人参の規定
朝飯の堅パンをかじったところで、バレルが作業腕を伸ばして、アニカの皿を指した。
「警告です」
アニカは顎を止めた。バレルが警告と言うのは、年に何度もない。
「今週の野菜の摂取量が、規定値の十二パーセントです」
「……なんだ、そっちか」
「そっち、ではありません。記録を取り始めてから、最低の数字です」
アニカの食卓は、燻製と堅パンと芋でできている。芋は野菜だと言い張ったことがあるが、バレルの記録では芋は主食の欄に入る。燻製は肉の欄。堅パンについては、言うまでもない。
「本日、市場で人参を買ってください」
「高いよ。それに人参って、土の味がするし」
「記録にあります。十年以上、変わっていません。人参一本は銅貨一枚です。あなたが昨日買った燻製は、銅貨六枚です」
「燻製は日持ちするでしょ」
「人参も、土に埋めておけば日持ちします」
「埋める場所なんてないよ」
「あります。測りました」
工房の裏の、雨どいの下。幅六十センチ、奥行き四十センチ。バレルは土の湿り気まで測ってあった。
「だいたい、その規定って、何の規定」
「柱立ての時代の、荷隊の基準です。柱から柱まで、一日歩ける体をつくる基準」
「あたし、森なんて歩かないんだけど」
「規定なので」
アニカは堅パンの残りを口に押しこんで、席を立った。逃げ道は、もう塞がれていた。
市場の八百屋は、坂の途中にある。
白髪まじりの親父が店先に、泥つきの人参を並べていた。アニカは一本つまんで、銅貨を一枚出した。
「これ、一本ちょうだい」
「七本です」
背中から、バレルが言った。
「規定値に戻すには、今週の残り四日で七本が必要です。計算の内訳を述べますか」
「述べなくていいから。一本でいいの」
「七本です」
親父が、人参とアニカとバレルを、順に見た。それから、ふき出した。
「嬢ちゃん、樽の旦那のほうが話が分かるがね」
「分からなくていいの」
言いながら、アニカの指は店先の吊り秤に伸びていた。鉤が少し開いている。親指で押して、元の形に戻した。
「五本でどうかね。四本の値でええ」
「交渉に応じます」とバレルが言った。
「応じなくていいってば」
バレルはもう聞いていなかった。作業腕を伸ばして、並んだ人参の先に、一本ずつ検査器を当てていく。
「こちらの五本にしてください。甘さが、ほかより二割高いです」
「人参の甘さなんぞ、測れるんかね」と親父が目を丸くした。
「測れます」
バレルはそれから、アニカのほうに目の明かりを向けた。
「あなたは人参がお嫌いですが、この甘さなら、食べる見込みがあります」
「見込みで決めないで」
結局、人参は五本になった。払ったのは四本分で、バレルはその差額を節約として記録した。秤の鉤のことは、親父は最後まで気づかなかった。アニカは泥つきの五本を抱えて、坂を上った。燻製なら一本で済む重さだった。
夜、工房の寸胴鍋から湯気が上がっていた。
煮炊きは、ときどきバレルがやる。作業腕は、包丁を持たせてもアニカより細かい。
アニカは作業台で軸受けを磨きながら、背中で包丁の音を聞いていた。いつもより細かい音だった。刻んでいるというより、彫っているような音だった。
「何作ってるの」
「夕食です」
「それは分かるよ」
「燻製の切れ端と、芋と、人参を一本。火は弱火で二十分です」
「味見は」
「成分なら測れます。塩は〇・八パーセント、温度は六十八度です」
「おいしいかどうかは?」
「それは測れません」
バレルは鍋をかき混ぜながら言った。
「ただし、十六年分の記録があります。あなたは塩が〇・八パーセントのとき、食べる速さがいちばん上がります」
「……そんなの数えてたの」
「ですから今夜も、あなたの食べる速さで確かめます」
匂いが、工房にゆっくり広がってきた。アニカの腹が、小さく鳴った。
「空腹の兆候を記録しました」
「しなくていいよ」
木の椀によそわれたものを見て、アニカは匙を止めた。
人参が、歯車の形に切ってあった。
一切れずつ、縁に小さな歯が刻んである。数えると、十二枚。どの切れも、きっちり十二枚だった。
「……子どもじゃないんだけど」
「存じています」
バレルは鍋の火を落としながら言った。
「八歳のころは、星形でした。十歳から十四歳までは、ねじの形です。現在のあなたの関心に合わせて、更新しました」
「更新しなくていいよ」
「食べる速さが、星形のころより二割上がる見込みです」
アニカは椀を見下ろした。十二枚の歯の人参が、汁の中で、きちんと噛み合いそうな顔をして浮いていた。
匙ですくって、食べた。甘かった。
椀は、すぐ空になった。おかわりの分にも、歯車は入っていた。
「規定値の、十九パーセントです」
「上がったね」
「はい。上がりました」
バレルは記録を一行足した。それが何の欄の記録なのか、アニカは聞かなかった。
食器を片づけてから、アニカは残りの四本を抱えて、裏口を出た。雨どいの下。幅六十センチ、奥行き四十センチ。土は、測られたとおりに湿っていた。
明日の分の人参を、一本ずつ、埋めていった。




