ばれちゃいましたね。だったら私たちで賭けを仕切りましょうか、エルピディオ」

 そう言ったのは“張り付き笑顔スマイルノーティス”フニペロ。手すりに腰かけ、足をぶらつかせている。

「だな」

 男は低い声でそう答えると、おもむろに柵を乗り越え、階下へと飛び降りた。

「なんだ……あいつは」

 カラスはエルピディオのようなヒュープルを見たことがなかった。

 まず、その顔だ。丸い黒眼鏡をかけているのだが、なぜかそのレンズが四つもある。つまり目も四つあるのだ。もじゃもじゃの口髭と見えたのは、こぶのような二つの盛り上がりで、それには牙が隠されているようだった。しかし、もっと明確に目を引いたのは、むしろ身体の方だった。最初、その丸い体型は太っているためだと思ったが、違う。緑のスーツの引き攣れ方からすると、その身体は硬質。まるで全身に結晶の鎧を着こんでいるかのような印象さえ受けた。そして驚くべきことに、二本の腕のさらにその下に二対の小さな腕があった。スーツもそれに合わせて袖が六つあるのだ。

「こら! あいつって言い方はないだろう! “綱渡りタイトロープ”エルピディオ、ビビッドのひとりだぞ」

 カシミロはあわてたが、この騒々しさでエルピディオの耳には届かなかったようだ。

「あれもヒュープルなのか?」

 とカラスは訊いた。

「当たり前だろ……って、おまえは街のことすら知らなかったものな。驚くのも無理はないか。おれたちが毛や羽毛、鱗で全身を覆っているみたいに、彼らには甲殻があるんだ。一昔前じゃ珍しかったが、パレットシティみたいな大きな街ではそうでもない」

「ふうん」

「こんなことで驚いてたらいかんな。もっと見た目がすごいヒュープルもいるぞ。血が青だったり、緑だったりもするんだ」

 もっと驚くかと思ったが、カラスの反応は案外薄い。意外と早く興味を失ってしまった様子なので、カシミロはそれ以上何も言わなかった。

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