6.アクシオの逆襲
デールに別れを告げた後、ヴィルエはすぐに会場を出た。
外に待機させていたミゼレーに事の次第を話す。まずはレインブル家への連絡も急ぎたいところだが、文でのやりとりは時間がかかる。ヴィルエの代理としてミゼレーに向かってもらうことにした。
ヴィルエは馬車に乗り込み、屋敷へと戻る。アクシオは出かけていると聞いているが、予定よりも遅くなってしまった。できれば彼よりは早く戻りたいところである。
霧がかった夜の街を抜け、ニーベルジュ領に入る。
ようやく屋敷に着いて馬車から降りたヴィルエだったが、彼女はすぐに後悔することになる。
玄関扉にもたれかかったアクシオの姿が見えたためだ。
(……これは逃げられなさそうね)
彼は険しい顔をし、こちらを見ている。逃げ場はない。
内心で生じた焦りを隠し、ヴィルエは颯爽とアクシオのもとに行く。彼が口を開くより先に、ヴィルエから告げた。
「ずっと待っていらしたの?」
「夜も元気に飛び回る蝶のおかげで、ニーベルジュは悪妻を迎えたと言われている」
「お気に召しませんでした? 『夜宴の黒花』との縁談を許した時から、そのような外聞は覚悟しているものと思っていたのですが」
「お前は若い子爵がお気に入りらしいな。密室にて親しげに話していたそうじゃないか」
彼が語っているのはデールのことだ。となればヴィルエに監視をつけていたのだろう。それをこの場で告げてくるアクシオに苛立つ。
不満そうに話しているが、愛人がいようと構わないと言ったのはアクシオだ。それに結婚前には興味を持たないと話していたはずである。
そもそも。ヴィルエにとってデールはお気に入りでも何でもない。『国王の耳』として情報収集するべく、仕方なく彼に迫っただけだ。あんなのが好みだと思われるのは心外だ。
その怒りをぶつけるように、ヴィルエはアクシオに微笑む。
「顔を合わす機会を増やすとは仰っていましたけれど、ここまで興味を持たれるなんて意外でしたわ」
この男は、本当に腹が立つ。
出会ったばかりでも干渉しないと突き放し、しかし重要な秘密を知られれば慌てて監視を付けてくる。
(『夜梟』であることを知られたくなかったのなら、私との縁談なんて引き受けなければよかったのに)
ヴィルエは彼から視線を逸らす。アクシオを無視して、歩き出した。
そのまま屋敷の中に入る――つもりであったが、それは敵わなかった。
アクシオの前を通り過ぎようとした瞬間、ぐいと腕を引っ張られる。アクシオがヴィルエの腕を掴んだのだ。
「……良からぬことをするなよ」
地を這うような声で囁く。きっと睨み付けるもアクシオは眉間に深い皺を寄せ、こちらを射貫かんばかりの眼光を向けている。
「仮でもお前は俺の妻だ。くだらない企みはやめろ」
「どういう意味かしら?」
「あの男に近づくなと言っている」
あの男とはデールのことであり、ヴィルエに余計なことをするなと忠告しているのだ。
(デールが進めている暗殺計画について、私に引っかき回されたくないのかしら)
ここでその忠告が出ると言うことは、やはりアクシオはデールの依頼を受けた暗殺者かもしれない。
「私を愛さないと宣言したのは旦那様のくせに、今になって他の者に近づくななんてよく言えましたわね」
忠告されてその通りにできるわけがない。ヴィルエは『国王の耳』として動かなけれならないのだ。
そして何よりも、彼の高圧的な態度が鼻につく。興味はないと言った本人が行動を強制してくるなんて横暴だ。
「蝶が自由に飛び回るのは、蝶だけの責任ではありませんよ。籠がなければどこへでも飛べてしまう」
アクシオの表情がさらに険しくなる。それでもヴィルエは言葉による攻撃の手を緩めない。
「そろそろ放してくださる? 旦那様ったら、女性の扱いが下手ですのね。このように力強く掴んでしまえば、蝶の羽根も折れてしまいますわよ」
アクシオは女性に不慣れだ。だからか強く言えば昼間のように赤面して手を離すだろう。それを狙ってからかうように告げたのだが、返ってきたのは予想に反するものだった。
「つまり、俺がお前を構わないから男遊びに励んでいると?」
意外にも、ヴィルエの腕を掴む彼の手に力がこもった。その力強さに後退りをするも、すぐさま距離を詰められる。気づけば、壁際まで追い込まれていた。
それでも足りないらしく、アクシオはヴィルエのそばに手をついて顔を近づける。
(う、嘘でしょう? こんなことできる人だと思っていなかったのに)
アクシオが纏う香水の香りさえもわかるほど距離が近い。体格の良いアクシオが壁際に手をつけば、まるで囲いこまれているような閉塞感がある。見上げれば悔しいほど整った顔立ちがこちらに向いていた。
ヴィルエは内心で動じていた。アクシオは女性に不慣れだろうと考えていたのだ。こちらに触れることさえ出来ないのだと甘く見ていた。
それが、今は真剣な表情をしてこちらを見つめている。腕に込められた力は強く、振りほどこうとしても敵わないだろう。
(あの可愛い赤面はどこに消えたの! こんな反撃をするなんて――)
吐息さえも重なるほどの近さで、彼に見下ろされている。狼狽えていたり、顔を赤らめたりする時とは違うその表情に、彼は男の人なのだと意識させられてしまう。
「ヴィルエ」
名を呼んだ後、彼の顔がゆっくりとこちらに迫ってくる。そして耳元でささやいた。
「お前は俺の妻だとわからせてやれば、満足するのか?」
甘く囁かれ、頬どころか耳まで熱くなりそうだ。アクシオに聞こえてしまうのではないかと不安になるほど心音が急いている。
(動揺を見せてはだめ! 落ち着くのよヴィルエ。相手は初心な反応をしていた旦那様なんだから! きっと今は暴走してるだけ!)
なにせ『夜宴の黒花』の異名を持っているのだ。そんなヴィルエが、壁とアクシオの間に挟まれて迫られているからといって動揺するわけにはいかない。男性経験がないことを相手に気づかれてしまう。
「私は……」
アクシオに負けてはいけない。屈してはいけない。そう考えて反論しようとするも、普段のように鋭い言葉が浮かんでこない。彼の熱いまなざしが逃がしてくれないのだ。
体温が上昇していくのがわかる。今頃、真っ赤な顔をしているのではないか。
それを彼に見られるのが腹立たしく、ヴィルエはアクシオから顔を背けた。
「……は、放して」
ようやく紡げたのは精一杯の言葉だ。普段なら饒舌だというのに、今は戸惑い震えた声しかあげられない。
だが弱々しいその言葉はじゅうぶんアクシオに届いたらしい。彼の瞳が大きく揺らぎ、怒りや焦りが瞬時に消えていく。我に返ったからしく、ぱっと手を放した。
「あ……わ、悪い。こんなつもりは――」
手を放すだけでなく、飛び退くようにしてヴィルエから離れている様子から察するに、これほど近くに迫っているのだとアクシオ自身も気づいていなかったようだ。
距離を取っても、まだ心音は急いている。彼の腕に閉じ込められた時、妙な気持ちに捕らわれてしまった。動けなくなって、彼の瞳だけを見つめていたくなるような衝動だ。
そんなの、自分らしくない。これをアクシオには知られたくなかった。振る舞いと異なり、男性に慣れていないという弱点を晒したくない。
ヴィルエは何も言わず、彼に背を向けた。
「待て! 話は終わってない」
後ろからアクシオの声が聞こえてきた。だが、振り返らず足早に去って行く。幸いにも彼が追いかけてくる様子はなかった。
早く部屋に逃げ込みたい。目を瞑れば、間近まで迫ったアイスブルーの瞳が思い出される。
遊んでいる時間はないというのに、頬に生じた熱はまだ冷めてくれそうになかった。




