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その4

 ホワイトモノリス内部はしんとしていた。息を潜めているのでは到底生まれ得ない、無人の空間が奏でる異様な静けさ。《モノリス》ほど大規模な組織の本拠地ともなれば、かなりの数の構成員が詰めているはずだ。それが一人も見当たらないのはどういうことか。少なからぬ抵抗を想定していた男にとって、これは決して不利ではない状況だった。だが男の感じたのは安堵ではなく、むしろ正反対のこれ以上ない緊張感。ガードマンの態度、内部の異変。何かが起きているのは確かだが、それはただ事ではない。

 正面にまっすぐ進んでいくと二機の昇降機を発見した。ホワイトモノリスの外観はのっぺりしていたが、最上階付近だけは窓があった。プライムはそこにいると男は当たりをつけていたので、昇降機をいち早く見つけられたのは収穫だった。

 階数表示を見ると、一機は上昇中で今さっきここから発ったかのように一桁から数字を増やしていた。もう一機はビル中ほどまで降りてきており、どんどん数字を減らしている。どうやら一階まで降りて来そうな雰囲気がある。昇降機の定員いっぱいに構成員が入っていたとしても、男には突破する自信があった。だが、それよりもここで何が起きているのかを把握するのが先決だと彼は判断した。

 男は素早く左右を見回した。昇降機を挟んで対称に通路が伸びており、そこにはいくつもの扉が見える。どの部屋に隠れてもさして変わりはなさそうに思えたが、その中に男の目を引く扉があった。重厚な金属製の扉だ。金属だけをこれほどふんだんに使うのは稀で、二重のロックがかけられていることからも、かなり重要なものが保管されていると臭わせるに十分だった。しかし、それだけなら男は別の部屋を選んでいただろう。それほど重要なものがあるのなら、真っ先に見回りにくる場所であろうからだ。こんなところに身を潜めるぐらいなら正面突破の方がまだ賢い。

 そう頭ではわかっていても、男は分厚い金属の扉へと近づいていった。扉が半分開きかけていたからだ。侵入を拒むための複雑な鍵と堅牢な障壁は、だらしなく口を開いたただの鉄板に成り下がっていた。これを単純なミスだと考えられるのは余程のお人好しだけだ。誰かが意図して開け放しておいたに違いない。だがその理由は? 疑問に誘われるようにして男は部屋の中へ入っていった。

 白い壁に三方を囲まれた寒々とした部屋だった。男は無意識にジャケットの端をかき合せた。何もなく殺風景というだけでなく、この部屋だけ妙に温度が低い。部屋の残る一面は金属の壁となっており、中央にはハンドル付きの巨大なシリンダーが埋めこまれていた。厳重さだけ見ても余程の貴重品があるらしい。壁や天井に空調の類は一切見受けられず、冷気はこの巨大円筒から流れてきていた。

 男はこれほど巨大な金属体を見たことがなかったので、興味本位でハンドルに手を置いた。取っ手が緩やかに回転し、シリンダーがせり上がった。地を這う白いもやとともに冷気がどっと溢れてきたので男は一歩引いた。シリンダーはゆっくりと横に開き、重い音を響かせて固定された。ここでも何者かの意図を感じた。機構に詳しくない男でさえ、平常はシリンダーのハンドルがロックされていることくらい想像がついた。

 シリンダー内部は薄暗く煙っていたが、そこにあるものがなんであるか理解した男は目を見張った。ジュースだ。しかもこの色、機構動力源となる高濃度のジュースがインゴット状の容器に詰められ積み重なっていた。そんなぼんやりと光るブロックが規則正しくずらりとどこまでも並んでいるのだった。一つひとつはさもない値段だが、この数は尋常ではない。いったい何チント分になるのだろうか、男には想像もできない。何百万、いや何千万チントは下らないだろうか。とにかく途方もない額になるのは間違いなかった。

 ジュース容器の形からして大半は小型機構、おそらくは色力式火器のマガジンだろう。これほど大量のジュースを保管しているのであれば厳重な二重扉も当然といえた。同時にそれは、鍵が開いていたことに対しての違和感を否応なく高めることとなった。

 それにしてもここは寒い。冷えを追い払うべくジュースを一杯やりたいところだったが、残念ながらここにあるのは飲用に適さない高純度ジュースばかりだった。まとまった値打ち、火器のマガジンとしての用途、どちらも男には必要のないものだ。凍えてしまう前に保管庫を出ようと、振り返った男の目に妙なものが映った。それはマガジンブロックの陰に無造作に転がされていた。男はその上に屈んだ。

 男がそれに触れたとき、部屋の外から昇降機の扉が開いたチンというかすかな音、続いて何人かの話し声と足音が混ざり合って聞こえてきた。少なく見積もっても十人の発する音だ。男はジャケットの裏に拾ったものをしまうや否や、驚くほど敏捷に保管庫を抜けると、扉脇の白い壁にぴったり体を寄せた。聞き耳を立てながら外の動向をうかがう。ガヤガヤとしたざわめきの中から男は会話を拾い上げた。


「ニコラスは――を――らしい」

「おかしいと思ったんだ」

「――を治める――も一向に姿を現さないだろ」

「やはりジェイラスあってこそ――」

「――あの体ではな」

「――《モノリス》はもう――」

「違いない」

「――」

「――……」


 会話と足音は次第に遠ざかって行った。壁越しに聞こえる内容は断片的で《モノリス》に通じていない男には意味のわからないものだった。だが、それでも《モノリス》を批判する内容であることは伝わった。なにやらまずいタイミングで来てしまったらしいが、男にはあまり関心のないことだった。プライムに会う理由が一つ増えただけだ。

 集団が去ると周囲はまた静けさを取り戻した。男は廊下に顔だけを出して左右を見渡した。誰の姿もない。男は一気に廊下を駆け、待機していた昇降機に滑りこんだ。黒い指が最上段のボタンに触れた。体が重くなるのをはっきり感じると、箱はぐんぐんと上昇を始めた。男は壁に体を預け、天井付近にある半円の階数表示計の針がじわじわと右に動いていく様子を見つめていた。誰かが途中で乗ってくるのではと警戒していたが、昇降機は一度も停止することなく昇り続けている。

 男は深く息をつくと懐から先ほど拾ったものを取り出した。手の中で直方体の結晶が輝く。高純度ジュース保管庫に、これ一本だけ中純度の飲用ジュースが転がっていた。施錠されていなかった扉に引き続き、このジュースの存在もまた謎である。

 引火や爆発の危険性がある不安定な高純度ジュースと異なり、飲用ジュースをこのような大がかりな低温環境で保存する必要はない。普段は常温で保管し、飲む量だけを冷やすか温めるかするのが一般的だ。保管庫内にあった飲用ジュースはこれだけで、他は全て高純度ジュースが詰まったマガジンだった。これも妙である。誰かが置き忘れていったようにも思えるが、その人物は扉の施錠も忘れているのである。よほど慌てていたか、寒気がするほどの間抜けなのか。――違う。男はその両方を打ち消す。扉の解放は意図したものだと男の直感は告げた。ならばジュースも意図して置かれたものだったに違いない。扉を開けた人物とジュースを置いた人物が同じとは限らなかったが、男はこの二つの謎に一連の流れを感じとった。同一人物の仕業だ。しかし直感は、それ以上の広がりを見せなかった。そして男は探偵ではない。思考は一瞬で霧散し、その手に謎のジュースだけが残された。

 それにしても、このジュースの輝きはどうだろう。暗がりでは気づかなかったが、それは今まで見たどのジュースとも違っていた。ジュース内部で反射した輝きが結晶の各辺に集まり、自ら光を放っているようにも見える。美しい。唾を飲みこむ音がいやにはっきりと聞こえた。昇降機はかなりのスピードで上昇していたが、表示計の針はまだ中ほどを少し過ぎたところだった。時間はある、最上階まで一服するのも悪くない。男はジュースの誘惑に負けた言い訳をしながら結晶の先端を押した。パキンと澄んだ音が耳に届いた瞬間、今まで嗅いだことのない芳気が半密閉された空間いっぱいに満ちた。香りは鼻粘膜から直接脳髄に突き立ち、男を痺れさせた。


「いったい……」


 男はくらくらしながら思わずつぶやいた。結晶膜の中に液化したジュースがたぷんと揺れている。それは彼の知るジュースから逸脱した存在であった。ジュースの価値はその濃度で決まる。濃いほど味もよく、栄養価も高いのだ。それでも惑星規模で展開しているジュースメーカー《アンブローズ》の最高品質ジュースでさえ、さらりとしているのが常識だ。だが、このジュースときたら、あまりの濃度にとろみがついているではないか。通常ではありえないことだった。

 そんな疑問など、この馥郁ふくいくたる香りの前では小事に過ぎなかった。飲みたい。一秒でも早くだ。男はただその衝動のみに突き動かされた。くちばしを湿すように口に含んだ。電撃が走った。たったそれだけの量であったのに、なんというほとばしるエナジーか。もの言わぬはずのジュースが雄弁に語りかけてきた。うまさが感動を越え、衝撃となって男の体を駆け巡った。男は夢中で残りのジュースに口をつけた。ねっとりと舌に絡みつき、しかし次の瞬間には水のように滑らかに喉へと滑りこんでいく。そして香りがふっと鼻から抜けるのだ。味、喉越し、香り。そのどれをとっても紛う方ない一級品であった。

 あっという間にジュースは男の口の中へ消え、最後の一滴が舌へと滴り落ちた。余韻を十分に味わいながら男は長い息をついた。しばらく呆けたようになっていると、チンと小さな音を立てて昇降機は止まった。扉が開く前に男は手の甲でくちばしをぬぐった。

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