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本能寺に開く扉は炎を上げて  作者: 瀬緒 遊
第二部:尾張から駿河へ
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38 不老の人

「なんと、美濃みの御前ごぜんの侍女がの……」


 次の日に、浩之は政綱と連れ立って萬松寺ばんしょうじ大雲だいうん和尚おしょうを訪れた。


 朧月夜おぼろづきよを歌っていたのも、斎藤道三に予言を与えていたというおが巫女みこも麻江であると聞いて、和尚は驚きながらも仰天もしなかった。浩之と出会い、世には不思議があることを、そして不思議は決まって邪悪なものとも限らないことを知った和尚だった。


 麻江は桶狭間の戦いから数えて、およそ五十年ほど前にこちらに来たということだった。


 当初は盗みと物乞いとで露命ろめいをつないだが、歌を歌うと日銭が稼げることに気づき、知り合った托鉢たくはつ坊主の男などを連れにしばらく旅芸人としてすごした。ある日、一文銭いちもんせんの穴を通して油を注ぐ技を見せながら行商している少年をみて、これは若き日の斎藤道三と見た。それからは、その出世を助けながら保護されてきた。


「麻江さんは、こちらに来てすぐの頃はとても大変だったそうです。そうでしょうね、女の人が一人で政情の不安定な戦国時代に来てしまったのですから……。美濃御前は、麻江さんのことは年を取らない不思議な人間とだけ道三公に教えられているそうです。未来から来た人間であることは、美濃御前には言わないで欲しいと頼まれました」


 和尚はそれらが意味するところとその影響を考えていたが、政綱が言った。


「しかしその麻江という女子おなご、三、四十年も道三公のもとにおったのか?年を取らないことを稀有けうに思う者が出たであろうに」


「一度、新規に抱えた美濃御前の乳母うばとして身分を変えたそうです。それまでは道三公の愛人としてあったので、住む曲輪くるわを移って髪や着るものを変えてごまかせたそうです。そして美濃御前の嫁入りの際に、もう一度、若い侍女として名前を変えて来たと言っていました」


 しん、と三人が黙りこくった。考えていることは一つだった。


 とうとう、和尚が口を開いた。

「浩之殿の身分のことじゃ。梁田の家にもう十三年もいる。そろそろ、自分の頭が薄くなったことなどと引き比べて、あいつはいつまでも若いなどと言いだす者が出てくるはずじゃ」


「僕は旅に出ようかと思います」

 浩之が言った。

托鉢たくはつ行者ぎょうしゃとして、霊場れいじょうを訪ね歩いてみようかと。一所ひとところにいる生活はできません」


 政綱が首を振った。

「何を言う。そんな悲しいことを……。わしは今回の久恵の結婚を機に、新規召し抱えの久恵付の小者として金森の家に行くが良かろうと思う。十五、六年もしたら、久恵の産んだ子がどこぞに嫁に行ったり配属されたりするじゃろう。そうしてまた新規召し抱えとして、別の地に暮らせばよかろう」


「それがよい。そうなされ」

 普段はなかなか断言することのない和尚が、ここではきっぱりと言った。


「浩之殿、おぬしは今、当たり前の判断ができる状態にないようじゃ。人を殺してしまったことと、年を取らずに生きるということに衝撃を受けている。生きる気力が稀薄になっているようにわしには見える……わしらとて、路傍ろぼう野垂のたにするとわかって、おぬしを旅になど出せるものでないわ」


 見た政綱の胸を痛ませるような、寂しい諦めを口元に見せて浩之がぽつりとこぼした。

「夢を見るのです。奈都美が、妻が、人殺しの手で触るなと、息子を僕に触らせないのです……」


 政綱が無言のまま、がっしりと浩之の肩をつかんだ。

「麻江さんは、五百年でも生き延びて家族と再会すると言っていますが、僕にはそれもできるかどうか……。僕はここで生きていくうちに、どんどん変わっていくでしょう。もしかしたら、これからも人を殺すことがあるかもしれません。


 そうした僕が家庭に帰れたとしても、それまでのように暮らしていけないような気がします。奈都美は、すっかり変わってしまった僕に、必ずすぐに気が付きます」


 和尚に向き合った。

「和尚様、はじめて会った時、あなたは僕のことを、人を殺したことのない人間とわかったとおっしゃいました。今はどうですか。今の僕があなたに宿を借りにきたら……」


「貸すぞ」

 言下に和尚は言った。


「なんの因果か、おぬしは人よりずっと難儀な人生を送らねばならぬことになった。が、希望を捨てるでない。なぜかは知らぬ、何が起こるかもわからぬ。しかし精一杯に生きなされ。われらにできることはそれだけじゃ。……そしてそれだけが正しい道なのじゃ」



**********************************************


 その数日後、白無垢に包まれて久恵が金森家へと嫁いでいった。


 朋輩の美濃御前の侍女らや、梁田家の女どもが花を降らせる中を、紅白の房の飾りを揺らした白毛の愛馬にこの日ばかりは横乗りに乗った花嫁だった。


 その嫁入り行列には幾棹かの嫁入り道具に続き、深く塗り傘を被った浩之も従者の一人としてあった。


 いつか久恵に花束などを贈った美濃御前の若い腰元のひとりが、久恵が馬上から、ちらと目礼を送った若い男がいることに気が付いた。深く菅傘すげがさを被ったその顔をちらと覗いてみて、見慣れぬこの若い衆が忘れがたいほどの美男子なのに驚いたが、これが前髪を払った今川の小姓、菊王丸であるとは誰も気が付かなかった。


 信長はいよいよ尾張の統一と、上洛への道すじの確保、足利将軍との接触と、大きな展望のもとに一つずつ取り組んでゆく。

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