19 美濃の肌油
「これが美濃御前の肌油じゃ。よい香りじゃろう。」
その日下賜された小さな壺に入ったそれを、久恵は浩之に見せてみせた。
美濃御前の侍女は部屋を与えられて住み込みで従事するのが大半であったが、久恵は持ち馬があり実家が城内にあるため通いが認められていた。
久恵が美濃御前の侍女として勤め始めたのは、清州城の前城主であった織田信友が信長に打ち取られてすぐの天文二十四(1555)年、十四歳の折だった。
信友は梁田家の主人斯波義統をその前年に弑逆しており、代々斯波家の直臣にあった梁田家もそれを機に信長に仕えるようになったのと、新規の侍女を美濃御前が探していたのとが重なってのことだった。
賢く素直な久恵はすぐに美濃御前に気に入られ、この日ももっとも多くの板を割った褒美にと、尾張の女たちが欲しがってやまない美濃御前の肌油を一壺与えられてきたのだった。
壺を手に取り、香りを嗅いでみた浩之は、かすかになにかの記憶があったように思った。ほんのりと香ばしい、甘い香りが何だかおいしいものを連想させた。
「これは……、知っているような気がします。何の油ですか?室温で固形なのは珍しいですね。」
「少し温めるとすぐに溶けるのじゃ。きれいな、金色に流れる油での、御前はそれを銀のさじにひとすくいとって、燈心にすこし炙ってとかしたものをお手に取って、お手、お顔、お首と、時にはお髪にもなじませるのじゃ。御前のお肌とお髪のきれいなこと、近くで見るとますます見惚れてしまうほどじゃ。……でもほら、火にかけずとも、手に取ればすぐに溶ける。」
久恵は浩之の手を取ると、櫛の柄で少し削ったその油を乗せてやった。
うす黄色のそれは浩之の手のひらでみるみる溶けて、とろりとした。言われるままそれを手に伸ばしてみて、その香りにあ!と声を出した。
「これ!これはギーじゃないですか?いや、ええと、牛乳から作ったものでは?」
久恵は目を丸くして、よくわかったと驚いた。
「ほれ、御前の父御の斎藤道三公は、もとは油の行商人であったじゃろう。そのころに珍しい油を何種も商ったが、美濃の太守となった後、手に入りにくいものをいくつかお手元で作り始めたそうじゃ。これもその一つ、牛の乳から作るのじゃと。」
斯波の家老ずれの分際で、と駿河の名門今川家などは織田氏の出自を蔑むが、その素性の賤しいことを言えば斎藤利政道三の右に出るものはいない。
この男はそれを糊塗しようとするどころか、徒手空拳で山城守、美濃国守護代などとまで成り上がったおのれを誇示するずぶとさで、かつて道行きの油商人として扱っていたいくつかの品を稲葉山城で生産し、小さくない収入源として誇っているほどだった。
この時代、油脂はとても貴重で、上質のものは富裕な寺社の灯明などの用途に高価で贖われ、ほとんどの者は煙や煤の多く出る油や蠟燭を夜の灯に惜しみ惜しみ使っており、まして女が肌や髪に使うなどよっぽどの贅沢だった。
それを美濃御前は実家から送られていたのだが、父道三と兄義龍の間が不穏になり油どころでないといった空気になると、信長に願って小さな牛の牧場をしつらえて尾張内でもそれを生産するようになったのだった。
尾張に嫁いできて六年になるが懐妊の兆しのない美濃御前は、それで小さくなるどころか、その暇で肌油の生産とそのための牧場の経営、それに続く肌油の流通へと乗り出したのだった。
「先の世でも、女たちはこれを肌に塗っておるのか?」
いや……、と浩之は思い出した。
妻の奈都美は料理が好きだった。彼女がスパイスと油を熱して香りを立たせてインドカレーを作るときは、キッチンからひろがるそのよい匂いにうっとりしたものだった。熱したギーに、クミンとしょうがとにんにくと。
懐かしさと切なさで胸元が苦しくなったが、浩之は強いて微笑んで、
「僕の家では、料理に使っていました。インド、いや、天竺の料理を作るときに使います。おいしいし、栄養価もとても高いのです。」
食べられるのか、と久恵はその油をまじまじとみて、しかし半信半疑なのが舐めてみることはしなかった。
「先の世ではいろんなものを変わった使い方をするのじゃな。」
変わった使い方と言われて、はた、と浩之は何かひらめいたような気がした。
政綱がひそかに信長と諮って進めようとしているある作戦、それが困難で行き詰まりかけているのを浩之も久恵も案じていたのだが、これはもしかしたら一つの打開の可能性ではなかろうか。
「久恵さん、美濃御前はこの油、どのくらいお持ちですか?それと、いま政綱さんとは連絡が取れますか?」
作者注:ギー(Ghee)。バターを加熱し、水分やたんぱく質を除いて濾したもの。澄ましバター。常温で保存可能。食用に使われるが、インドの伝統医療アーユルヴェーダでは古くからマッサージオイルとしても使われる。毒素の排出、疲労回復、リラックス、安眠の他、美肌、美髪の効果があるとされる。十六世紀の日本においてギーが使用されたという記録はないようです。




