第八話 『黄金リレーと星海打線』
4回の表、この試合3打席目に向かおうとする根付に対して監督は告げた。
「根付、今日はもういい。よくやってくれた、代打を出す」
「はあ……そうですか」
粘着質な野球スタイルに反して、凡庸で地味な野球選手らしい外見をした根付は特段暁のようにごねることもなく、素直にバットを戻してベンチに座り直す。
根付自身分かっていた。この試合のように相手がなりふり構わず短いイニングで複数投手を継投させてくる場合、己の投手削りの効果は薄いと。
相手先発のように神経質であるなど安定性を欠く投手には嫌がらせ効果が大きく発揮され乱すことができるが、それ以外相手にはヒットがほとんど出ないことが足枷にもなりうる。
根付が真価を本当に発揮できるのは過密日程の夏大会。この春季大会での根付の採用は夏に向けて試合経験を積ませる意図が大きい。
打撃成績で語るなら根付以前の1番レギュラーだった3年生の方がよく、守備は強みこそ違うがほぼ同等、足もほぼ同等であった。なればこそ、投手削りという最大の強みが減衰するこの状況下では根付より元レギュラーの方が優位。
野球IQの高い根付にはしっかりそのあたりの分析ができており、故に文句がなかった。
監督はやたら聞き分けのいい根付の様子に、ちらりと響を見るが、響は無言で『問題なし』のジェスチャーをする。
優れた野球選手というのはたいてい我が強い。この時期にレギュラーになれる1年生などというのは普通自分を特別視しているものだ。
監督からしても、己の打撃成績を落としてでも嫌がらせに特化しチームに貢献するタイプの選手を以前に担当したことはなく、その精神性はよく分からないため響やメンタルケアが専門の女子マネージャーの知見に頼っているところがあった。
風格も存在感も外見からは感じさせない根付。しかしその野球スタイルも価値観も、通常の野球選手からはかけ離れ周囲はちょっと扱いに戸惑うのであった。
むしろ暁くらい自己主張もしてくれると分かりやすくて楽なのだが、などと監督は割と自分勝手なことを考えていた。
なおこの回、相手投手は調子がよく星海打線は1安打で抑えられる。
むしろ先発として出てきた投手よりも安定感があり強く感じられた。
強豪には二枚看板のチームがかなり多くなってきているが、今日星海が対戦している高校は3番手までほとんど力の差がなくその日の調子で格付けが変動する平均値の高い投手陣を抱えるチームだという情報を得ている。
「追加点を早めに取って室井を楽にしてやりたいな」
ぼそりと呟きながら、監督はマウンドに向かう室井の背中を見送っていた。
一方、相手打者は室井の投球に戦慄していた。
(なんだこれは……速すぎる!)
打者はデータとして室井の球速を知っていた。
暁という強豪にとって打ちごろにも感じる速度の投手の後に、この安定して150km/h近く投げられる投手を経験すれば多少は速く感じるのが当たり前。
そう覚悟してからバッターボックスに入ったのだ。
だが、これは『多少速い』ではない。
(本当に、150なのか!?)
再び放たれる剛球。うなりを上げてミットにおさまるその球に、1番打者は明らかに振り遅れて宙を切る。
通常の継投においても、速度差を活かしたものは普通に存在する。
だがそれは、慣れや記憶の引きずりによって錯覚を起こし、前に経験した投手との速度差の適応に時間がかかるというものだ。
ところが、暁との継投はこれに追加されているロジックがある。
『リリースが見えづらく』『不安定に感じる微妙な速度差で』『ストレートと変化球が見分けにくい』、これらの条件に晒されると打者の脳はその微差を検知しようと過敏になる。
過敏になれば、明らかな差をより大きく感じ、スイングを調節しようとする幅もまた大きくなる。
暁と室井の単純な球速差にこのロジックが複合した結果、通常であれば『前の投手に比べてかなり速くなった』と感じるだけの室井のストレートを『めちゃくちゃ速くなった』とまで感じるようになる。
そしてさらに、
(遅い!落ちる!バットの修正が追い付かない!)
『ストレートに比べて遅く、なかなか落ちる』室井の落ち球すら、『かなり遅く、大きく落ちる』ように増幅されて感じる。
打者の検知能力が上がっているため、ストレートか変化球か、という判断はむしろ容易くなっている。
だが、球種が分かってもそれにバットの調節が合わなければ打てるようにはならない。
『黄金リレー』と監督が後に名付ける、この世代の星海最強戦術。
それが公式戦で炸裂していた。
5回の表、直前の攻撃で結局内野手の頭をわずかに超えたポテンヒット1つのみに終わり、攻撃機会の約半分が終わろうとしている状況にエリート校のキャッチャーは心中の焦りを押し殺していた。
(そして、今こいつか……星海の4番、ハーフの巨漢。あまりにもでかすぎる)
虎杖レオン(こじょう れおん)、ドミニカ王国とのハーフで高校2年生にしてその身長は2m10cmにもなる規格外のでかさ。少し浅黒い小麦色の艶のある肌に、サイドを刈り上げてぼかしを入れた少し短めのドレッドヘアの黒髪。
肉食獣のようなバネのある筋肉をもち、手に持つ標準より155g重い特注バットでさえ、この肉体には少し小さく見える。
異様なまでの威圧感、それでいて。
バッターボックスに入る直前、レオンは相手キャッチャーに対して「よろしくな」とでも言うように、無言でニカっと笑う。
陽気で豪快、気安い笑みも敵という立場では「これからくらってやる」というような威圧に勝手に変換されてキャッチャーは感じ取っていた。
(データ上、かなり打率は低い、が)
ぶおんっ、と勢いよくレオンのバットが空中を裂く。顔に吹き付ける風圧、ビシビシと飛んでくる緊迫感。
1球空振りに取ったはずなのにまったく安心できない。
虎杖レオンの打率は、5打席あれば1度は打てる、という程度であり、近代の4番に求められる数値よりはるかに下の値を出している。はっきり言って、これだけならお話にならない。
だが同時にレオンは、打った球の約半分はホームランにする、という規格外のパワーを持つ。しかもその多くが場外弾だ。
(当たらないはずだ、だがもし当たったら……)
数値上は恐れるに足りない、だが数値を超え本能に恐怖を与える。
そして恐怖を飼い殺す高校選手など、そういるものではない。
結果、配球が乱れる。レオンを抑えることができても精神の乱れはすぐに戻らず、わずかに後続への判断が狂う効果がある。
とはいえ――あくまでロマン砲であるレオンは、巨大扇風機としてブンブン振り回している場面がそれなりにあるのも事実である。
それを証明するように、この打席においてレオンが快音を響かせることはなかった。
(さて、4番はどうにかしのいだ。次は)
安堵ともに次の5番打者にキャッチャーは視線を送る。
打撃面で安定して信頼されている打者、他校の大人からはレオンよりもこちらの方が警戒されている。
だが、キャッチャーはレオンの直後ということもあり、普通の体格に見えるこの打者への警戒がわずかに緩んだ。
3球目の少し浮いた外角の球を、見事にライト方向に運び、2塁打にされてしまう。
これで1アウト2塁、得点圏である。
4点リードを許している状況で、さらなるピンチ。バッテリーはタイムをかけてマウンド上に集い、ともに気合を入れ直す。
そしてこの流れに、星海ベンチでは監督がチャンスを確信しながら響の目に頼る。
「ん~、油断はなし、焦りもほとんどなし。バッテリーだけじゃなくて内野も落ち着いて見えるかな。外野は――さすがに顔色まで見えなーい」
さすがの響でも、球場の全ての選手を細かく視認できるわけではない。
だからこそ、普段はバッテリーや自分たちのベンチに比較的近い内野選手くらいにしかその洞察は及ばない。
大きなボディランゲージが出ればその限りではないが、今はそんな状況でもない。
「なら、揺さぶるのに最高の打順だな」
「あーね。全打席バントの構えで入るもんね、彼」
星海の6番打者は揺さぶりのプロフェッショナル。
大きく打球を飛ばすことは得意ではないが、相手守備に前進を強要し状況によってバント・内野手の頭を超える打球などを使い分ける。
そしてそんな彼がこの打席で選んだのは。
相手投手の初球、2塁にいた走者が球を投げると同時にスタート。6番は1塁方向に鋭いゴロを打ち放つ。
あわや間を抜けるか、というところで相手一塁手は打球に飛びつき、カバーに入った仲間とともに6番打者をアウトにする。
「上手いな、相手守備。投手も低めにきれいに投げた」
「そだね。でも、3塁にまでは進めたよ。よくやったとあーしは思うな」
監督が相手を褒めるのに対して、チャンスはまだ続いていることと自チームの選手を褒める響。
ムードを悪くしないように振舞う響に、監督は自分が分析モードに入りすぎたことを反省。
「うむ、まあなんだ、1点入ればそれでいいよな」
「監督、それフラグ……あ」
続く7番打者が、目の前で小フライを上げてアウトになってしまう。
「……うち、強豪のわりには下位の打線は微妙寄りなんだよなぁ」
少し目を逸らして零す監督をよそに、響は帰ってくる選手たちを迎えに立ち上がった。
響にとっては監督のケアをするよりも、頑張った選手たちの方が大事である。
5回表、星海学園はチャンスをものにできず4-0のまま終了した。
点差は変わらないものの、相手校は食い下がり諦める様子は欠片もありはしない。
首に迫る刀を切り落とし、反撃の機会を狙って牙を研ぐ。
勝つために。その意思はどちらの高校も変わりなかった。




