ラジオ
アニカは三日、工房から出なかった。
組合の窓口には、もう行かなかった。バレルのタンクの見積もりは、作業台の釘に刺さったままだった。
水車の歯は二日目に直しに行った。十八枚のうち三枚。行って、直して、帰ってきた。粉挽きの親方が何か言いかけてやめて、代わりに粉の袋を一つ持たせた。
三日目の夕方、アニカは工房の裏の古鉄の山に登っていた。
探しているものはなかった。手を動かしていないと、作業台の釘のほうばかり見てしまうからだった。
山のてっぺんで、西日を受けて何かが鈍く光った。
手のひらに載るくらいの、木の箱だった。
蓋に小さな窓があって、ガラスの奥に細い針が一本立っていた。蓋の上には、曲がった針金が一本ついていた。四年前に組合の払い下げの古鉄を目方で買ったとき、袋の底に入っていたものだ。壊れていたので山に放ったままになっていた。
アニカは山を下りて、作業台で箱を開けた。
針の先を受ける小さな石の皿が、二つに割れていた。
石は替えがきかない。アニカは割れたかけらを合わせ、罠のばねの切れ端で小さな台を作った。台に石のかけらをはめて針の先の当たるところを探した。指先で何度もずらした。
バレルが作業腕を伸ばして箱の寸法を測った。測る必要のない大きさだった。
「縦八センチ。横六センチ。重さは百四十グラムです」
「聞いてないよ」
「記録しておきます」
日が沈むころ、針がふるえた。
「直りましたね」
「何なの、これ」
「ラジオです」
「らじお?」
「遠くの音を拾う機械の、古い呼び名です。これは柱の唸りを拾います。箱を耳に当ててゆっくり回してください。柱のほうへ向けたとき、いちばん太く鳴ります。荷隊の案内が森で使います」
アニカは箱を耳に当てた。何も聞こえなかった。
「街の中では鳴りません。柱は森の中にしかありませんので」
「じゃあ、使えないじゃない」
「はい。街の中では」
裏の戸が鳴った。
路地に面した工房の裏口だった。客はたいてい表から来る。裏から来るのは、表から来にくい客だった。
戸を開けると、組合の荷隊の見習いの若い衆が立っていた。
この夏、組合の検量計を壊したと青い顔で来た男だった。組合の修理場に出せば始末書になる。アニカが一晩で直して黙って返してやった。
「バレルさん、具合が悪いって聞いた」
「誰に」
「窓口の親父。帳場で一人で帳面めくってた。ああいう顔、初めて見た」
若い衆は戸口に立ったまま、肩越しに路地を振り返った。
「あの検量計の借り、まだ返してないから。聞いたことを言いに来た」
「何を」
「春に鍛冶街の荷隊が来たとき、向こうの人が話してたんだ。鍛冶街の部品取り場に樽みたいな形の胴が四つあるって。止まった機械から部品を取ってほかの機械に回す場所らしい」
「樽みたいな」
アニカはバレルを見た。バレルの目の明かりが若い衆のほうを向いていた。
「でも」と若い衆は言った。「鍛冶街じゃ冬の前に大きい炉に火を入れて、部品取り場の使い道のない鉄を溶かして釘にするんだって。冬の炉って言ってた。毎年」
「冬の前」
「たぶん、もうすぐ」
「鍛冶街って、どこにあるの」
「荷隊で五日。柱が四本。……でも、行けないよ。鍛冶街の道は向こうの案内と一緒じゃなきゃ渡らない決まりなんだ。組合の地図も、それで人には見せられない。冬の入りは案内も来ない」
若い衆は、それだけ言って帰っていった。
戸を閉めて振り返ると、バレルがまだ裏口のほうを見ていた。
「バレルと同じ形の機械、見たことある?」
「記録では、柱立ての時代に十二人と働きました」
「十二人」
「今どこにいるかは、分かりません。四つの胴が、その中の誰かなのかも」
バレルの目の明かりが、少しのあいだ動かなかった。
アニカは作業台に戻ってラジオの箱を見た。
「バレル」
「はい」
「柱の場所、覚えてる?」
少しのあいだ返事がなかった。
「私は昔、柱の見回りをする機械でした。受け持ちの柱の位置は記録にあります。鍛冶街の方角では三本目までです」
「四本目は」
「受け持ちの外です。記録はありません」
「読み上げて」
「門から北北東へ七キロ。一本目。そこから北東へ九キロ。二本目。そこから東寄りの北東へ八キロ。三本目」
アニカは作業台の木くずの上に、指で三つの点を打った。点と点を線でつないだ。曲がった線だった。
「まっすぐじゃないんだね」
「見回りの順路ですので。旅の道ではありません」
「三本目まで分かって、ラジオがあれば」
「四本目はラジオで探せるかもしれません。かもしれません、です」
アニカは作業台の釘に刺さった見積もりの紙を見た。
それから箱を手に取った。
「直したほうが安いでしょ」
「計算上は、そうなります」
「なら、そうするの」
その夜、アニカはラジオを持って坂を下りた。
崖の下を抜けて森の門の手前まで行った。門は閉まっていた。門の横の柵に箱を押し当てて耳をつけた。
ゆっくり回した。
北北東を向いたとき、箱の中で低いものが一本鳴った。
ずっと遠く。鍋の底で湯が沸きはじめる前のような、こもった音だった。
後ろでかこん、と鉄の脚が止まった。バレルがついてきていた。
「鳴りましたか」
「鳴ったよ。一本目」
アニカは箱を下ろした。
「行く」




