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修理屋の少女は、育ててくれた旧式ロボットを直しに迷いの森を渡る  作者: 歯車
森渡り

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11/14

案内なし

 バレルが井戸の縁に作業腕をかけて、桶を下ろした。


 桶は底に当たる前に、こつんと止まった。


 アニカは井戸の縁から中をのぞいた。石組みの壁を太い根が一本斜めに突き破っていた。割れた石が井戸の中に落ちて水の通り道を塞いでいた。


「枯れたんじゃないね。割れてるだけ」

「石を除ければ、水は戻るはずです。三日かかります」

「そんな時間はないよ」


 残りの水を量った。バレルの水袋には一日分。アニカの水袋にも一日分。四本目までは記録がない。どのくらいかかるかも分からない。




 四日目の朝、三本目の柱の広場を出た。


 アンテナを回すと、背中のほうで三本目の唸りが太く鳴った。前のほうは静かだった。


 根を越え、枝をくぐった。ときどき止まってアンテナを回した。背中の唸りは少しずつ細くなって、やがて聞こえなくなった。前からは何も鳴らなかった。


 どの柱からも遠い、長い静けさだった。


「方角は合ってる?」

「荷隊で五日という道のりからすると北東のはずです。はず、です」

「はずばっかりじゃない」

「記録がありませんので」


 根のあいだに、車輪が一つ見えた。


 荷車だった。半分が地面に沈んでいた。荷台を太い根が貫いて上へ伸びていた。木は荷車を抱えたまま育っていた。


 荷台の脇の根に、靴が片方はさまっていた。大人の革の靴だった。木の皮が靴の口のところまでかぶさっていた。


「柱の広場の外です」


 バレルが言った。


「近づかないでください」


 アニカは近づかなかった。


 ここで人が呑まれたんだ。


 柱の広場まであと少しのところで。誰にも見つけられずに。


 次にここに靴を残すのは、自分かもしれない。急にそう思った。


 気を取り直して、地図を出して×を描こうとした。


 鉛筆の先が紙の上で滑った。描き直した。また滑った。三度目に芯が折れた。


 指が震えていた。止めようとしても止まらなかった。


 バレルの作業腕が伸びてきてアニカの手首を包んだ。鉄の指は冷たかった。指の震えが少しずつ小さくなった。


 アニカはバレルの胴に片手をついたまま歩き出した。


 三十歩ほど行ったところで口が勝手に動いた。


「あたしが呑まれたら」

「お断りします」

「まだ何も言ってない」

「お断りします」

「……工房の道具は、キノコにあげて。使い方は知らないだろうけど、売れば冬が越せるから。地図は、裏口に来た若い衆に。あの人なら使える」


 バレルは返事をしなかった。かこん、かこん、と鉄の脚だけが鳴った。


「聞いてる?」

「聞いています。記録はしません」

「記録してよ」

「しません」


 バレルの作業腕は、アニカの手首を放さなかった。


 アニカはそれ以上言わなかった。言わないで、歩いた。


 昼を過ぎたころ、右の足もとで、ぱた、と音がした。


 歩くたびに、ぱた、ぱた、と鳴った。アニカは気にしなかった。


 しばらくして、足の裏がぬるりと滑った。


 根に腰を下ろして靴を脱いだ。底がつま先から半分はがれて口を開けていた。靴下が赤く濡れていた。根の角で足の裏を切っていた。


「二ミリでした」

「知ってる」


 アニカは布を裂いて足に巻いた。バレルが作業腕で靴を押さえ、アニカがはがれた底を紐で甲に縛りつけた。結び目がうまく締まらなかった。三回目で締まった。


 顔を上げた。


 鳥が鳴いていなかった。


 風の音もなかった。虫の声もなかった。いつからなのか分からなかった。


 バレルの目の明かりが遅れて森のほうを向いた。


「凪です」


 柱は、どちらも遠かった。


「入ってください」


 アニカは靴を片手に持ったままハッチによじ登った。座の枠に体を押しこんだ。


 ハッチが下りてきた。光が消えた。


 音は、すぐに来た。


 みしり、めきり、とおとといの晩と同じ音だった。違うのは、それがすぐ外で鳴ったことだった。


 根が土の中で引きずられる音が胴の真下を通った。胴が持ち上がって斜めに傾いた。アニカの肩が鉄の壁に当たった。外で何かが胴の表をこすっていった。長い音だった。


 足の傷が音に合わせるように脈を打った。


 アニカは膝を抱えた。背中の鉄の向こうで、バレルの体の回る音がしていた。ふだんと同じ速さだった。


「夜の凪は、私が先に聞くと言いました」


 暗闇の中でバレルが言った。


「昼でしたが、聞き逃しました」

「あたしの靴のせいでしょ」

「私の耳のせいです」

「靴」

「耳です」


 胴がまた傾いた。アニカはバレルの回る音を数えた。一つ、二つ、三つ。


 外の音は夜明け近くまで続いた。




 ハッチを開けると、知らない森だった。


 昨日歩いてきた根の隙間はどこにもなかった。荷車も見えなかった。見たことのない太い木が見たことのない間隔で並んでいた。


 アニカはラジオを耳に当ててアンテナを回した。


 どちらに向けても何も鳴らなかった。


「方角は」

「私の中の磁石では、北東はあちらです。どれだけ流されたかは分かりません」


 バレルの作業腕が一本の木を指した。


 北東へ歩いた。右の足を地面につくたびに布の下で傷が開いた。昼を過ぎても何も鳴らなかった。


 バレルの足が遅くなった。かこん、かこんの間が少しずつ開いていった。


「水、もうないの?」

「残り一リットルです。漏れる分を入れると、日暮れまでもちません」


 アニカは自分の水袋を外した。まだ半分以上入っていた。昨日から飲む量を減らしていた。


 栓を抜いてバレルの給水口に傾けた。


「やめてください。いただいた水の一割は、漏れます」

「九割は残るでしょ」


 バレルは黙った。水袋が空になった。


 アニカは根に腰を下ろした。


 小刀を出して折れた鉛筆を削った。地図を広げた。三本目の丸から伸びた線が、白いところで途切れていた。


 荷車のあったあたりに×を描いた。今度は線が曲がらなかった。


 それから北東へ線を一本引いた。まだ何もない白いところへ、まっすぐ。


「四本目まで、行くよ」

「はい」


 アニカは立ち上がった。もうバレルの胴には手をつかなかった。


 日が傾いた。


 ときどき止まってアンテナを回した。何も鳴らなかった。止まるたびに木の影が長くなった。


 夜の森は歩けない。凪の前触れが闇では読めない。


 四度目に止まったとき、左のずっと奥で細いものが一本鳴った。


「鳴った。左」

「はい」


 唸りの太くなるほうへ歩いた。足の布はもう赤かった。木々のあいだが暗くなっていった。


 木の向こうがぽっかり開けた。


 柱の広場だった。


 広場の草を踏んだとき、アニカの膝から力が抜けた。


 しゃがみこんで柱の根元の地面に手をついた。土は冷たくて、乾いていた。動かない土だった。


 助かった。


 そう思ったのは、土に手をついてからだった。


 背中でバレルの脚が止まる音がした。かこん、と一つ。


「生きてるね」

「はい。あなたも、私も」


 柱の根元に苔だらけの井戸があった。底の水は少し濁っていた。布で二度こして、アニカは飲んだ。それからバレルの給水口に足した。


 アニカは柱の根元に座ったままラジオを耳に当てた。


 アンテナを回した。来たほうでも行くほうでも、細い唸りが鳴った。


「両方、聞こえる」

「はい。三本目も、四本目も。この柱を通れば、もう迷いません」


 アニカは地図に丸を一つ描いた。


 その横に書いた。


 ?


 その下にもう一行書いた。


 ここに来れば、迷わない。




 翌日の昼、四本目の柱の広場に着いた。


 広場の中に石を積んだ低い建物が二つあって、煙突から煙が上がっていた。


 建物の戸が開いて、年寄りが一人出てきた。後ろにもう二人。三人とも厚い毛皮の上着を着ていた。


 年寄りはアニカとバレルを見た。それから来た方角を見た。


「どっちから来た」

「南西だよ。森の門から」

「森の向こうから、案内もなしに来た者は、初めてじゃ」


 後ろの二人が顔を見合わせた。若いほうが言った。


「この時期に、女の子と樽の機械の二人きりで?」

「樽じゃないよ。バレル」


 年寄りの目がアニカの足の赤い布に落ちた。


「入れ。汁がある」


 柱番の三人は鍛冶街の人だった。


 鍛冶街の道は、この宿場の柱番の家の者が代々案内する。


「道を覚えた者が勝手に渡って呑まれる。昔、それが続いたんじゃ。だから道は案内と一緒に渡る。そう決めた」


 年寄りはアニカの椀に汁をよそいながら言った。


「止めはせん。森は誰のもんでもない。じゃが、たまげた」


 アニカは汁を飲んだ。熱くて、塩が強かった。


 椀を持つ手がまだ少し震えていた。アニカは椀を両手で持ち直した。


 三杯目をよそわれた。井戸の水は好きなだけ汲んでいいと言われた。バレルの給水口を満たし、空の水袋にも水を詰めた。


 寝る前に、年寄りが革の切れ端と太い糸を置いていった。何も言わなかった。


 アニカは灯りの下で割れた靴の底を継いだ。一針ずつ、きつく。


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