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その43

 前に並ぶ者たちが二組ずつ減っていく。ついにカラスとカシミロの番が来ても、ここまでベアトリスに大きな動きはない。カラスとボビーの審査が始まっていた。

 カシミロが丁寧におじぎした。カラスはおもむろに帽子を脱ぎ、片腕で胸の前に抱えた。何もしなくていいとは言われたが、この帽子はベアトリスの前では必要ないだろう。対するチリーノは自信満々の面持ちでボビーの前に立っている。プライムの視線がまずボビーに、そしてカラスに注がれた。

 一瞬、ほんのわずかな時間だがベアトリスの表情に何かが浮かんだ。誰も知覚しないほどの微かで短時間の出来事だった。だが、その間に彼女は決定した。バッジをつまみ上げ、ここで微かな歓声が起こったが、ボードゲームの駒を進めるように優雅に力強くそれが置かれたときには、辺りは緊迫した雰囲気に静まり返っていた。一体、どっちだ。バッジと机がぶつかった余韻が聞こえてくるような、誰かが息を飲めば部屋中に響き渡りそうな静けさだった。

 ベアトリスが手をどける。バッジは向かって左側にあるように見える。チリーノがにんまりとした。仰々しい一礼をすると、


「ありがたき幸せ。必ずや《ハウス》の発展に貢献してみせましょう」


 ちらちらと意味ありげにカシミロ達に視線を送りながら、バッジに手を伸ばす。そのとき、ベアトリスのもの凄い瞳が、じろりとチリーノを捉えた。感情的冷気が彼の笑みを消し飛ばし、びくりと背骨を緊張させ、全身の毛を逆立てさせた。手の動きは、凍りついたように停止していた。ベアトリスは目で語っている。あたしに言わせるのかいと。チリーノは硬直し、答えられない。


「カシミロ、合格だ」


 わっと室内が湧いた。カシミロがついに『スカウト』成功、唯一の合格者、しかも色なしカラーレスだ、そんな言葉が聞こえてくる。《ハウス》にとっても話題性のある内容だったのだろう。興奮は収まりそうもない。

 当のカシミロはどこかポカンとした表情で突っ立っていた。次々とかけられる祝いと労いの言葉で、ようやく我に返ったのか、しかしどこかぎこちない様子でそれらに応えている。そして、机の正面に進み出てバッジを手に取った。


「ありがとうございます。まさか、本当に合格できるとは。しかし、なんでバッジをチリーノ側に?」

「ああ」


 ベアトリスはさもないという風に言った。


「空いた手で、置きやすいところに置いただけ」 


 ベアトリスが大げさに追い払うような手つきをした。まだ信じられないといった顔のカシミロにカラスが声をかけた。


「あんたの見る目があったのさ」


 その言葉にカシミロはやっと表情を崩した。


「そのとおり。一目見てピンときたもんだ。まずはバッジをおまえに渡さなきゃな……いや、制服が先か? あちこち顔見せにも行かなきゃならんし、こっから忙しくなるぞ」


 今や『騙し部屋』は熱狂の渦だった。合格者たちを称賛する者、悔しがり次回こそはと奮起する者、この『スカウト』が組織に及ぼす影響を早くも予想し始める者。それぞれが流れの一部となり、新たに感情を巻き込んで行く。


「決闘だ!」


 突如放たれたその言葉は、流れの中に打たれた杭のように新しい渦を作った。


「決闘を申し込む!」


 再びチリーノが言った。


「あの、バカ野郎」


 カシミロがつぶやいた。


「どういうことだ。決闘?」


 カラスの疑問にカシミロが答える。


「『スカウト』の伝統だ。参加者は合格者に対して決闘を申し込むことができる。内容は特に決まっちゃいない。『スカウト』された者同士、一対一で、とにかく相手を負かした方が勝利だ。そして決闘に勝った方が正式に組織入りできるんだが、それはつまり……クソッ、まずはあいつを止めなきゃならん」


 カシミロは未だ決闘、決闘とわめき続けるチリーノを羽交い締めにした。それでもチリーノは抵抗する。


「落ち着け! おまえは若いし、『スカウト』は次回もある! 決闘を申請するって意味、分かってるのか」

「百歩譲って両方合格ならな。けどなあ、おれのボビーがそんな色なしカラス野郎に劣ってるわけがねえんだ!」


 さらに激しく手足を振り回され、カシミロはバランスを崩して、二人絡み合ったまま床を転げ回った。いつの間にか体勢は一変し、チリーノが馬乗り、形勢逆転かと思われた。チリーノの動きが止まった。いや、彼だけでなくカシミロも動きを止めている。いつの間にか、ベアトリスが机の上に座って二人を見下ろしていた。

 決闘とは、力試しの敗者復活であると同時にプライムの審査結果に異議を申し立てることに他ならない。それには当然、代償が必要だ。


「決闘。それってつまり」


 カシミロとチリーノは同時に息を飲んだ。


「あたしの決定に不服、そういうことかい?」

「いえ、その……」


 チリーノは、カシミロごときに負けたという事実を覆したいだけであって、決してベアトリスに反旗を翻したわけではなかったのだが、そこのところをうまく説明できない。もごもごと後が続かない。曖昧な返事もそこそこにベアトリスは言った。


「ありがとう」


 一同が呆気にとられていると、ベアトリスは思いの他、楽しそうに続けた。


「いいじゃないか、決闘。やりなよ。チリーノ、あんたがわざわざ示してくれるって言うんだ」


 チリーノは心の中で「何を」と問うた。


「あたしの審査が完璧だってことを」


 心底、震えた。カシミロが股の間から抜け出してるのにも気づかないぐらいに。


「それで、あんたは何を賭けるんだい?」


 《ハウス》バッジの返却、あるいは死。チリーノが思いついた振れ幅はこんなに狭い。こんなはずじゃなかった。望んでなかった。だが、後戻りはできない。


「プライムの意向のままに。煮るなり焼くなり、好きにしてください」

「カシミロもいいね?」


 彼の答えを聞く前にバッジはその手から取り上げられていた。ベアトリスが高く手を打った。


「さて、決闘が始まるよ!」


 長らく埃をかぶっていたシステムの使用に、皆の心に新たな熱が吹き込まれた。あちこちで勝敗予想が始まった。大っぴらにチントを賭けている者さえいる。

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