その25
「やっぱり六つじゃない!」
腰に手を当て肘を張り、騙されたとばかりに憤慨する。ニコラスは例の微笑で返すと、
「そう、ここまではこの街に住んでいるならだれでも知っている。ここからがギャングだけが知ること、裏の情報だよ」
そう言いながら、ニコラスはソルトフリーズの最南端をトンと叩いた。小さな面積ではあるが、深い青が濁った灰色に塗り替えられた。
「ソルトフリーズは《バンク》の縄張りだが、この端の部分だけは違う。ここを支配しているのは《バケット》。エンゾと名乗る男がプライムだ。正直なところ、彼らについての情報はほとんどない。わかっているのは、エンゾがどこかのギャングに属していたのではなく、突然現れたということ。そして《バンク》が所有するソルトフリーズの一角を奪い取った事実だけだ。《バケット》というのも、寄せ集めの集団に対してギャング内でいつの間にか定着していた呼び名で、正式に彼らが名乗ったわけではないんだ」
カラスが首をひねった。
「その《バケット》が七つ目か? 今聞いた限りでは、辺りのチンピラとそう変わらないようだが」
「《バンク》から縄張りを奪う意味は、君が考えているよりもずっと重い。《バンク》は、金貸し業だけでほとんどの運営資金を賄えているから、他のギャングと違って領地への執着が薄い。とはいえ、みすみすそれを明け渡すようなまねはしない。無尽蔵の資金源を後ろ盾にした《バンク》の組織力は、こう評価されている。“敵に回すともっとも面倒なギャングだ”とね。だが《バケット》は、その《バンク》から縄張りを奪い、さらにあっさりと膠着状態に持ちこんだ。つまり、《バケット》はやろうと思えば、どのギャングからも縄張りを奪えたはずなんだ」
「他六つのギャングと同等の実力を持っているわけか」
「フロリアーノのことだ。膠着とみえるのは、奪還の好機を待つ潜伏期間かもしれないがね。なんにしろ、実力が全ての世界だ。他の小さなギャングのように無視するわけにもいかず、六人のプライムの合意によって《バケット》は大ギャング入りを果たしたというわけさ」
「そういや、エンゾはコミッションに一度も顔を出してねえよな? せっかく得た権利だというのに、おかしなやつだぜ」
とマクシミリアンは、合点のいかなさよりもコミッションを軽視された憤りを露わにして言った。
「そこも不気味だ。《バケット》はあれ以来、全く沈黙している。そもそもエンゾがどんな男なのか、だれも知らない。《バンク》が話そうとしないからね。あえて姿をさらさないようにしているとも思える。当のギャングですら、そうなのだ。普通に生活する者たちが《バケット》を知らないのも当然だろう」
カラスは大きく二度うなずいた。彼は、話の始まりよりは幾分の興味を覚えてはいたが、しかし、この動作には説明はもう充分だとの意思表示も含まれていた。
「事情はわかった。これで七つだな」
「それで任務ってなによ。早く教えて!」
ポイットは目をキラキラと輝かせ、待ちきれないふうにニコラスの頭を一周した。
「カラス、君に頼みたいのは潜入だ」
とニコラスは告げた。
ポイットは動きを止めると、不安げにカラスを見上げた。
「勤まるかしら」
「なに、潜入といっても隠密じゃあない。正面から、堂々とギャングに入団してもらうんだからね」
カラスがわずかに表情を曇らせた。ニコラスの言うのは、体のいい厄介払いに思えたからだ。
ニコラスはこの色のない男をだんだんと理解し始めていた。カラスは従順で、かつ鈍感にも思える大胆さを備えている。だが、それは殻にすぎず、その中身は己が排斥されるという強い思いこみ、そしてそれに抗う反骨という、外側と全く反対の要素で満たされている。このいびつさは、彼が育ってきた環境に原因があるのだろうが、まずこの行き違いを解消するため、さっさと続きを話してしまうのがいいと考えた。
「まあ、最後まで聞いてくれ。見てのとおり、今の《モノリス》は、私と今ここにいるビビッド、そして君が全てだ。ドルフをやっつけたいのは山々だが、このままでは勝算は薄い」
カラスは、自分が数に含まれていたことに素直な安堵を感じた。たったそれだけの言葉だったが、ニコラスに対する疑念はさっぱりと失せていた。
ニコラスの口から、今後の具体的なプランが今にも飛びだすのかと、カラスだけでなくビビッドも一様に耳を傾けている。
「必要なのは協力者だ。できれば、七大ギャングのどこか……。しかし、今の《モノリス》では、コミッションを開くことはおろか、直接交渉のテーブルにつくことすらできない。そこで、カラスが必要になる。カラスにはギャングに潜入してもらい、私とそこのプライムの橋渡しになってもらいたい」
マクシミリアンは大きく息を吸いこみ、胸を膨らませた。たしかにこの作戦はカラスにしかできない。ニコラスは当然として、ビビッドも顔が割れているからだ。だが、同時にこれは単なる潜入調査ではなくそれ以上の意味をもった重要なものであった。第二プランのない、ぶっつけ本番。失敗すれば、完全に《モノリス》再興の足は止まってしまうだろう。そんな大事を、この得体の知れない色なしに任せていいものだろうか? カラスはというと、話を聞きながら瞳をギラつかせている。これは受ける気だ。早くも与えられた任務への使命感をたぎらせている。溜めた息が一気に吐き出された。それには胸の内にあった不安と不満が溶けこんでいた。
カラスも与えられた任務の重要性は理解していた。つまり必要とされている。その限り、居場所がある。それは、生存に直結する以外で、カラスの原動力となり得る数少ないものであった。
「それで、どこのギャングへ行けばいい?」
「私が懸念しているのは《ファーナス》だ。街の支配構造が変わって、まず先に動きだすのはヘルフリートだからね」
「なら《ファーナス》だな」
「そう単純にはいかないよ。ヘルフリートに交渉は無意味だ。最初の協力者とするには、話のわかるプライムでないとまずい。フロリアーノは梃子でも動かないだろうし、カーティスは老練狡猾だから一筋縄ではいかない。だが、ベアトリスなら可能性がある」
ニコラスは、ベアトリスと会ってどうするつもりだろうか。しかし、彼の眼には強い光が宿っている。これは勝算の輝きだ。
「そう、カラスに潜入してもらうのは、フリックライツの《ハウス》だ」




