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36/60

その36

 黒い男の持つ“死の受胎”は、殺気に似た集中力と強靱な筋力によって、がちりと標準を固定している。二発の弾丸をあらぬ方向に飛ばした後は、よりその傾向が強くなり、地下室の空気までピンと張りつめたようになっていた。だが突然、それが緩み始めた。カラスはゆっくりと火器を下ろすと、バートに向かってこう言った。


「的を離してくれ」


 バートは思わず吹き出しそうになった。


「今の状態でも当たらんのだぞ」


 彼は、カラスがより条件を厳しくすることで失敗の言い訳をするつもりだと、これをとらえた。もはや成功よりも、己の尊厳や体裁の守りに入ったと考えたのである。


「やってくれ」


 呆れたとジェスチャーしながらバートはレバー操作にかかった。これで安心だ。勝負はおれの勝ち。“死の受胎”を売らずに済む。そんな安心の内、ちょっとだけ肩透かしをくらったような空虚感がある。シャーリーが連れて来た男だ。筋も悪くねえ。もっとやると思ったんだが。ビビッドの手前とはいえ、かっこつけがよお。

 するすると的が離れていく。


「こんなもんでいいか」

「もっとだ」

「なに、もっとだと? なら、いい具合で合図してくれよな」


 これでは失敗の理屈にならない。はずれしかないくじのようなものだ。

 火器には適正な射程があって、それはおよそ全長に比例する。大きく長い火器の方が初速を出せ、弾道も安定するのが常識だ。小さく短い小火器では自ずと射程距離は短くなる。

 狭い射撃場とはいえ、的は小火器の有効射程からはずれていくところだった。よほどの名手でもなければ当てられない距離だ。それでもカラスからの合図はない。バートは投げやりな気持ちで、さらにレバーを倒した。カラスはじっと遠ざかっていく的を見ている。こりゃあ、端に行っちまうぞ。案の定、ガコッと大きな音がして、レーン全体が振動した。急な停止で揺れた的が壁にぶつかり何度も音を立てた。


「そこでいい」


 そこでいいもなにも、この射撃場で行える最長距離だ。火器に慣れていないこの素人に何と言ってやろうかとバートが振り返る。そこで彼は異様なものを見た。言葉を失った。

 カラスの構えから、先ほどの二射にあった力強さや安定感が失われていた。カクテルをしこたまやった後、さらにバーテンダーにもう一杯注文するときのような姿勢。だらりと弛緩した手つき。“死の受胎”は、半ば水平に浅く握りこまれている。火器の先端は不思議とぶれていないが、こんな構えでまともに照準があっているとは思えない。問題は当たるかどうかではない。発射の反動で関節が煽られ、骨折してしまう。

 シャーリーが手のひらで顔を隠し、ぶるぶると震え始めた。笑いを堪えているらしかった。


「こいつは、おれだ」


 カラスがなにを言っているかわからない。わからないが撃つつもりだ。バートは直感した。黒い指がトリガーにかけられる。

 ありったけの力をこめても、こいつはそれ以上の力で反発する。強く押さえつけるほどより一層の抵抗をみせる。何ものも寄せつけず、屈服しない異質の存在。なんだ、おれとそっくりじゃないか、とカラスは思った。こいつは、おれだ。ならどうする。簡単だ。自由にさせてやればいい。

 カラスの指に柔らかな力が伝わった。同時に激しい炸裂音が衝撃となって部屋を突き抜けた。怪しげに輝く金属の本体から発射された弾丸は、まっすぐ的へと飛来し左肩のあたりを砕いた。シャーリーが思わず、ふふっと笑い声を洩らした。カラスは反動がまるでなかったかのように平然としている。

 バートは口を開いた。偶然だ、認めないといった意味のことを口走ろうとした。カラスは静かに“死の受胎”を水平に構えなおしていた。だらりとした例の構えだ。続く轟音がバートの言葉を遮った。この弾丸は、まだ揺れが収束しない的のど真ん中を正確に射抜き、粉々の木片にした。


「お見事!」


 思わず嬉しそうな顔をしてしまったのにも気づかずに、シャーリーが叫んだ。バートの開いた口が塞がらない。

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