その18
「クソッ!」
マクシミリアンがやり場のない怒りをテーブルへとぶつけた。上に乗ったカップが飛びあがり、着地に失敗して横倒しになった。
「なにもかも、ジェイラスのジュースがなくなっちまったからだ!」
マクシミリアンは賛同を求めるように、一同をじろりと見まわした。同意の声は挙がらなかった。
「ニコラスがジュースを継承していれば、他のプライムはコミッションを無視できなかった。他のプライムがいる中じゃあ、ドルフにやすやすとホワイトモノリスを奪われるなんてこともなかったはずだ! ジュースさえあれば、全部上手くいっていたんだ! 違うか!?」
「そのへんで、やめときな」
熱がこもってきたマクシミリアンをいさめるようにシャーリーが言った。だが、その声にいつもの彼女はいなかった。アルはうつむいて、じっとしていた。
あの日ニコラスは、ジュース継承をすませたのち、その流れでコミッションを執り行うつもりだった。
ジェイラスのジュースを手に入れてさえいれば、ニコラスがいかに身体に問題を抱えていたとしても、それを打ち消すほどの驚異的な力を得られるはずだった。それほど“偉大な”ジェイラスは強大だった。名実ともにジェイラスの後を継いだとなれば、ニコラスは“枯れ木”の通り名で見下されることなく、プライムは招集に応じたはずだ。コミッションは円滑に運んだだろう。
だが現実は、ジェイラスのジュースが紛失しニコラスは病弱なままだった。ニコラスはジェイラスのジュース継承をしていないらしい――うわさは短時間で広まる。ニコラスの実力に疑問を持ったプライムたちは、コミッションに応じなかった。その隙をドルフに突かれ、ホワイトモノリスを失った……。
だれもが心の中ではマクシミリアンに同意していた。言葉にしなかったのは、今さら言ってもどうにもならないからだ。
彼らが事の発端をジェイラスのジュース紛失に求めたのは当然の成り行きだった。
「私がジュースを継承できなかったのが全ての原因だ。すまない」
とニコラスは頭を下げた。
「違う。違うんだ、ニコラス。責めるつもりじゃなかったんだ。ジュースがなくなったのは、あんたの責任じゃない……」
「違いはしない。私はプライムとして、ジェイラスのジュースを受け継ぐ義務があった。どんな理由があったにせよ、私はそれを果たせなかったんだ。器量不足というほかない」
「……解散は、それを恥じてなのか?」
シャーリーの問いにニコラスは沈黙で返した。
ホワイトモノリスから逃げ延びたときとはまた違う、いやな重苦しい空気が流れていた。その圧迫感が口を開くことをためらわせた。だれかの一言をきっかけに事態がさらに悪い方向へと転がってしまうと信じているかのように、全員が一様に口をつぐんでいた。
肌を刺す静寂を破ったのは、それまでなにひとつしゃべらなかったカラスだった。
「さっきからジェイラスのジュースと言っているが、それはなんだ? 普通のジュースとは違うのか」
「あんたはなにも知らないんだな」
シャーリーはカラスに向かってあきれたと首をすくめながら、空気の微妙な変化を見逃さなかった。
「解散するにしても今すぐじゃなくていいだろ。明日、やつらが攻めてくると決まったわけじゃないんだ。あたしたちにも考える時間がほしい」
とニコラスに伝えた。
「……わかった。だが、私の考えは伝えたとおりだ。あまり時間はないと思った方がいい。セントラル地区を変えてしまったのでわかるとおり、すでに《エピタフ》は動き出している」
ビビッドたちはそれぞれ短い返事をした。
この場で即解散とならなかったことにシャーリーは胸をなでおろす思いだった。
それにしても……とカラスを横目で見やる。この男はなぜ、突然あのような質問をしたのだろう。たまたま利用できたものの、どう考えても間の悪い発言のタイミングだ。単に空気が読めないだけかもしれない。あるいはクソ度胸が据わっているのか。ともかく助かったのはたしかだ。質問に答えるぐらいはしてもいいとシャーリーは思った。
「カラス」
「なんだ」
「さっきの質問だが、義理はないが答えてやるよ」
「そうか」
カラスは表情を変えない。食えない男だ。だがおもしろい。なにを考えてあの質問をしたのか。質問に答えるぐらいの気持ちのはずが、シャーリーのそれはすでに興味へと変わっていた。つきとめろ。ギャングとしての第六感がそうささやいていた。
「ジュースを飲んだヒュープルの命が尽きるとき、その全ては一本のジュースに変換されるのは知ってるね。これには身体能力、『カラー』、生前に飲んだジュースの質……そういったものがすべて集約される。簡単にいえば、強いやつが残したジュースほど高品質なのさ。それを飲めば……」
「強さが引き継げるのか」
「完全に、ではないがそのとおり。“偉大な”ジェイラス……先代プライムの名だ。ジェイラスのジュースとは、彼の人生が詰まった至高の一本。パレットシティを実質的に支配した男のジュースだ。飲めば支配者の器が約束される。とんでもない代物さ」
「それで話は見えた」
「お気に召したかい」
「だが、おれの聞きたかったのはそこじゃない。ジュースの形状や大きさのことだ」
シャーリーは目を細めた。
「妙な質問だ。ジェイラスのジュースだからって、見た目形は普通のジュースと変わらない。けど、どうしてあんたがそれを知りたがる」
「心当たりがある」
「なんだって?」
カラスの言葉は、それまで会話の外だったシャーリー以外の三人を一気に巻きこんだ。それぞれの顔にはっきりと驚きが浮かんでいた。ニコラスが面を上げ、やや興奮した様子で、
「本当か? どこで見た?」
と車輪をキイキイいわせながらカラスの方を向いた。
「ホワイトモノリスだ」
「なんだって。じゃあ、ジュースはまだあそこにあるのか」
「いや、ない」
「カラス、君はジュースの在処を知っているようだ」
カラスは珍しく、すこし思案するような表情を見せてこう言った。
「ジュースは、飲んでしまった」
一同、唖然とした。いち早く立ち直ったのはマクシミリアンだ。肌を薄赤く染め、毛を逆立てながらカラスへと迫った。
「おまえだったのか、ジュースを盗ったのは……」
静かな言葉に、沸騰寸前の怒りがこめられていた。胸倉をつかもうと巨碗が伸びる。それをカラスが力強くはじいた。二人の視線が激しくぶつかり合った。
マクシミリアンは無言で着たばかりのジャケットを脱ぎ、ばさりと床に落とした。ゆっくりと拳をかまえる。剥いた牙の隙間から、熱い気息がゆるゆると吐き出された。




