その12
バーナビーはカラスめがけて目にもとまらぬ速さの手刀を繰り出す。
ただの手刀ではない。このとき両手首に隠された結晶刃が飛び出し、文字通り手の刀となって相手を襲うのだ。並大抵の者はなにもできない。よくても腕を上げて防御姿勢をとれる程度。だが、この結晶刃は腕の一、二本はやすやすと切り飛ばす鋭利さをそなえていた。違いは一撃目が急所に当たるかどうかであって、体内からジュース結晶を生成できず、『カラー』も持たない色なしでは、続く高速の連撃を防ぐ手段は存在しない。
しかし、それは並大抵ならの話だ。
バーナビーの結晶刃がカラスの体に触れたかと思われたとき、その腕が強烈な力によってはじかれた。ズタズタに引き裂かれていなければいけないはずの対象は、どうも無事なようすで立っている。バーナビーはなにが起こったのかわからず、きょとんとした。
バーナビーが次の行動を起こすよりも早く、カラスのひざ蹴りが腹部にめりこんだ。くの字に体を折り曲げ、苦悶の声を上げるバーナビー。下がったあごを強烈な掌打が突き上げる。曲った体が今度は後ろにそり返り、バーナビーの体は頭部に引っ張られるようにしてぐんと浮きあがった。
宙で放物線を描くバーナビーに追従するようにカラスが飛び上がる。空中でバーナビーはカラスと目が合った。
「おれが不安だったのは、おまえの話で三十秒が過ぎちまわないか、それだけだ」
バーナビーはぞくりと背筋を震わせた。この男、速い。速すぎる。顔からは仮初の陰鬱さは消え、本当の恐怖が貼りついた。
カラスはバーナビーを蹴り落とした。激しく床に衝突し、体が跳ね上がる。そのバウンドを押さえこむかのように、カラスはバーナビーの上に勢いよく着地した。
この場で動くものはいなかった。
バーナビーはカラスの足の下でぴくりともしない。構成員たちは状況を理解できなかった。結果がつきつけられるにはあまりに唐突で、あまりに予想外であった。
ザカリーとそれが従える構成員たちも、その光景を目の当たりにした。目を見開き、とても信じられないという表情をしていた。異様な雰囲気に、ニコラスたちも戦いを忘れ振り返ったほどだ。
次の瞬間、カラスは黒い暴風となった。カラスが上着をはためかせ構成員たちの間を駆け抜けたかと思うとジュースが床に転がった。悲鳴なんてものはない。あがるのは士気の欠けた罵声とごく短い、あっとか、うっとかいう呻きだけだ。それも長くは続かなかった。
床に色とりどりのジュースが転がっていた。カラスはその間を悠々と歩き、ニコラスの元へと戻ろうとした。
「あまいね、カラス」
シャーリーが小火器をカラスの方へと向けた。動きには迷いが見当たらず、その照準はぴたりと定まっていた。カラスは足を止め、その銃口を見た。
携行性を重視される色力式小火器の場合、マガジンの機構を単純化するために弾丸とジュースが一対になっていないのが一般的である。マガジンと呼ばれるものに入っているのは、火薬の役割をはたす高純度ジュースだけだ。では弾丸はどうするのか。それは体内のジュースを体外で結晶化させるのと同じ理屈で、マガジンの高純度ジュースからジュース結晶の弾丸を機構内に生成するのである。その後トリガーを引くことでハンマーがマガジンに激突し、その衝撃によって高純度ジュースの一部が爆裂、膨張し結晶弾を高速で押し出す、という仕組みになっている。
つまり色力式小火器の機構自体はセミオートなのだが、そのまま続けてトリガーを引いても次の弾丸が存在しない。空砲になってしまうわけだ。
ここでシャーリーは正確に三度、流れるようにトリガーを引いた。これほどの速射ができるというだけで、彼女の結晶練達度が卓越したものであると判断できるだろう。
発射された硬質な結晶弾が三発、カラスへと向かう。
「……」
カラスの後ろにギラギラと目を輝かせた人影があった。バーナビーだ。痛烈な痛手から彼を立ち上がらせたのは、ビビッドとしての誇りか、カラスへの怒りか、あるいはその両方かもしれなかった。眼は血走り、通り名である陰鬱さは微塵もない。
バーナビーは今度こそしとめ損なうまいと両腕に結晶刃をかまえ、カラスに斬りかかる。しかも、バーナビーの体は床にはない。まるでひとりだけ重力の法則がちがっているかのように壁に直立していた。足音を消し、自由自在な位置取りでの暗殺を可能とする。これがバーナビーの『カラー』だ。
カラスは背を向けたままだった。最適な位置取り。バーナビーの両腕がカラスの首を断たんと振り抜かれようとする。カラスはちらりとも背後を確認していない。
しかし次の瞬間、カラスの黒い拳が寸分狂わずバーナビーのあごを叩きつぶした。
「そ、そんな……がはッ!!」
間髪いれずにシャーリーの放った弾丸が三つともバーナビーの胴を撃ち抜いた。
「殴りやすい位置に来てくれるとは、親切なやつだ」
「なんだ、気づいていたのかい。ビビって下手に動いていたら、あんたごと殺しちまってたよ」
バーナビーの足が壁をはなれる。空中で光の粒となり、ジュースに吸収された。落下したバーナビーの結晶は、そこいらに散らばるジュース結晶の中に混ざってしまった。
「足音を消しても、あれだけ殺気を振りまいていたんじゃな。それに射線はおれに向いちゃいなかった」
「へえ」
シャーリーがこらえきれないように口角をつり上げた。
「さて……」
ニコラスがザカリーたちを見た。それだけで合図はじゅうぶんだった。
《モノリス》ビビッドたちが迅速に動き出す。シャーリーの小火器が弾丸をはきだし、構成員たちの眉間を次々に撃ち抜いていく。アルが金属ナイフ片手に駆ける。あまりに素早いので、通り過ぎてしばらくしてから構成員たちが倒れ始めるほどだった。マクシミリアンは自慢の怪力でばったばったと目の前の敵をなぎ倒していく。
ものの数秒でザカリー周囲の構成員の八割がジュース化していた。
「引くぞ……退却だ」
ザカリーの声は一本調子であったが、顔には明らかにあせりがあった。周囲に黒紫の煙が漂い始め、そこに避難するように構成員があわただしく集まっていく。
シャーリーはザカリーを狙って連射するが、にわかに煙が濃度を増した。硬質な音ともに弾丸がはじかれる。煙が薄れたときにはザカリーたちの姿はあとかたもなかった。
「ちっ、逃がしちまったね」
シャーリーがマガジンを交換しながら口惜しそうに言った。
周囲にはジュースが散乱しているだけとなった。実際、カラスは与えられた時間でバーナビー率いる一団を壊滅させてしまったのだ。
「カラス、よくやった」
とニコラス。マクシミリアンは複雑な表情だ。
「三十秒は過ぎてしまった」
「それを加味しても、かける言葉は変わらない。だがここでは、ほめるだけにしておこう。未だ我々は敵の腹中にいるのだからね」
「だけどな、バーナビーをぶっ殺され、あれだけの構成員を失ったとあっちゃ、敵さんも混乱しているだろうぜ。今なら脱出できる」
昇降機に向かおうとするマクシミリアンをニコラスが止めた。
「そう話は簡単でないかもしれない。私も昇降機を使って一気に脱出するつもりでここまで来た。しかし、ここまで進んできて、配置されている戦力、そして戦術の的確さを感じずにはいられない。このまま昇降機を使えば、これ以上の強烈な待ち伏せに何度もあうことになるだろう」
「だったら階段かよ?」
ニコラスは首を振った。
「時間がかかりすぎる。みすみす相手に立て直しの時間を与えるようなものだ」
「それは、ここでまごまごしていても同じことじゃないか」
ニコラスはシャーリーの言葉を心の中で肯定した。そもそもホワイトモノリスの構造はニコラスが一番よく知っている。だが、だからこそなにか別の方法を思いつかなければいけなかった。
「すなおに昇降機を使うのは最後の手段だ。別の方法を探そう」




