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その37

 まったく腹立たしい。《ハウス》が最下位とは、腹立たしいとしか言いようがなかった。本当に腹を立てているのは順位ではなく、それを不満に思いつつもドルフの提案――ギャングの順位づけ――を飲むほかなかった己のふがいなさにだろう。ベアトリスは頬杖をついて足を組みかえると、大きなため息をついた。どこからか、てん、てん、と規則的な音が続いている。

 ベアトリスがいる部屋は、周囲が棚で囲まれ、そこにはおびただしい量の書籍がぎっちりと詰まっていた。この本というものは干染布の束で、一般的な干染布では信じられないほどの厚みとなってしまうため、薄く高価な専用干染布を使って作られる。幅広く流通している干染布は一枚単位で、大量の情報を書き込むにしても巻物スクロール状にするのがほとんどだ。そのため、このような本棚は大変珍しく、貴重なものだった。さらに、そこを彩る家具や装飾品の数々は、緑を基調とした優雅かつ豪華なもので統一されていた。彼女が腰かけるイスは玉座さながら。天井付近から垂れ下がる、朝露で湿った苔のような深い緑色のタペストリーには、《ハウス》のシンボルが威厳たっぷりに織りこまれているし、小さな台上にある緑の傘を被った色灯は、日に透かしたジュース結晶のように輝いていた。

 彼女が座る大きな机の上では、細々と何かが書きこまれた干染布の塔が、あまりの高さに傾いて机の両端からアーチを描いていた。その下に謎めいた重量感を放つ何種類もの判子が並び、緑のそれが捺印された重要そうな文言が並ぶ干染布が、机の縁と間違いなく平行になるようにきっちりと置かれていた。その周りに雑然と散らばるのは賭け事で使われる《ハウス》公認のチップだった。それ以外の家具も必要以上にキラキラして、複雑で、機能的でなく、装飾過剰だった。

 一見プライムの執務室のようなこの場所は『騙し部屋』と呼ばれていた。なにが騙しかといえば、全てである。豪華そうな見た目は全てフェイクだ。価値のある物はひとつもない。本棚の書籍は背表紙だけを浅い木の枠にはめこんだもの。豪華そうに見える品たちも、少しでも見る目があるのならば、それらしく作った紛い物だと立ち所に看破できるだろう。机の上の仕事道具は、どれも机と一体化していてぴくりとも動かせないようになっているものだから、この上で何か仕事をするのはあり得ない。今にも崩れそうな干染布の束にも心配はいらない。これが描く曲線は、元からそうデザインされたもので、強く机を蹴り飛ばそうとも、ちっとも乱れないからだ。

 そんな模造品の山の中であってもベアトリスは本物だった。プライムの風格がそうさせた。彼女が座れば、イスは女王に与えるような威厳を惜しみなく発揮し、周囲の本棚や家具は偽物を越えた、本物の振る舞いを始める。仕事量の圧倒的煩雑さを秩序を持って鎮圧していくような机上の様を見れば、例えそこに真実がこれっぽちもなくても、だれもがベアトリスのプライムとしての優れた手腕を確信するだろう。

 ベアトリスはこの『騙し部屋』を気に入っていた。

 《ハウス》の興行は全て“虚”から成り立っている。演劇、サーカス、賭博……どれも生活に必ず必要なもの、いわゆる“実”ではない。だが、だからこそ楽しめるとベアトリスは考えている。“実”であれば、必ず効率や成否がつきまとう。“虚”はもともと必要なものではないのだから、それらとは無縁だ。演劇やサーカスに効率的鑑賞法なんてものは存在しない。失敗もない。だから自由に楽しめる。賭博だって、胴元が必ず勝つようにできている。支払う額が決まっていないだけで、チントを払って娯楽に興じているという点では、演劇やサーカスと全く同じなのだ。そもそも“虚”でなければ、あれほど皆が後先考えず熱狂するはずがない。

 『騙し部屋』は、そんな《ハウス》の気質を象徴した、遊びのある部屋だ。

 てん、てん、という音が止み、ベアトリスが腰かける大きなイスの後ろから、小さなボールが転がってきた。それを追いかけるようにフニペロが現れる。彼はおどけた動作で玉を拾うと、手持ちの玉を加え見事なジャグリングを始めた。ただ次々に放り投げるだけではなく、床にバウンドさせたり、股の間をくぐらせたりと、複雑な動作をにこにこ平然とこなしている。てん、てん、と規則的な音が再開した。


「フニペロ」


 ベアトリスに呼ばれ、フニペロは一瞬停止した。玉が宙を舞う。フニペロがズボンの正面を引っ張ってスペースを作ると、玉はその空間にすぽぽぽと吸いこまれていった。裾から転がり出そうなものだが、そんな気配もない。くねくねと身をよじりながらベアトリスに歩み寄ると、


「そろそろ集めましょうかぁ?」

「そうだね」


 ベアトリスの声からは、先ほどまでの憂鬱な印象がさっぱり消えていた。彼女の気持ちは、目前のことへとすでに切り替わっていた。

 この時期、《ハウス》にはちょっとしたイベントがある。興行がらみではなく、身内だけのものだ。さあて、今年はどんなやつが現れるかね。楽しみでしょうがない。それは『スカウト』と呼ばれる、《ハウス》構成員による新規団員の勧誘だった。

 フニペロが指を輪にして口に当て、鋭く笛を吹いた。それを合図に『騙し部屋』へと、緑の制服を着た《ハウス》のギャングたちが、ぞろぞろと集まってきた。ベアトリスが立ちあがると、部屋は一瞬で静まり返る。特徴的な瞳から注がれる視線が、構成員たちの上を滑っていく。


「始めるよ、『スカウト』!」


 静寂を粉々に割らんばかりにワッと歓声が上がった。

 これが数時間前のことである。

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