4.彼女の知らぬ『夜梟』
アクシオとの話し合いから数日。ヴィルエの生活に変化が生じていた。
食堂に行けば、アクシオがいる。テーブルにも二人分の食事が用意されるようになった。
変化は食事だけではない。応接間に向かえばアクシオが既にいる。自室に使用人を呼べばアクシオもやってくる。外出しようとすれば行き先や目的を確認される。
つまるところ、監視されているのだ。
しかし顔を合わせることは増えても、彼から言葉をかけられることはない。じっと、鷹のように鋭く睨まれるだけだ。
食事を終え、自室に戻ればようやく一人の時間である。ヴィルエはため息を吐く。一日は始まったばかりだというのに、どっと疲れたような心地だ。
監視する様子から、アクシオはまだ警戒しているのだろう。少しでもヴィルエが『夜梟はアクシオである』と知っていると判明すれば、ヴィルエを殺すに違いない。
彼の目線で考えれば監視という手段は理解できるものの、これはヴィルエにとっては少々つらい状況だ。なにせ、アクシオの監視があるため、レインブル家とのやりとりが進んでいないのだ。
レインブル家が『国王の耳』として動いていることは知られてはならない。これを知るのは王族とレインブル家の一部。レインブル家でもヴィルエと父のオスカー、協力者であるミゼレーは知っているが、母やオルナはこれを知らない。家族でも一部しか教えていない機密情報であるから、アクシオに知られるわけにはいかなかった。
これまではアクシオと顔を合わせる機会が殆どなかったので動きやすかった。屋敷に帰ったり、父宛に手紙を送ったりといった行動を妨げるものはなかった。
しかし今は違う。アクシオが見ている。そうなれば自由に動けない。
(どうにかしてお父様と連絡を取らないと……こうしているうちに新しい問題が起きているかもしれない)
ヴィルエがそう考えていると、部屋の扉が叩かれた。控えめなノック音の後、扉の向こうから声がする。
「レインブル家からお前宛の手紙が届いている」
声の主からしてアクシオだろう。またアクシオと顔を合わせると考えれば気が重たくなるものの、ヴィルエは平静を装って扉を開けた。
「旦那様自ら届けてくださるなんて。ありがとうございます」
「お前は実家と手紙のやりとりをするのが趣味らしいな。これまでに何通も手紙を出していたと聞いた」
手紙を受け取ると、アクシオが言った。穏やかに笑みを浮かべてはいるが、鋭い声音や視線は、まるで静観する捕食者だ。
「ええ。家族も私のことが心配なのでしょうね」
「お前は『夜宴の黒花』と呼ばれている女だというのに、家族は過保護らしいな」
「嫁いだばかりなのに旦那様に無視され、屋敷に一人閉じこもっているとなれば、過保護になってしまうのも仕方の無いことでしょう?」
皮肉めいた反論をすれば、アクシオが小さく笑った。
「つまり、俺がお前と接していれば手紙が減ると?」
「どうでしょうね。寂しさを埋めるだけでは、便箋の数は減らないと思いますわ」
ヴィルエは部屋の奥へと戻っていく。これで会話は終わりだと告げるためであったが、それはアクシオに通じなかったらしい。彼は壁にもたれかかってこちらを見ている。
それを視界に入れた後、ヴィルエは顔をしかめた。
「まだ何か?」
「最近はお前と顔を合わせる機会を増やすようにした」
「ええ。もちろん存じておりますわ」
素っ気なく返事をする。するとアクシオがこちらに近づいてきた。
「どうして、と聞かないのか?」
「どういう意味でしょう?」
「毎日お前と顔を合わせる。これほどわかりやすい変化だというのに、お前は動じていない。俺に見張られているこの状況を受け入れている」
確かに、とヴィルエは心の中で頷く。
もしも本当に『夜梟』の正体を見ていないのならば、人が変わったように接点を増やすアクシオに疑問を抱いただろう。
『夜梟』の正体を知っている。それを明かせば殺されると知っているから、監視されるこの状況を受け入れているのではないか――アクシオの問いかけにはその意味が込められている。
(私を試すつもりなら乗ってあげる。悪妻と呼ばれる理由を、わからせてあげるわ)
ヴィルエは近くまで迫ったアクシオとの距離を縮める。手を伸ばせば触れそうなほど近くに入りこみ、彼を見上げた。
「旦那様は女性に不慣れでいらっしゃるのね」
ガーネットの瞳がアクシオを捉えている。彼がたじろぐ瞬間までをしっかりと。
「旦那様と顔を合わせるのを受け入れる理由――それをわざわざ女性に言わせるなんてよろしくありませんよ」
「なっ……お前、誰に向かって――」
「あら。旦那様ったら顔が赤いわ。熱があるのかしら?」
彼の額に触れる。熱を測るような素振りだが、もちろん熱がないことはわかっている。彼が顔を赤くしているのはこの急接近に緊張しているだけだ。
「お、お前! 勝手に俺に触れるな」
「体調を案じただけですよ。この程度の接触なのに……興味がない、愛することはないと仰っていましたけど、少しは練習された方が良いのでは?」
想定とは異なるヴィルエの反応に、アクシオが言葉を詰まらせる。
(可愛い反応をするのよね……)
アクシオは傲慢な態度の印象が強い。暗殺者という仕事も彼に冷徹なイメージを与えている。そんなアクシオならばこの程度の挑発にも慣れているのかと思っていたのだが、目の前の彼は違う。
わかりやすいほどに狼狽え、視線を泳がせている。
整った顔立ちに、ヴィルエよりも高い背丈。どこからどうみても立派な男性だが不似合いな動揺っぷりだ。
可愛いと口にすればアクシオは怒るだろう。だから胸の中に秘めておくが、彼の見た目と反応のギャップは愛らしく見えてしまう。冷徹に振る舞っているようで、少し詰めただけでこれなのだ。
(もう少しからかってみたいわ。限界まで追い詰めてみたくなる)
このように近づいて見上げ、挑発的な言葉をぶつけるだけでこの反応なのだ。近づいたり触れたりすればどうなるのだろう。
悪戯な好奇心がぞくぞくと疼く。アクシオをからかってみたいと気が急くものの、その感情をぐっと押し殺した。
これ以上近づいていてはアクシオよりもヴィルエの好奇心が限界だ。もっとからかって遊んでみたくなってしまうが、その衝動を何とか堪え、ヴィルエは彼から一歩離れ、微笑んだ。
「では、私はこれから手紙を読もうと思いますので。旦那様はご退室願えますか?」
「……わかった」
意外にもアクシオはあっさりと引いた。逃げるような速さで背を向け、部屋を出て行ってしまう。
扉が閉まり、足音も聞こえなくなってから、ヴィルエは張り詰めていた気を緩める。
手紙の封を開ける。レインブル家と言っていたが、想像通り父からの手紙であった。
ヴィルエは急ぎ、その内容に目を通す。
(セラティス王子の暗殺計画……?)
綴られていた不穏な単語にヴィルエは顔を顰める。
父オスカーは、市井の者からこの情報を得たらしい。何でも身分を明かさぬ貴族が、裏稼業の者たちを集めているというのだ。
そこで、脳裏に過るは『夜梟』だ。依頼された暗殺者が『夜梟』であったのなら――それは暗殺計画を止めたいヴィルエにとって、アクシオが敵ということになる。
(旦那様の動向にも気をつけた方がいいわね)
だがアクシオを見張るだけでは足りない。積極的に動いて情報を集め、暗殺計画を止めなければならない。
(どうやら屋敷に籠もっている場合ではなさそうね。情報収集に動かないと)
どうにかしてアクシオの監視から逃れる術はないだろうか。そう考えた矢先、おずおずと扉が叩かれた。
「ヴィルエ様、失礼します」
部屋に入ってきたのはミゼレーだ。彼女は周囲を確かめてから扉を閉め、ヴィルエのそばに寄ってくる。
ミゼレーにはアクシオについての話をしていた。彼が『夜梟』であることは伝えていないが、アクシオの動向に気を配り、隙があれば伝えるように命じている。
「アクシオ様がお出かけになるそうです。戻られるのは夜遅くになると使用人に話していました」
「ありがとう。それなら……好都合ね」
ようやく隙が出来た。ヴィルエはにやりと笑みを浮かべる。
「ちょうどお父様から手紙が来ていたの。忙しくなりそうだわ」
「それは嬉しくない話ですね」
「暇よりはいいじゃない。今宵の夜会に出るわ。手配をお願いできるかしら」
動くならば今日しかない。今宵の予定は決まった。




