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修理屋の少女は、育ててくれた旧式ロボットを直しに迷いの森を渡る  作者: 歯車
森渡り

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10/14

三本目の柱

 走るか、動かないか。


 どっちかを、すぐ。


「二本目まで、どのくらい」

「千二百メートルです」

「走れる?」

「走れます。乗ってください」


 アニカは迷わなかった。バレルの胴に足をかけて、ハッチの中へ体を落とした。座の枠に背中が当たった。


 バレルが走り出した。


 脚が地面を蹴るたびに胴ががたんと揺れた。かこん、かこんの間がなくなっていた。根を越え、倒木を踏み越え、低い枝を胴で押し分けた。ハッチの縁から見える森はどこもしんと静まり返っていた。音を立てているのはバレルだけだった。


 揺れのたびに足もとで水の音がした。


 ぴしゃ、と跳ねる音だった。走る揺れでひびから漏れる水が増えていた。アニカの靴が濡れた。


「バレル、漏れが」

「承知しています。走ります」




 開けた広場が見えた。二本目の柱だった。


 バレルは広場の真ん中、柱の根元まで走りこんで止まった。


「閉めます」


 返事を待たずにハッチが下りてきた。


 頭の上で、張り替えたばかりの革が縁に吸いついた。光が消えた。


 真っ暗になった。




 しばらく何も起きなかった。


 それから遠くで音がした。


 みしり。


 一本の木がゆっくり身をよじるような音だった。続いてめきり、ともっと近くで。


 音は増えていった。何百本もの枝が一度にしなる音。根が土の中で引きずられる音。それが四方から少しずつ近づいてきて、柱の広場のまわりで渦を巻いた。


 鉄の胴が、外から押されたように一度きしんだ。


 アニカは膝を抱えたまま背中を座の枠に押しつけていた。


 背中の鉄の向こうで、バレルの体の回る音がしていた。ふだんと同じ速さだった。


「大丈夫です」


 暗闇の中でバレルが言った。


「柱の広場の中は動きません」

「知ってるよ」

「知っていても、言います」


 暗闇の中で、バレルの声が少しだけ近くなった。


「夜の凪は、私が先に聞きます」


 アニカは背中で聞こえるバレルの回る音を数えた。


 一つ、二つ、三つ。外の音が近づいても、遠ざかっても、その数え方は変わらなかった。


 百を数えたあたりで、外の音が一度大きくなった。胴がまたきしんだ。


 アニカは数えるのをやめなかった。


 二百を過ぎたころ、自分の息が、その数え方にそろっていることに気づいた。


 外の音は夜明け近くまで続いた。


 いつ止んだのか、アニカは覚えていない。気づくと細い光が一本膝の上に落ちていた。上の息の穴から入る光だった。




 ハッチを開けると朝だった。


 広場の中の草は何も変わっていなかった。柱も井戸も昨日のままだった。


 広場の外はちがっていた。


 昨日の夕方に走りこんできた方角に、見覚えのある木が一本もなかった。走ってきた根の隙間はどこにもなく、見たことのない太い木が見たことのない間隔で並んでいた。


 来た道は消えていた。


「道替えです」


 バレルが言った。


「森の道が組み変わります。荷隊の人たちは、嵐と呼びます」


 アニカはハッチの縁に腰かけたまま、ポケットから紙を出した。


 門から一本目への線はそのままでいい。柱は動かない。一本目から二本目へ引いた線の横に、こう書き足した。


 道は消える。柱は残る。


 右へ伸びた短い線の先の?も、消さずに残した。




 バレルの足もとの草が濡れていた。


 アニカは何も言わずに井戸の水を汲んで、バレルの給水口に足した。昨日よりたくさん入った。




 二本目を出てすぐ、太い倒木が根の隙間をふさいでいた。


 嵐で倒れたばかりの木だった。幹の割れ目から、まだ白い木の肉がのぞいていた。


「越えられる?」

「越えられます。乗ってください」

「水、漏れるでしょ」

「少しだけです」


 アニカは乗らなかった。倒木の枝に手をかけて自分で越えた。向こう側に下りてから振り返ると、バレルが脚を一本ずつ持ち上げてゆっくり幹をまたいでいた。走ったときのような水の音はしなかった。




 三本目の柱までは丸一日かかった。


 唸りは素直に太くなった。嵐のあとの森は、どこか空気が軽かった。アニカは歩きながら紙に線を引いた。


 途中でバレルが言った。


「あなたの靴の底が二ミリまですり減っています」

「なんで分かるの」

「足音で分かります。石を踏んだときの音が、四日前より高いです」

「歩けるから、いいの」

「規定では」

「いいってば」




 日暮れ前に三本目の柱の広場に入った。


 一本目や二本目と同じ黒い柱だった。根元に苔むした石組みの井戸があった。


 バレルが柱の根元で止まった。


 止まったまま、動かなかった。


「どうしたの」


 目の明かりが柱の根元の地面に向いていた。草の生えた、何もない地面だった。


「ここで、あなたを拾いました」


 バレルはそこで言葉を切った。


 森は静かだった。凪ではなかった。ただ、静かだった。


「訂正します。ここで、あなたと出会いました」




 アニカは柱を見上げた。


 苔に覆われたてっぺんが、暮れかけた空に黒く立っていた。


 それから足もとを見た。


 草の生えた地面だった。何もなかった。布の端も、荷車の轍も。十六年の雨が全部きれいにしていた。


 アニカはしゃがんで、草の上に手のひらを置いた。


 冷たかった。


 しばらく、そうしていた。


 立ち上がって紙を出した。


 二本目から三本目へ引いた線の先の、小さな丸を見た。


 鉛筆を丸の横に置いた。


 何か書こうとして、書かなかった。


 鉛筆をしまった。




「バレル」

「はい」

「記録、ここまでだったよね」

「はい。私の受け持ちはこの柱までです。この先は、私も知りません」


 アニカは柱の向こうの森を見た。


 それから荷物を下ろして、桶を出した。


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