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その16

「始まったな」


 セントラル地区の変化は、ニコラスたちが乗る動力車を追い抜いて広がっていった。ホワイトモノリスはもはやぽつんと見えるだけだったが、それでもその変容ぶりがはっきりとわかった。


「ああ……私たちのホワイトモノリスが……」


 アルが力なく言った。


「見てられねえぜ。あんまりだ……」


 マクシミリアンがうなだれる。ニコラスがぽつりと言った。


「拠点をうばわれるとは、そういうことだ」


 カラスはバックミラーに目をやった。そこに映るニコラスは、顔をそむけることなく、視界から消えるまでずっと、ホワイトモノリスだったものを見つめていた。その表情は、今日失ったものの重さを詰めこんだカプセルを噛みつぶし、その苦みを忘れまいとしているかのようだった。

 まだ夕刻を回らないというのに、あたりはうす暗い。

 動力車はセントラルはずれにある小さなガレージに入っていった。

 マクシミリアンがシャッターを下ろすと、ガレージの中は真っ暗になったが、すぐにシャーリーが色灯のスイッチを入れた。

 ガレージ内は古びていて、最近使われた形跡がない。しかし所狭しと工具が棚に並び、ジュース燃料のバレルと保存食の入った箱が備蓄されているところをみると、どうやら緊急避難用の簡易基地としてあらかじめ想定された場所らしい。

 それぞれ適当な場所に腰をおろしたが、しばらく誰も口をきかなかった。


「……もう休もう。明日は追われる身かもしれない。寝られるときに寝ておくんだ」


 とニコラスが弱々しく言った。返事のないまま、ボロボロのマットレスが何枚か引き出された。


「見張りをしていよう。おれは寝なくていい」


 カラスだけはいつも通りの調子だった。ニコラスは首を振る。


「きみは部外者だ。これ以上の危険につきあう必要もないだろう。我々の元から去るといい」

「それは命令か」

「いや、親切心からの忠告だ」

「なら、判断するのはおれだ。ここにいる」


 カラスは用意されたマットレスの上にどっかりと座りこんでしまった。ニコラスは諦めたようにうなずき、


「……きみは変わっているな。だが、睡眠はとってくれ。肝心な時に寝ぼけられても助けてやれはしないからね」


 と言うなり、車イスからマットの上に崩れ落ちた。コミッションに向けて張りつめてきた気持ちの糸が切れたのだろう。体を丸め、しきりに咳こんだ。シャーリーがそっと毛布をかけてやる。


「極力目立たない方がいいね。明かりはもう消すよ」


 パチンと音がして、辺りは再び暗闇となった。

 マットレスは硬くて、ちょっと臭ったが、劣悪な生活を経験してきたカラスにとって、これは快適の部類だった。

 天井を見つめていると、黒いスクリーンになにかが浮かびそうになっては消えていった。正体をつかもうとすると途端にあやふやになり、新しい形を取ろうとする。いかにも暗示的だが、もしかすると最初からなんの形でもないのかもしれない。

 複数の寝息。マクシミリアンが輾転てんてんとしている気配がする。見かけによらず神経質なやつだ。

 意識ははっきりしていると思っていたが、やはり疲れていたのだろう。カラスもいつの間にか眠りに落ちていった。




 翌日、まだ太陽がちろりと頭を出したころにカラスは目覚めた。一番かと思ったが違った。アルとマクシミリアンの姿がない。

 ガレージの隣は一続きの家屋になっていて、一通りの家具が備えてあった。カラスはそちらであちこち漁っていると、小さな丸い粒がつまった袋を発見した。

 これはケンカーという果実の種子を乾燥焙煎したもので、サーボリと呼ばれるものだ。このまま食べても苦みが強く、ザリザリするだけでおいしくないのだが、お湯で煮たてると香ばしい飲み物になる。ジュースが普及した今、あまり飲まれることはなくなったが、カラスのいた村では日常の嗜好品だった。

 香りに懐かしさを覚えて、カラスがお湯を沸かしていると、奥の方から水音と鼻歌が聞こえてきた。どうやらマクシミリアンのものだ。

 カラスがサーボリを堪能していると、マクシミリアンが腰巻いっちょうで現れた。


「お、サーボリか」


 頭をタオルで拭き拭き、言う。白い体についた血糊はすっかり洗い落とされていた。やはり、傷は見当たらない。


「いい香りだな」

「飲むか? じゅうぶんに淹れてある」

「それじゃ、もらおうか」


 マクシミリアンはその格好のままでイスにどかっと座ると、カラスからカップを受け取った。香りを楽しみ、口に含んだ。彼はなにも感想を言わなかったが、カップはきれいに空になっていた。

 香りに誘われて、ニコラスとシャーリーも起きだしてきた。


「おはよう。早いな、ふたりとも」

「寝床が汚かったんでな。どうにも体がむずがゆくて、目が覚めちまった」


 マクシミリアンが、もう臭わないかチェックするように自分の腕を嗅いだ。


「あたしもシャワー、浴びてこようかね」


 とシャーリーが奥へ消える。かすかな水のはじける音。

 カラスは部屋を見回した。


「あのイタチはどうした」

「ああ、アルか。姿がないな」


 ニコラスもアルの行方を知らないようだった。マクシミリアンが首をひねった。


「ニコラスが指示したんじゃなかったのか。おれが起きたときには、もういなかったぜ」

「寝ていては指示は出せないよ。おおよそ、街の様子でも見に行ったんだろう」


 この状況での無断の単独行動は本来許されるものではない。しかし、アルを非難する者はいなかった。このやりきれない状況をいくらかでも和らげるには、とにかく動くことだ。目的や成果の枠から外れた、純粋な過程に身を任せること。これが最も有効だと誰もが理解していた。

 会話が途切れ、バスルームからの水音だけが聞こえる。重苦しい空気に、マクシミリアンは思わずため息をついた。それをごまかすように真新しいシャツに腕を通す。これもまた、咎められるものではない。

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