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修理屋の少女は、育ててくれた旧式ロボットを直しに迷いの森を渡る  作者: 歯車
街の日々

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2/14

水車の止まった朝

 朝の街には、決まった音がある。


 井戸ポンプの軋み。森口へ下りていく荷車。パン屋の窯の薪が爆ぜる音。そして坂の下から一日中聞こえてくる、粉挽き水車の、ごう、ごう、という回り音。


 その朝は、ひとつ欠けていた。


 アニカは寝台の上で目を開けて、天井を見たまま、耳を澄ませた。


「バレル。水車」

「はい。三十分前から停止しています」

「起こしてよ」

「今月のあなたの睡眠は、規定値を四十時間下回っています。優先順位の判断です」


 言い合う時間が惜しかった。アニカは工具袋をつかんで、出がけに水桶の水を、バレルの背中の給水口へ流し込んだ。




 水車小屋の前には、もう人垣ができていた。


 粉挽きの親方が、濡れた髪のまま水路の縁で怒鳴っている。秋祭りの前は、一年でいちばん粉が要る時期だ。街じゅうの麦が、この水車の順番を待っている。


「軸が折れたか」

「折れとったら音で分かる」

「なら歯だ。歯車に何か噛んだんだ」


 大人たちの声を抜けて、アニカは水路に降りた。誰かが何か言ったが、親方が黙らせた。あの娘に見せろ、と言ったのが聞こえた。見せてどうする、と言ったのも聞こえた。


 聞こえなかったことにした。


 水車の軸受けに聴診棒を当てる。水は止めてある。アニカが目を閉じると、水路の上からバレルが言った。


「この水車は百二十年前の規格です。主輪の歯数は四十八。樫材の差し歯式」

「差し歯式?」

「歯が欠けたら、その歯だけ替えられる造りです。先人の設計です」


 アニカは主輪に沿って這った。あった。歯が三枚、根元から潰れている。潰した犯人も、まだそこに居た。荒れのあとの増水が運んできた流木が、輪と受けの間に、楔のように食い込んでいた。


「流木。歯が三枚」


 上から親方の呻き声がした。


「樫の挽き材なんぞ、うちにはねえぞ。取り寄せたら祭りが終わっちまう」

「古いのでいいよ」


 アニカは言った。


「百二十年もったんだから、古い樫の方が信用できる」


 それから、水路の上の親方を見上げた。


「昼の鐘までに回すよ」

「残り、三時間と十二分です」とバレルが言った。

「鐘まで、でいいってば」




 工房のガラクタの山から、樫の端材が三本出た。昔、誰かが置いていった壊れた荷車の、引き棒の折れ残りだ。


 水車小屋の床に材を据えて、アニカは鑿を握った。


「歯形、読んで」

「全長二二〇ミリ。歯先の幅、四二ミリ。根元で四八ミリ」


 バレルが読み上げる。アニカが削る。


「歯先、あと一ミリ」


 削る。


「過ぎました」

「過ぎてないってば」

「〇・五ミリ、過ぎています」

「噛み合わせで馴染む分。差し歯は気持ち太く作るの」


 バレルは三秒黙った。


「……記録します。『気持ち太く』」

「単位にしないでよ」


 削っては当て、当てては削る。小屋の戸口に子どもたちが鈴なりになって、親方は腕を組んだまま一言も言わなくなった。木屑の匂いと、川の音。三枚目を削り終えたとき、日はもう高かった。


 差し歯を打ち込む。楔を打つ。流木の食い込みを外して、受けを拭いて、油を差す。


「水、入れて」


 親方が水門の栓を抜いた。


 水が走る。輪が、重たげに半周して、止まりかけて——ごう、と回った。


 ごう、ごう、ごう。


 坂の上で、昼の鐘が鳴り始めた。


 朝から欠けていた音が、坂の下に戻った。人垣が湧いた。親方はアニカの頭をつかんで、ぐしゃぐしゃに撫でた。やめてほしかった。




 工賃は言い値で払われた。そのうえ粉を一袋、押し付けられた。


「いらないよ」

「貰っとけ。祭りのパンは、おまえの削った歯で挽いた粉になる」

「……じゃあ、一袋だけ」


 親方は笑って、もう一袋増やそうとした。アニカは粉を抱えて逃げた。


 帰り道、バレルが水車を振り返って、胴を傾けた。深々とした、丁寧なお辞儀だった。


「何それ、急に」

「同業への礼儀です」

「同業?」

「彼とは昨年、親睦を深めました」

「一晩中お辞儀してただけでしょ」

「親睦です」

「粉袋、持ちます」

「いいよ。もうすぐだから」


 坂を上る。背中の粉袋は重くて、温かい。


 井戸ポンプ、荷車、パン屋の窯、水車。


 いつも通りの、街の音。


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