夜の花見
闇バイト。
SNSで甘い言葉に釣られて集まった者たちが”雇い主”の指示に従い詐欺や強盗、ときには殺人を行う。
見知らぬ者たちどうしゆえの無機質で残忍な手口。
ありきたりだが、社会の疾病と言えよう。
しかし、今回のは妙だ。
なぜ1つの町で強盗をくりかえすのか。
しかも、ことごとく逃げおおせている。
自首してきたのが1人いたが、そのくせして意味不明な言葉を並べてばかり。
おかげで、犯行グループの素性も杳として見えない。
なにより、ガチャンと手錠が鳴る、その映像が見えないことが、54歳のベテラン刑事、塚木直之にとって屈辱だった。
「俺は岡っ引きさ」
新米警官たちには、そう言っている。
足と勘を頼りに事件を解決する、古いタイプの刑事であると。
いまどき流行らない。
しかし、事件はたんなる流行ではない。
すべての事件には、叫びがある。
塚木は、そう信じている。
だからこうして、夜の街を1人で歩いているのである。
「おい、オッサン」
顔面にジャラジャラとピアスをした若い男が、絡んでくる。
「どこ見て歩いてんだ!ええ?」
ピアス男は、めいっぱい顔をゆがめて凄んだ。
塚木は、自分の前を歩いていた別の男がピアス男に肩を当てたのを見ていたが
「すまないな」
心底すまなさそうに詫びた。
「◯◯◯!☓☓☓!△△△!」
ピアス男は、周囲が振りむくほどの罵詈雑言とともに去った。
塚木も飄々と歩きだす。
きっとピアス男は、思っているだろう。
くたびれたジジイに分からせてやった、と。
だが、そうではない。
ああいう種の人間は、意識と別のところで、相手の強弱を見きわめている。
こちらが動じなければ、何もしてこない。
塚木は、また足音もなく雑踏にまぎれた。
ショパンの『雨だれ』が、しめやかに響いている。
落ちついた店内で唯一、時間が止まってないことの証だった。
カラ……
カウンターの上、握ったままのグラスが、ひとりでに鳴る。
バーボンのロック。
手の熱が氷を溶かしたのだ。
そして、ナッツの盛りあわせ。
カシュー、ヘーゼル、ピスタチオ。
ほどよく塩が効いている。
こちらは、かたよりなく一粒また一粒と減っていく。
半分ほどになった。
「カギさん」
きれいな口ひげを蓄えたマスターが声をかけてきた。
「うん?」
塚木は、ゆっくり顔を上げ
「そうだな……スモークチーズ」
「いいえ、そうじゃありません。今日はどんなご用向きですか?」
塚木は、他に客がいないのを確かめると、さもうれしそうに
「さすがだな、宇山。分かるのか、俺が情報をもらいに来たのが」
宇山は、うなずいて
「分かりますよ。お酒、召しあがってないじゃありませんか」
ほほえんだのだった。
ほんの数年前まで薬物の売人だったとは思えない目をしている。
宇山は、かつて塚木のSだった。
警察に情報を流し、摘発を逃れる薬物の売人。
その隠語がSだ。
薬物対策課の刑事と、違法薬物の売人。
持ちつ持たれつのドライな関係だった。
それに変化が生じた。
中学生の塚木の息子が、薬物で死んだのである。
初めてのシンナー吸引による突然死だった。
警察に勤める父への当てつけだったのか、それはもうわからない。
宇山は、その訃を風のたよりに知った。
薬対の刑事んとこのガキが、薬で死んだらしいぜ——同業者が、笑みをこらえるように語ったのだ。
愕然となった。
奴は、息子が死んでからも、薬物の売人である俺のところへ情報を仕入れに来ていたじゃあないか。
これからも奴は来るだろう。
宇山は、急に恐ろしくなった。
何が恐ろしいのかは分からない。
薬物か。
逮捕か。
塚木か。
いずれにせよ、取るべき行動は、ひとつ。
薬物との交わりをひそかに断ったのである。
それでも買わないか買わないかと、薬物の情報は入ってくる。
だから、情報屋を続けられた。
ある時、ヤクザのヘロイン販路について話していた塚木がふと
「お前が売人だった頃」
という言い方をした。
こうして2人は、今の言いしれぬ間柄になったのである。
「なあ、ウーヤン」
塚木がカウンターに身を乗り出すように言ったのを見て、宇山は全てを察した。
「ゾンビ酒のことですね」
「そうだ」
「勘弁してください。あれに関わってちゃ、命がいくつあっても足りない」
宇山は、カウンターに手をついて頭を下げ、すぐ顔を上げると
「て、あちこちで言われて、私のところへ来たんでしょう?」
塚木が、うなずく。
「あれはね、酒じゃあない」
「だろうな」
「そして、薬物でもない」
「じゃあ、なんだ?」
「金ですよ」
「……」
「考えてもみてください。これだけ思いどおり人を動かせるものが、他にありますか?それをもらうために、働く。しかも、仕事に抜け目がない。プロフェッショナルですよ、これは」
塚木は、閉じた口のすきまにカシューナッツを押しこみ
「つまりだ。今回の強盗グループは、特殊な薬物で支配されて動いてる。それはゾンビ酒と呼ばれてる。そこまでは、まちがいないんだな?」
「ええ」
宇山は、断言の理由、すなわち持っている情報を、試作中のつまみを出したり、ぶら下がっているグラスを拭いたりしながら、洗いざらいぶちまけたのだった。
納得した塚木は、バーボンをひといきに飲みほし
「ごちそうさん」
"代金"を置いて店を出た。
夜の風は、まだ冷たかった。
しかし、今になって酒が効いてきている。
次の目的地に着く頃までは、くしゃみひとつせずにすみそうだ。
塚木は、風俗街に向かっている。
それも、違法に未成年を働かせる店が軒を連ねるエリアだ。
もちろんこれも、情報収集。
宇山が言うには、よもぎ町を荒らしている強盗グループの実行役は、未成年が中心らしい。
ありうる。
そして、考えなしのガキは、口も軽い。
花瓶を割ったことを白状する気まずそうな調子で、オレオレ詐欺への加担を自白したりするのである。
そこが狙いだ。
友達の彼氏から聞いたんだけど——そう枕を振ったお宝情報があるかもしれない。
ことによったら、いったん客として入店したっていい。
狭い部屋で1対1、これはじっくり話を聞くにうってつけだ。
「ねえ、ずっと待ってたんだよ」
塚木に、コスプレ風俗の女が声をかけてきた。
無視する。
「あの、待ってください」
今度は、男の客引きだ。
その風体が、塚木のセンサーに引っかかった。
若く、貧弱で、おずおずしている。
自信がないあまり甘い言葉に飛びついてしまう、闇バイトの応募者に実は多いタイプに見えた。
「なにか用か?」
塚木は、足を止めて言った。
「ありがとう」
そう言って、男の横に立ったのは、さっきの女。
男とグルであるらしい。
「悪いがな、俺にそういう趣味はない」
「そういう趣味って、どういう趣味?」
「その、なんだ、巫女のスタイルが嫌なんじゃあない。コスプレそのものに興味ないんだ」
「コスプレじゃないよ、これ普段着だもん。しかも黄色はレア。おじさん、超ラッキー。ねえ、春人くん?」
「ご、ごめんなさい。いや、みつき、あのさ、まず事情を説明しないと……」
塚木は、しだいにポカンとした。




