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その2

 男は街をぶらついた。朝の陽気が男をそんな気分にさせた。

 鮮やかな緑色をしたネコとすれ違いながら、男はジュースの先端を親指で押した。すると、それは薬品アンプルのようにパキンと割れた。中は淡いオレンジ色の液体でたっぷりと満たされ、続いて甘酸っぱい香気が男を包んだ。疑いようのない芳純。

 男は喉を鳴らしてジュースを飲んだ。毎日のようにジュースを口にできるだなんて、今までの暮らしから想像できただろうか。男が田舎の小さな村から出てきたのは三日前のことだ。

 男は他のヒュープルと一緒にパレットシティ行きの大型動力車に揺られていた。すでに動力車はパレットシティに入っていた。ここから都市内の各地区を回り、また地方へ向かっていくのだ。まさかパレットシティが動力車で移動しないといけないほど広いとは考えてもいなかった男は、どこで下車したものかと思案しながらシートに体をうずめた。

 車窓からは敷地ぴったりにビルが建て連なった街並みが見えていた。そこは男が出てきた田舎とは何もかもが違った。

 歩道には一定間隔で長細い柱が並び立ち、先端には明かりが灯っていた。色灯、特に路上に設置されているものは色外灯というのだそうだ。

 故郷では夜になると暗いのが当たり前で誰ひとり外出などしなかったものだが、ここでは違う。ほとんど隙間なく並んだ四角い建物が、色外灯の明かりにぼんやりと照らし出されていた。そこを行き交う人々の姿は幻想的ですらあり、異世界に迷いこんだのかと疑いたくなるほどであった。

 動力車が停まり乗客の大半が降り始めたので、男もここからは実際に町を歩いてみることにした。

 歩くたびに足元に伝わる確かな感触が伝わり、硬い靴音が響いた。石畳特有の物だ。パレットシティの中央に位置するここ、セントラル地区は路地にいたるまで石畳の舗装で統一されている。田舎では道といえば、むき出しの土だった。所々に埋もれた石によるでこぼこした構造や路傍の名も知らぬ花たちを情緒と呼ぶことはできただろうが、通行の利便性ではこちらに軍配を上げざるを得ないだろう。何より靴が泥で汚れない。

 男が道を横断しようとすると、強烈な光を双眸から発しながらもの凄いスピードで目の前を横切るものがあった。色燃式動力車だ。目と見えたのはヘッドライトだった。動力車は地方では馴染みがなかった。男が見たことがあったのは、月に一度、都会からやってくる大きな運搬動力車ぐらいのものだ。それは業者が農村に物資を卸すためのもので、時には作物を買いつけに来ることもあった。だがパレットシティでは業者の運搬用、あるいは公共の移動手段としてだけでなく、個人が動力車を所有し街中を乗り回しているのだ。

 その機構が持つ馬力と速度に感心しながら、男は改めて車道を渡り切った。

 慣れない動力車に乗って疲れがたまっていたのだろう、男は目の前にあった宿屋に迷わず入っていった。こんな小さな宿の窓からも色灯の温かな光が漏れ出ていた。中から明るい声が響いた……。

 回想から戻った男は壁に寄りかかり、仰ぎながら周囲を見回した。目に映る町の景観、色灯、動力車、これら全てはジュース、あの直方体の結晶によって機能している。

 百年ほど前、物質構成を研究していたモンタギュー博士が、物質として存在する最小単位、ジュースを発見した。ジュース結晶の硬度、そして液状ジュースのエネルギー効率はそれまでにないものだった。それ以降、惑星カンバスは大都市を中心にした目覚ましい技術発展を遂げることとなったのだ。

 有数の巨大都市であるパレットシティも例にもれず、ジュースの恩恵を余すところなく享受していた。都市景観の生成といった大がかりなものから、大きさを問わない機構の動力源、さらには栄養価の高い飲料として広く活用され、親しまれている。つまり、あらゆるもののエネルギー源となりうるのがジュースなのだ。

 パレットシティはカンバスの中でも完成された都市のひとつだと言われている。この地を足で踏み、誇張ない評判通りの場所だと感じた。だが男は落ち着かなかった。素晴らしい場所であればあるほど、男が異物である実感が大きくなるようだった。心は常に張り詰めていた。

 居場所を探すのだ。必要なのは物質的な住居ではなく、自分の役割、あるいは自分を必要とする人々の精神だ。男は饒舌じょうぜつな方ではない。何か特別な技術や知識を持っているわけでもない。だが腕っ節には自信がある。男が向かっているのは、素性を重視しない完全実力主義の場だった。


「ここか」


 男は帽子のつばをつまみながら、そびえる白い壁を見上げた。周囲からも抜きん出て大きな物体だった。エントランスと窓が見えるため、かろうじて建物であるとわかる。白亜の摩天楼。いったい何階層あるのか。窓は上層の数階層にしか見当たらず、外部から階数を判断するのは難しかった。

 エントランス前はやや高いステップになっており正面に階段があった。そして扉を挟むようにして屈強なガードマンが二人、身じろぎもせずに、ただその目だけを油断なく周囲に注ぎながら直立していた。ひとりは額に傷のあるオレンジ色をしたイヌ、もうひとりは黄緑の剛毛に覆われたイノシシだったが、双方銀の襟章えりしょうがついた白いスーツという装いは共通していた。

 ビルの前で立ち止まった男を不審に思ったらしくイヌの方が話しかけてきた。


「おい、おまえ。無暗に立ち止まるな。ここがどこか知っているのか?」

「知っている」


 男はエントランスに続く階段を上り始めた。露骨にまゆをしかめたイヌをイノシシは鼻を鳴らしながらなだめた。


「たまにいるんだよ、こういった手合いがな。おれたちを挑発したって武勇伝を夜の酒場でさかなにでもするんだろう」


 イノシシは、まあ任せておけとイヌの肩を叩いた。


「止まれ。進むのはここまでにしておきな。度胸試しだったら、もう十分だ。話の種にはなっただろう。回れ右して帰るんだな」


 イノシシは自信満々に諭したつもりだったが、男は止まらなかった。彼には二人の恐ろしい視線が見えないのだろうか。あるいは帽子の広いつばが相手の発する怒気さえも遮ってしまっているのだろうか。イノシシとイヌがさっと間隔を詰め、扉の前に立ちふさがった。男は帽子のつばを目深に引きながら、彼らの目の前で立ち止まった。


「ここに用事がある。プライムに会いに来た」


 それまで優しい顔で対応していたイノシシも、この言葉には表情を厳しくした。


「こっからは冗談では済まされないぞ。おまえはここが《モノリス》の本拠地、ホワイトモノリスだと知って、しかもプライムに会いに来たって、そう言うのか?」

「何度も言わせるな。そうだ」

「通せないな」


 無視して二人の間を抜けて行こうとする男の胸をイノシシが突いた。


「聞こえなかったのか? だめだ。ここは通せない」

「なぜだ?」


 不意に感じた気配に男は素早く身をひるがえした。返って来たのは言葉ではなくイヌの鋭い爪。振りあげられた爪がつばをかすめ、男の被っていた帽子を弾き飛ばした。


「おいおい、無茶はよせ。不必要に暴力と振るったとあっちゃ、おれまでどやされちまうんだぞ」


 イノシシは慌てた様子で言った。


「そんなんだから相手をつけ上がらせる。一度舐められたら終わりだぞ。なあに、少し脅しただけよ。見てみろ、これで大人しく……」


 男に視線を戻した二人は言葉を失った。帽子の下にあった男の顔が真っ黒だったからだ。それはもはや色ではない。明度を極限まで奪い去った闇だった。


「おまえ、ダルだったのか」

「いや、ダルなんてもんじゃねえ。これじゃあ色なしカラーレス……カラスだ。それもここまでのは珍しい。初めて見るぜ」

「なんにしろ、通すわけにはいかねえ。カラスならなおさらだ。帰った帰っ……」


 言い終わらぬうちに黒い裏拳がイノシシの横面を貫いた。巨体がよろめく。壁に背中が触れるとすとんと腰を落とした。男はこれでよしとばかりにエントランスへ向かって真っ直ぐ踏み出した。


「野郎!」


 イヌが低い唸り声を上げながら猛烈に突進した。振りあげられた手に鋭い爪が光った。突然、その顔にジャケットがかぶさり視界を奪った。それを取り去ろうと手が伸びるよりも早く、男の蹴りが腹部にめりこんでいた。イヌは壁に激突し崩れ落ちる。動かない。男はイノシシを見下ろした。


「なぜ通せない? カラスだからではないだろう。誰でも歓迎といかないのは分かるが、《モノリス》は開かれた組織だと聞いていた」


 イノシシは答えない。完全に気を失っていた。男はため息をついた。


「やれやれ。穏便とはいかない」


 男はジャケットに袖を通すと、帽子を拾い上げて埃をはらった。


「だが元より、そのつもりだ」


 向かい合ってのびた二人のガードマンを置いて、帽子をかぶった男は、実に堂々たる態度でパレットシティ最大のギャング、《モノリス》の扉をくぐった。

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