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本能寺に開く扉は炎を上げて  作者: 瀬緒 遊
第三部:天下布武
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46 共謀に

 菊王丸が声をかけると、政綱と久恵はどきとしたような顔をした。

「菊王……、そうか、姉川からの帰りか」

 政綱はそう言って、少し慌てたような様子で掴んでいた女の襟髪から手を離した。


 お調べを受けているにしては臆していない態度のその女が、久恵をにらみつけて、

「あんたからの誘いが罠だったとはね。こっちは子供への土産なんかぶら下げて来ちゃったんだから馬鹿だったわ」


 ひるむ久恵には構わず、政綱は意を決したように菊王丸に言った。

「これは美濃みの御前ごぜんの侍女頭の麻江あさえという女子じゃが、木下きのした内儀ないぎを襲った容疑を受けておる。が、ちょいと訳ありでの」


 木下?菊王丸は、一瞬間、誰だったかと言う顔をしたが、すぐに、

「木下と言うと、金ケ崎の退ぐち殿しんがりを務めあげた、あの藤吉郎とうきちろう殿か」


 菊王丸も、その出世しゅっせの人のことは聞いていた。


 尾張の中村という貧しい村の中でも貧しい家庭に生まれ、信長の草履ぞうり取りから薪炭しんたん奉行ぶぎょう、台所奉行、そして清州城の普請奉行を歴任するなかで目覚ましい手際てぎわを見せ、美濃攻略では墨俣すのまたに常識外れの短期間で城をおって、それを世間の口に墨俣一夜城(いちやじょう)と喧伝させた人物だ。


 金ケ崎以降は戦武将としての才も認められ、竹中半兵衛、蜂須賀小六の二人の軍師を脇にかため、これからどれだけ伸びてゆくかわからぬという新星だった。


「ではなにか、木下のご内儀を、この……美濃御前の侍女が襲ったと?なぜだ」


 政綱は久恵と目を見合わせてから、菊王丸に言いつけた。

「めったな者には頼めぬで、おまえに頼みたい。この女を一晩見張っていてほしい。口をきかず、口をきかせずにじゃ。なにごとであれ喋ろうとしたら、飲み食いできずとも構わん、一晩中(くつわ)を噛ませておけ。明日、この女を那古野まで連れてゆき、大雲和尚とともに吟味する。久恵、お前は急病とでも言って、麻江殿の供の者らはみな帰しておけ」


******************************************


 岐阜から那古野までは馬なら半日かからぬ距離だった。

 麻江と、それを見張って座ったままの仮眠で夜を明かした菊王丸と、政綱と、久恵と、そしてなぜか金森家の小者の兵衛ひょうえという男の五人の一行で萬松寺に着いたのは、そろそろ昼になろうかという頃だった。


 菊王丸には、なぜこの女を萬松寺まで連れて来たのか、なぜそれに久恵やその使用人までがついてきているのかが疑問だったが、政綱の配下として働いているからには、説明されぬのにこちらから訊きただすような馴れはならぬと、自らけじめをつけていた。そしてこういうところが、政綱からの信望を高くしていた。


 大雲和尚は八十やそじの坂を越してもまだ矍鑠かくしゃくとして痩せた体を袈裟に包み、あいかわらず麦を踏んだり縄を編んだりもしながら、信長やその家中の誰かれから求められては知恵を貸したりもして暮らしていた。


 一行を迎えた大雲和尚はそれぞれと目を合わせて挨拶をしたが、特に兵衛にだけ

「変わりはないか。達者に暮らしておるかな」

と、慈愛深いと言ってよい言葉をかけたのが、なぜかと菊王丸には思われた。

 また、連れてきた女を見て眉を上げ、見知っている様子を見せたことも意外だった。


 むっつりと黙ったままの縄付きの女も加えた一同が丸くなって座り、政綱が手短に麻江の受けている容疑について説明すると、うむと頷いた和尚が口を開いた。

「麻江どのお調べの前に、これまで何度かわしが相談していたことを、今日は決めてしまいたい」


 なんのことか、と首をかしげる菊王丸に政綱が向かって言った。

「今日は、実はお前に話があってここまで来たのじゃ。お前を信用して、大事なことを頼みたい。絶対に漏らしてはならぬ、ある秘密が関わっている」


 大雲和尚が続けた。

「その秘密は信長も知らぬ。知られてはいかぬ。菊王よ、それはなにごとかとは訊かずに、引き受けてはもらえぬだろうか」


 見回すと、久恵は理解深げに瞳を澄ませて菊王丸を見つめ、兵衛はややうつむき加減に、緊張した様子でいる。そして麻江はと言うと、面白そうに唇をほころばせて場の成り行きを見ているようだった。


「何事か知らぬが、和尚も政綱もが私を見込んでということならば、冥利に尽きるというもの。あいわかった、何も聞かずに承知しましょう」

 

 こうしてこの日、兵衛と名を変えて暮らしてきた浩之の素性を知る者が一人増えたのだが、菊王丸にとってはその話自体の不思議よりも、これらの人々から自分がこうまで信頼を受けたということが嬉しく、強く胸を打った。

 

「わかり申した。信じましょう。この兵衛、いや浩之どのと、麻江どのの二人が、はるか数百年も先の世からやって来た人間であることを。そして私も、先の世の知識を自儘な立身出世に使わせてはならぬと合点しまする」


 和尚は数年ほど前から、自分の死後に浩之の支えとなれる人間を一人用意してやりたいと、菊王丸にひそかに白羽の矢を立てていた。今回、麻江の件を扱うためには信頼して使える者がぜひ必要となったことを機会に、ことを進めたのだった。


「私の立場から言うと、こんなことを知ってる人間は少ないほうがいいんだけど、こうして捕まっちゃったんだから仕方がない。ちぇっ、梁田を見くびってたわ、まさかバレちゃうとは思わなかった」


 麻江はそう言うと、浩之に向かってちょっと笑いかけてから足を崩して横すわりになって、

「じゃあ聞きたかったことを教えてあげる。私が木下のお寧々《ねね》を襲ったのは、あれが妊娠したからよ。秀吉と寧々の間に子供なんか生まれちゃったら大変だもの」

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