↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
修理屋の少女は、育ててくれた旧式ロボットを直しに迷いの森を渡る  作者: 歯車
森渡り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/14

結露

 地鳴りがした。


 遠い。耳より先に、足の裏が聞いた。森の奥のどこかで道が組み変わっている音だった。


 アニカは罠の軸から顔を上げた。


「今のは北の奥です。ここまでは来ません」


 バレルが言った。胴の上の目の明かりが北の木々のほうへ向いて、すぐに手もとへ戻った。


「知ってるよ。手、止めないで。そっち押さえてて」


 猟師の小屋は森の境目のすぐ手前にあった。


 跳ね上げ式の罠が三つ、ばねが弱って獲物を逃がしていた。組合の修理場に持っていけば運び賃だけで罠がもう一つ買える。だから声がかかるのは坂の上の修理屋のほうだった。


 一つ目のばねは錆びて折れかけていた。アニカは折れた先を炉で焼き直して巻き直した。二つ目は掛け金の角が丸くなっていた。やすりで角を立てた。三つ目は軸が曲がっていた。


「この軸、どっち向きに曲がってる?」

「北東に一ミリです」

「一ミリね」


 アニカは軸を作業台の溝に当てて、木槌で二度叩いた。


「零・二ミリ。もう一度」


 もう一度叩いた。


「まっすぐです」


 罠の口を閉じて開けた。がちん、と気持ちのいい音がした。




 猟師は燻製を一包みと銅貨を六枚くれた。


 アニカは銅貨だけつまんで、包みを返そうとした。猟師は笑って、その手を押し戻した。


「……じゃあ、これもね」

「助かったわ。あんたが来てくれんと、冬の肉がなくなるけえ」




 帰りぎわ、バレルが猟師に頭を下げた。


「井戸を、お借りできますか」


 猟師はあごで小屋の裏を示した。バレルは裏の井戸で桶に二杯汲んで、背中の給水口に足した。


 アニカは道具を袋にしまいながら、それを見ていた。


 朝、工房を出る前にも足していた。昼に境目の小川でも足していた。


「今日、三回目だよ」

「歩きましたので」

「いつもと同じだけしか歩いてないよ」

「秋は空気が乾きます」


 猟師が、小屋の軒から森のほうを見上げた。


「この秋は森がやけに静かじゃの。鳥も少ない。こういう年は冬の入りに大きく荒れる。じいさんの代から、そう言うんじゃ」

「荒れたら、また罠を見に来るよ」

「そん時は頼むわ」




 帰り道は、もう薄暗かった。


 バレルが目の明かりを前に向けて坂の石畳を照らした。かこん、かこん、と鉄の脚が鳴った。いつもの音だった。


「夕食の燻製は半分にしてください。塩が多すぎます」

「半分じゃ足りないよ」

「残りの半分は明日の朝に回します。記録では、あなたが朝食を抜く確率は四割です」

「数えないでってば」

「数えます」


 坂の途中で八百屋の親父が店じまいをしていた。人参の籠を引っこめながら、バレルの脚を見下ろした。


「旦那、今日はやけに足音が湿っとるの」

「秋ですので」


 バレルは止まらずに答えた。


 坂を上りきる手前で、アニカは振り返った。


 石畳の上に、バレルの足跡が点々と黒く残っていた。濡れた跡だった。三歩ごとに一つ、ちょうど胴の真下あたりに。


 アニカは前を向いた。


「どうかしましたか」

「なんでもないよ」




 工房の戸の前で、バレルが止まった。


 アニカが鍵を回すあいだ、バレルはいつものように戸の脇に立って待った。


 戸を開けて振り返ると、バレルの足もとの石畳が黒く濡れていた。手のひらほどの水たまりだった。


「バレル。水、垂れてるよ」

「結露です」


 返事は早かった。


「日が落ちて外の空気が急に冷えました。胴の内側に露がつきます。毎年この季節には起きます」


 アニカは空を見た。雲はなかった。星が出はじめていた。霧も出ていなかった。


「……ふうん」

「拭いておきます」


 バレルは作業腕で布を取って石畳を拭いた。拭き方がいつもより丁寧だった。




 燻製は半分にされた。


 残りの半分は油紙に包まれて棚の上に置かれた。手の届かない高さだった。


 アニカは堅パンをかじりながら作業台でばねの余りを分けた。バレルは隅のいつもの場所に立って昼の仕事の記録をつけていた。


「明日は粉挽きの水車の歯を見に行く日です」

「覚えてるよ」

「歯は十八枚です。うち三枚が欠けています」

「それも覚えてる」

「それから靴の紐が」

「切れかけてるのも知ってるってば」


 寝る前に、バレルが土間の水桶から給水口に水を足した。


 柄杓で二杯。アニカは寝床に腰かけて靴を脱ぎながら、それを数えた。


 今日、四回目だった。


「早く寝てください。明日は早いです」

「分かってるってば」


 いつもどおりの夜だった。


 アニカは寝床に入って灯りを吹き消した。




 夜中に目が覚めた。


 何の音で目が覚めたのか、すぐには分からなかった。工房は暗かった。炉の火は灰に埋めてある。外で風が少し鳴っていた。


 それから聞こえた。




 ぽたり。




 工房の隅からだった。


 しばらくしてもう一度。


 ぽたり。


 水が水に落ちる音だった。




 アニカは寝床の中でじっとしていた。


 隅のほうに小さな明かりが二つ並んでいた。


 バレルの目の明かりだった。夜は落としているはずの明かりが点いたままだった。工房の暗がりの中で、それは動かずに、濡れた自分の足もとばかりを照らしていた。


 アニカは目を閉じた。


 眠ったふりは長くは続かなかった。


 ぽたり、とまた鳴った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。