春の宵のリビングデッド
第8話までをこれから修正します。
その影響で、この第9話はこれまでとつじつまが合わない部分がありますが、ご容赦ください。
暗い夜道に、黄色い蝶が1羽、遊んでいる。
浮いたり、沈んだり、あてどない。
それでも、なんとなし、どこかへ向かっている。
美しくもおかしな情景だった。
そんな蝶と無邪気にたわむれる少女がいた。
白衣を優雅に羽ばたかせてみたり、ターンして菜袴をパアッと広げてみたり。
それが本然なのだろう。
みつきは、春の夜の気に舞っていた。
少し遅れて、ヒタヒタ追う者が2人。
塚木と春人である。
塚木は神妙、春人は不安な面持をしている。
ここでも三者三様だった。
そして蝶は、一行をだだっぴろい空地へといざなったのだった。
茫々の草。
虫の音。
そして冷たい空気。
人跡と呼べるものが無い。
蝶は、ずいぶん奥へ進んだところで、草むらへスウッと吸いこまれた。
3人が、ガサガサたどりつくと、蝶は一輪の黄色い花にとまっていた。
「蝶さん、ありがとう。」
みつきは、しゃがみこんで、蝶を満面の笑みで労った。
蝶は念の運び屋である。
蝶のそばに、恋人のところ行きたがっている者がいれば、かわりにヒラヒラ向かったりする。
その霊的特性を利用した。
鶴ケ崎の未練を蝶にまとわせ、ここまで案内させたのだ。
「幽霊だのなんだの、考えたこともなかったが……」
塚木が、片膝立ちになる。
花のあちこちをつまんで、作りものであることを確かめ
「どうやら本当らしいな」
茎をつかみ、グイと引っぱりあげた。
バコッ
地面が、まわりの雑草ごと四角く剥がれ、ポッカリと空間が現れた。
木箱だった。
まんなかに鎮座するものがある。
「壺だ!」
春人が、叫んだ。
両手で簡単に持てるほどの陶器だった。
光沢のない褐色。
ゆるくふくらんだ胴。
なんの変哲もない、壺。
そして、透明な液体をなみなみと湛えている。
「ゾンビリキュール…」
塚木が、つぶやく。
名前とのギャップを感じたようだった。
蝶が、今度は壺のふちに舞いおりた。
「あ、蝶さん、それ飲んじゃダメだよ」
チャプ…
塚木が、液体を手ですくいとってクンクン嗅ぎ、口をすすぐようにして飲んだ。
「ひゃあ」
「うわっ」
ややあって塚木は
「水だ」
キッパリ言った。
さらに壺を無造作にゴロンと転がし
バシャ
木箱を水びたしにすると、慣れた手つきでタバコに火を付け、赤い先端を濡れた内壁に押しあてた。
ジュ……
白い煙が、短くたなびいて消える。
「水だ。まちがいない。鶴ケ崎め、これは囮か」
塚木は悔しそうに壺をゴトンッと立てなおした。
そして、ゆっくり目を見開いた。
壺の口が、シャボンの膜に覆われたように光ったかと思うと、あふれんばかりの水面になったのである。
「嘘だろう……」
今度は、手を付ける気にもならない様子だった。
「あーあ、やっぱり水が湧くだけだったんだ」
みつきが、あっけらかんと言う。
塚木は、ずいぶん長く壺をにらんでいたが
「初めてのことだ。魔法を前提に推理するのは……」
つぶやいて、顔を上げ
「精神依存だ」
確信に満ちた声で言った。
「精神依存?」
春人が問う。
「ああ。ただの水でも、勝手に湧いてくるのを見せて、心の妙薬だと言ってやれば、信じたい奴は信じちまうのさ。催眠術に近いのかもしれん」
塚木は、まだ目をパチクリさせている春人に、とある宗教団体が似たような手口を使った例を語った。
「怖いです……」
春人の感想に
「それでいい」
塚木は即答した。
「逮捕しちゃうぞっ!」
みつきが、塚木の手首をつかんだ。
塚木は、反応しかねている。
「えへへ、カッコいい?」
みつきは、照れ笑いに肩をすくめた。
そして、塚木にまとわりつくように、コートをパタパタ触りながら
「塚木さん、手錠、持ってないの?」
「どうするんだ?」
「だって、あとは捕まえなきゃでしょ。強盗さんたちを」
「そんな簡単じゃないってば、みつき」
春人が、なれなれしい接触を制するように言った。
「手錠か。たくさん必要になるな」
塚木が、含み笑いをする。
「そんなにいるの?中毒者さん」
「でも、逮捕は実行犯だけですよね?これ、ただの水なんだったら」
塚木は、2人の質問には答えず
「連中は、鶴ケ崎が死んだのを知らない。だったらこっちが鶴ケ崎になってやりゃあいいのさ。1人ずつゾンビリキュールでおびきだして、検挙ちまうって寸法だ。なに、やりようはいくらでもある。……どのみち始末書もんだがな」
武者ぶるいして
「こいつは、ひとまず押収だ」
壺をキッと見た。
「はっ!了解であります!」
みつきは、壺を抱えあげると
「うー、ずっしり」
後悔をにじませた。
「あ、でも似合ってるよ、みつき。巫女と壺、古めかしいもの同士」
春人は、さらさら持つ気はないらしい。
「わーん、春人くんのいじわるう」
「ほら、僕は、こいつを連れて帰る役目だから」
春人は、自分の肩の黄色い蝶を顎でしゃくった。
今朝、春人の部屋にいた蝶である。
それゆえ、念を運び終えれば、また主人である春人のところへ戻ったのだった。
「よかったね、アカリちゃん。春人くんが肩車してくれて」
「ちょっと待って、なんで名前つけてんの?」
春人の今朝のエロ動画事故、その中の女優の名前こそアカリであった。
「アカリちゃん。春人くんが、だーいすきな女の子と、おそろいの名前だからねー。よかったでちゅねー」
「おい、やめろって」
「仲がいいんだな」
塚木が言った。
「てへへ、いいでしょ?ひょっとして妬いてる?」
「イジめられてます!逮捕してください!」
2人はそう返したものの、塚木の声が張りつめていたことに気づき、会話を切った。
「仲がいいんだな。みんなで夜のお散歩とはな」
表情のない人の群れが、3人を取り囲んでいた。
大勢——としか言いようのない数だ。
しかも、老若男女である。
スーツのサラリーマン。
エプロンの主婦。
杖をついた老人。
金髪のミュージシャン。
女子中学生。
メガネのOL。
ジャージの大男。
ありとあらゆる『一般市民』の目が、じいっとこちらを見つめている。
「い、いつのまに……」
春人が、うろたえる。
「てか、どうやって……」
みつきが、たじろぐ。
「店員のねえちゃん、だな?」
塚木が、群衆の1人を見て言った。
言われたほうは、まったく反応しない。
さきほどのファミレスの制服を着た女だった。
3人の会話をこっそり聞いていたのだろう。
集結の目的は、ひとつ。
壺を奪おうとする者を始末することだ。
全員、目だけが同じだった。
包囲が、ジワリと縮む。
「皆さーん、聞いてくださーい」
みつきが、声をはりあげる。
「無駄だ」
塚木が、ささやく。
「べつにあたし、露出狂とかじゃないですからねー」
真っ赤な顔で悲鳴のように叫ぶやいなや、壺を高々と掲げ、さかさまにした。
バッシャアン
ずぶぬれになるみつき。
白衣が、体にピッチリすがりつく。
布とは異なる肌の白が、サアッと広がる。
胸の丸みの頂の、桜蕾が顔を出す。
みつきは、脱がずして脱いだのだった。
群集は、その奇行にも色を変えない。
そんな亡者たちに気を取られたままの春人に
「えいやっ」
バシャッ
みつきが、湧きたての水を浴びせる。
春人は、したたる水のままボンヤリみつきをながめたが、ハッと思いだしたように目を戻してしまった。
「うわ、ヤバいかも……」
みつきが、焦る。
群集が、また半歩、にじりよる。
殺到をかろうじて抑えているのは、塚木の射すくめるような視線だけだった。
それもとうとう限界に達し
ミシ……
均衡が壊れる音なき音がした。
と、春人の右手がパッと動いた。
自身の股間をわしづかみにしたのである。
起きあがってくるものを押さえようとしたのだった。
その手が、ギキョギキョいびつに変貌し、またたくまに全身に伝播する。
血湧き、肉躍り、骨軋む。
ギアアアアアッ!
亡者たちの中心に、悪魔の化身が咆哮した。
人だかりが、かすかに揺れる。
その機を春人は逃さなかった。
風となって群集へ踊りこんだのだ。
まずは、ヒョロリとした作業服の男。
その両肩に跳びのり、頭部に覆いかぶさる。
男は、視界を奪われて転倒し
「ごっ」
ヘルメットごしに頭を打って、のびた。
次は、となりのメガネ美人。
つかみかかってくるところ、スカートを爪で裂きながら股をくぐって背後を取り、うなじに手刀を叩きこむ。
「ひっ」
美人は、正座の姿勢に崩れ落ちた。
続いて、三方から襲ってきた男、男、女。
這いつくばって回転し、シッポで足を払ってやると
ガガキイン
頭が1箇所に鉢合わせし、声もなく重なりあった。
前の奴の土手っ腹に頭突き。
後の奴に蹴爪のローキック。
右の奴は組んで放り投げる。
左の奴を噛んで気絶させる。
駆、崩、締、殴、薙、掴、刺、跳、咬、踏、叫……
春人は、戦う喜びに狂った。
「フレッ、フレッ、はーるとくん!ガンバレ、ガンバレ、はーるとく……ヘクシッ!」
みつきは、壺で手がふさがり、鼻水をぬぐえない。
「何がどうなってやがる……!」
塚木は、驚きつつも、そこを動かない。
天下無双のごとく暴れまわる春人を奇妙な感覚が襲っていた。
既視感である。
かかってくる者どもの顔に、見おぼえがあるのだ。
あからさまに血や痣がある者までいる。
これは……つまり……。
春人は、めまぐるしい戦いのさなか、すでに倒した者たちに目をやり、ゾッとした。
うつぶせの男が、草むらに手をつき、ムックリ起きあがる。
あおむけの女が、手足をバタつかせ、寝返りを打って立つ。
あいかわらずの冷たい目。
ある者は、足をひきずり。
ある者は、血だるまになって。
春人のほうへ向かってくる。
きりなくワラワラ群がってくる。
ゾンビ映画さながらであった。
殺れというのか!?
ないはずの体毛が逆立つ。
俺に、人を殺せというのか!
人間の思考がわめく。
「わー、ひったくり!」
みつきのすっとんきょうな声がした。
亡者の1人が、どさくさにまぎれ、壺を奪ったのだ。
ズタズタのスーツに、ちぎれたネクタイ、シャツに血の付いた男だった。
一瞬そちらに気を取られた春人の腰に、OLの細腕が巻きついた。
しまった!
身をひねって振りほどこうとしたが、太った男がシッポにぶらさがっており、動けない。
ちくしょう!
なおもがこうとするも、老人に杖で鼻先を打たれ、動きが鈍る。
四方八方から亡者が押しよせ、がんじがらめにされた。
現実が、殺す覚悟を春人に問うた。
みつきから壺を奪った男は、中の水をおのれの顔に浴びせ、溺れんばかり喉を鳴らした。
こぼれた水を2人の亡者が口で受ける。
1人は、聴診器をつけた医者らしい男で、腕が折れている。
1人は、さっきのファミレス店員の女で、顔がボコボコだ。
やがて別の者が壺を奪い、水があらたに湧くのも待たず、顔を突っこんでザブザブと飲んだ。
さらに別の者が、奪って飲む。
奪って飲む。
飲む。
飲む。
飲む。
黄泉の国の宴だった。
パン!
乾いた音とともに、壺が破裂し、粉々に飛び散った。
破片が地面を跳ねたのを最後に、すべてが静止する。
壺を持っていた者は、呆然自失、手に残像を支えたままだ。
すべての亡者たちの目が、そこに集まった。
風も吹かない。
虫も鳴かない。
時が凍りついていた。
「あ……あああああ!」
1人が、膝を折って、激しく地面に頭をぶつけた。
全員が、発狂していた。
怨嗟を吐きまくりながら、のたうつ者。
棒立ちになって、泣きながら歌う者。
おのれの腕にかぶりつき、うめく者。
絶望のコーラス。
皆、毎日すこしずつ晴らすべきだった何かを、一挙に晴らそうとしているかのようだった。
塚木は、拳銃を懐にしまうと、峻厳なまなざしですべての者を見まわし
「そうだ。すなおにそうすればいいんだ」
思いがけず穏やかな声で言った。




