4.5.彼が知る『夜宴の黒花』(アクシオ視点)
アクシオ・ニーベルジュの機嫌は最悪だった。
それは乗っている馬車の揺れ心地が悪いからではない。彼を悩ますは、厄介な悪妻ヴィルエのことである。
(やはり、俺が『夜梟』だと気づいているんじゃないだろうか)
それを確かめるため、あの夜から今日までヴィルエと顔を合わせるようにしてきた。『夜梟』の真実を知ったことを彼女が隠しているならば、接点を増やせばぼろがでるはずだと考えていたのだが。
(でもヴィルエの様子を確かめようとすれば……こっちの身がもたない)
ヴィルエは一筋縄ではいかない。問いかけても動じることなく、それどころか言葉で攻めてくる。美しい容姿を活用し、こちらとの距離を詰めてくるのだ。彼女の纏う甘い香りが迫るだけで、くすぐられているような心地になってしまう。彼女と目を合わせるだけでも限界だ。
何とか平静を装い、ニーベルジュ伯爵としての体面を保とうとしているが、いつぼろが出るかわからない。
「お悩みなようですね。もしかして奥様のことでしょうか?」
馬車に揺らされながら物思いに耽っていると、向かいに座るグレンに声をかけられた。
ヴィルエとの会話について考えていた、と答えそうになったが、相手はグレンである。またからかわれるだろう。余計なことを言わないよう、慎重にアクシオは答える。
「あの日、ヴィルエは正体を見たんじゃないかと考えていた」
「ああ。まだ疑っているんです?」
「もし見ているのなら……消さなければいけないだろ」
人を愛することはできない。
アクシオの宣言に至った理由の一つが『夜梟』である。
アクシオは『夜梟』になった時から、他人を強く想うことはしないと決めていた。
この手は血で汚れてしまった。いくつもの命を奪い、その未来を閉ざしてきたのだ。水で洗って血を落としても、アクシオの記憶には残っている。粘り着くような熱さが冷えていくまでの虚しさや肉体が力を失っていくまでの時間。それらを思うたび、綺麗な手のひらには戻れることがないのだと再認識する。
剣を握るたび、この任務に失敗すれば死ぬのだと感じていた。暗殺対象か自分か、どちらかが死ぬまで続く任務だ。いつか、アクシオ自身が殺される日だって来るかもしれない。
その覚悟をしているため、どんな縁談も乗り気ではなかったのだ。もしも愛しい者がいるのならば死に触れるこの仕事が恐ろしくなる。自分が死んでしまった後に残す者がどれほどの悲しみを抱くのか、それを考えれば刃を手にすることに躊躇いが生じる。
だから自分に人を愛する資格はない。そして愛される資格もない。
アクシオはどのような縁談も断るつもりでいたが、今回ヴィルエとの縁談を進めたのは、彼女がただの令嬢ではないためだ。
(セラティスの義姉になり、『夜宴の黒花』の異名を持つ女)
ヴィルエは社交界で名を馳せてきた者。そんな彼女との縁談を、ガードレット王が勧めてきたのだ。何らかの思惑が潜んでいると疑いたくなる。
そうしてこの縁談を受けた――のが失敗だった。アクシオは額を押さえる。
「奥様の反応からして『夜梟』の正体は見ていないんじゃないかと僕は思いますけどね」
「どうだろうな。俺は違うと思うがな」
ヴィルエは、不審者が入ってきて気を失ったと話し、グレンもその言葉を真に受けている。だが、アクシオには引っかかる点があった。
(あいつは、俺の傷を見ていた……ような気がする)
前日にマチェスト子爵を殺し、翌日にマチェスト子爵が雇ったという暗殺者を殺しにいった。そこで反撃されて腹部を斬られていたのである。
(この怪我がなければ、ガラスなんて割らなかったのに)
あの日ガラスを割ってしまったのは、怪我の痛みによろめいたせいだ。屋敷についた安心と出血のせいでふらついてしまった。その結果、バランスを崩してガラスを割っている。
怪我についてはグレンにも話していない。ガラスを割ったのが怪我のせいだと知られたくない。怪我をするなんて暗殺者として恥ずかしいことだ。
だというのに――ヴィルエはアクシオの脇腹を見ていた。まるで怪我の有無を確かめるように。
怪我が痛んだのはあの夜だけ。翌日には日常生活に支障が出ないほど耐えられる痛みとなった。
アクシオが怪我をしていると彼女が気づけるタイミングは一つ。彼女を抱き上げて部屋に運んだ時だ。そこで気づいていたのならば、彼女は意識を失っていたふりをしていたことになる。
(俺が怪我をしていたと知ってるなら、あいつは『夜梟』が俺だと気づいている。気づかぬふりをしているだけだ)
この数日の彼女の振るまいには、命を惜しむ様子やアクシオに怖じ気づくこともない。驚くほどに堂々としている。これを、度胸があるの一言で片付けることはできない。
(ヴィルエは……何らかの目的のために動いている?)
そうなれば気になるのは彼女の行動――過度に行われる実家とのやりとりだ。
「実家と密に連絡を取り、婚姻後も一人で夜会に顔を出す……か」
「あれ、まだ奥様のことを考えているんです?」
「何度もレインブル家とやりとりをしている手紙には何が書かれているのだろうな」
「そんなに気になるのでしたら、奥様に直接聞けばいいじゃないですか」
「あれがすんなりと答えるような女に見えるか?」
「答えるぐらい信頼を得ればいいんですよ。これまでアクシオ様は奥様を遠ざけすぎでしたからね」
信頼を得る。そう言われてもアクシオにはぴんと来ない。というのもアクシオは女性だけでなく、友人も少なかった。知り合いはいても友人と呼べるほど親しいのはグレンだけである。
「せっかくあんな美しい奥様がいるのに、顔を合わせないようにこそこそしていたのがおかしいんです。もっと会話をするべきです」
「親しくなりすぎてしまえば……傷つけるかもしれないだろう」
親しくなればなるほど、別れがつらくなる。それでなくても自分が『夜梟』であり、死と隣り合わせの状況にいるのだ。
その不安が、他人を遠ざけさせる。その感情がアクシオの口から溢れていた。
「それに、接しているうちに好きになったらどうする」
もしも好きになってしまえば、もっと離れるのが怖くなる。
そう思って呟いたのだが――グレンの反応は異なるものだった。
「く、ははは……ピュアすぎませんか」
失礼なほどグレンは爆笑している。
むっと顔を顰めてグレンを睨み付けていると、それに気づいたのかごまかすようにグレンが咳払いをした。
「『好きになったらどうする』という考えが浮かんだということは、アクシオ様は奥様のことをそこまで悪く思っていないのでしょうね」
「はあ? なぜそうなった」
「だって、さっきの発言は『奥様と接しているうちに好きになる』という意味では?」
そのつもりで言ったではない。もちろんすぐに訂正しようとしたが――一瞬ほど迷ったのは、今日言われたばかりのヴィルエの言葉が蘇ったためだ。
『旦那様は女性に不慣れでいらっしゃるのね』
あの時の上目遣い。手を伸ばせば触れそうな距離まで詰められ、甘い香りがした。
そして何よりもあのガーネット色の瞳だ。何をしても揺らがぬ彼女に、容易く触れることはできないだろう。それほど力強く、気高い。
「……俺だって、やられっぱなしじゃないぞ」
腹が立つ。
アクシオだって男だ。だというのに、手のひらで転がされているような心地である。
絶対に次は負けてやらない。ヴィルエの言動や行動に惑わされない。
そんな決意を込めて独り言だったのだが、グレンはしっかりと聞いていたようだ。
「やられっぱなしで嫌だというなら、アクシオ様もがつんと言ってみればいいんですよ。もしくは強気で迫るとか」
「せま……いや、そういう話じゃないだろ」
「奥様はアクシオ様のことを男性だと思っていないかもしれませんよ。ならば格好いいところを見せて、わからせちゃえばいいんです。大丈夫ですよ、アクシオ様は顔がいいんですから。奥様を前にして動揺しなければ格好よく見えますって。そうして奥様をめろつかせちゃえば、アクシオ様も《《すうぱあだありん》》です」
「……同じ言語を喋っているはずなのに、ぜんぜん理解できないんだが」
グレンはぐっと拳を握りしめて熱く語っているが、アクシオは彼の話についていけず、呆けてばかりだ。
愛だの恋だのといった感情に囚われるのはどうにも似合わない。背中がかゆくなる。
あのガーネットの瞳は力強く、だからこそ深入りしてはいけないと思った。咲き誇る薔薇に近づくうち、棘が身体のあちこちを傷つける。鋭い棘は心を覆うベールを削っていき、最終的には自分自身も知らぬものに変容してしまいそうだ。
底知れぬものを感じながらも、ヴィルエを遠ざける選択はなかった。彼女が少しでも『夜梟』の正体を口にすれば殺さなければならないのだから。
考えごとに耽っているうちに馬車が止まった。
行き先は隣の領地にあるスラム街の外れである。その建物の一角に、『夜梟』のアジトがある。
「……しかし、今日は奥様を監視しなくてよいのですか?」
アジトに入る階段をのぼりながら、グレンが言う。
これにアクシオは笑みを浮かべて答えた。
「今宵は泳がせる」
『夜梟』の正体に気づいているのならば、アクシオがいない時を見計らって動くだろう。ヴィルエには信頼している見張りをつけているため、アクシオに報告が入ってくる。
彼女が今日、どんな行動をするのか。アクシオはヴィルエを試しているのだ。
「さて、仕事を始めるか」
アジトの椅子に腰を下ろし、引き出しから小箱を取り出す。それを合図にグレンも仮面を取り出す。
「今度のターゲットは大物だ――待ってろよ、セラティス」
その言葉を最後にアクシオ・ニーベルジュは姿を変える。そこにいるのは紅の三日月と梟模様の仮面を付けた『夜梟』である。




