第七話 『ギャルの本分、エースの仕事』
春季県大会準々決勝の当日、会場となった球場にはすでに両校のベンチに選手及びスタッフが位置についていた。
この試合に勝つことができれば、夏の県大会における第1シード権、トーナメント表の最も有利な組み合わせ位置に配属されるアドバンテージを獲得できる。
この春季大会における最大の実利的な目標であり、多くの高校校がこれを目指している。
星海学園が今日当たる相手は、運よく神奈川の最上位クラスではない。ほぼ星海と同格かほんの少し向こうが上、と世間的には目されている高校。
投打ともに洗練されているのが特徴の、綺麗な野球をするエリート校。星海学園に似て野球IQを大事にしながらも、セオリー通りに動くという一点においては大きく異なっていた。
「ふむ、観客席はまあまあ埋まっているが、他の上位校の試合に流れたか。注目度があまり高くないのはいいことだな。
他校の偵察は当然きているだろうが、優先順位はまだ低いはず。油断させられるに越したことはない」
満足げな監督の様子に、エースの室井宗一郎が口を挟む。
「監督、今からもう勝った時の心配ですか?向こうの高校、もう守備位置につき始めてますよ。目の前に集中してください」
「おおっと、すまんすまん。それじゃあ天川、始めてくれ」
試合直前、それもマウンド上で投手と捕手が最終打ち合わせをし始めている段階でベンチマネージャーが何かする必要があるのか、と首を傾げる暁。
そんな疑問に誰も答えることなく、まるでそれが当然なような空気がベンチを占める中、響は座ったまま少し前かがみになってマウンドに視線を送る。
「りょ。いつもどーり、投手からいくね。
表情は自信ありげ――調子は良さそう、もしくはこっちを舐めてるか。
細かくボールの握りをやり直してる――神経質なのか、気になる球種がある可能性。
キャッチャーとのやり取りが硬い――最近組んだのか、相性が良くないのか。スカウティングデータを確認してね。
あ、苛立った感じのため息――思い通りにならないことに弱いかもしれない。
帽子を直したり足元を踏み固める回数が多い――慎重派か、神経質か。
総評、調子はいいかもしれないけど揺さぶりに弱い可能性が結構あり、キャッチャーとの連携に隙があるかもしれない。
以上、響ちゃんレポートでした」
暁、絶句。
ベンチからマウンドまでは30メートル近くある。その距離を双眼鏡もなく、目視している?
少なくとも、暁にはマウンドの投手の表情やボールをどう扱っているかなんてのはよく分からない。
「あの、響先輩、本当に見えてるんですか?」
「ん、ばっちし見えてるよん。あーし、視力は両目とも余裕で3.0は超えてるんだよね。
向こうのベンチまではむずいけど、マウンドまでなら眉の角度から息遣いまで丸分かり。ぶい」
そこに監督が補足を入れる。
「そこに聞いての通りの馬鹿げた観察力。うちが現場の心理戦で圧倒的に優位に立てる理由、それがベンチマネージャー天川響だよ」
「いえーい。そんな褒められてもなにもあげないよ、監督」
「だから、こいつに隠し事はできると思うな。したいと思ったら物理的に見えないところに行くんだ。」
「あれれ、それ褒めてなくない?失礼な。
てか、あーしは「なんか隠してるなー」くらいは分かっても「その内容が何か」までは分かんないからね。エスパーじゃないんだから。
あーしは人間です」
ぷくっと頬を膨らませる姿は可愛らしいが、やっていることは明らかな『異常個体』のそれ。
人間の延長線上ではあるが、できる人間のパーセンテージは明らかに低い。
なおも唖然としている暁の頭に、梅本の大きな掌が乗る。
「うちは、女子マネも含めてチームだ。選手だけじゃなくこんな頼りになる味方もベンチにいる。ベンチの外には俺たちを支えてくれる子たちもいる。
なんだか余裕が出てこないか?」
軽く、一回だけ髪をくしゃっとして梅本は熊みたいな顔で破顔した。
「よし、まずは揺さぶる野球で行く。根付の相性がいいのもやりやすいからな。
天川は適時心理分析を。効果が微妙だったらすぐ教えろ。
この試合、勝つぞ」
監督の檄に、各々がバラバラの掛け声で答えた。返事に統一感がなく個性が反映しているのも、この学園らしさだった。
先発として2回までを抑えて暁がベンチに帰ってくる。ここまでの成績は完璧、1本のヒットも相手に許していない最高の立ち上がりだった。
「よしよくやった暁、ここまでだ。次のイニングからは室井に出てもらう」
「え、まだやれますよ?」
気分良く相手を抑えていたのに出番が終わりだと監督に告げられ、まだまだ元気だと肩を回してアピールする暁。
「いや、他の高校には『たまたま調子のよかった1年投手』と思わせたい。引っ張れば引っ張るほどお前の力が周囲に露呈する。夏まではお前の役割や投球のロジックを判別できる要素はできるだけ隠したいんだ。
今下げれば『打たれなかったのは運がよかっただけ』としか思われない。下位打線にまでお前の影響を与えるより、そっちの方が長期的にいいと判断した。
お前は『秘密兵器』だからな」
「『秘密兵器』……そうかあ。それなら仕方ないですね」
なんだかやたらと格好いい文言に騙され、目をキラキラさせる暁。持ち上げられ、素直に頷いてしまう。
擦れた中年の監督にとって、まだ純情な中学上がりの1年坊をその気にさせるのは容易かった。
「監督、情報戦が好きなのはいいですが、今のことも考えてくださいよ」
室井が角刈りの短髪に帽子を乗せ、浅黒い肌に浮いた汗を拭きながら忠言する。
「考えてるさ。もし今日負けても、第2シードは確定している。
第1シードは欲しいが……お前が取ってくれるだろ?室井」
信頼をうかがわせる丸投げに、軽くため息をつきながらも室井は、イケメンとは言えないが崩れてもいない安心感を与える造形の顔に苦笑を浮かべる。
「そこまで期待されているなら頑張りますよ。俺はそいつと違って他所に分析されまくってますからね。どうせどれだけ投げても大して変わらんでしょ」
「ああ、8回まで頼む。天川、あっちの様子はどうだ?」
「んー、出てきた先発は苛ついてんね。でも、なんかベンチ側が動いてる気配在り。大きく崩れたら替えてくるかも、って感じ。
まだ1点しか取れてないから、早いとこ監督はリード広げたいんでしょ?」
話を振られた響は、サイドに括った金髪をくるくる右手に人差し指でいじりつつ、左手を目の上にかざして相手側を見つめたまま答える。
「そうだな。小さくつないで揺さぶるフェーズから大きく狙うフェーズに移すとするか。都合よく3回のこっちの打順はクリーンナップに被る。
室井は肩を温めてろ、もし打順が来たら呼ぶ」
「了解です、監督。
暁、お前が作ったリード守り切ってやるから、先輩の背中を見とけ」
「はい、お任せします」
室井の頼もしい言葉に、ミットをお互い打ち付けて軽く笑う投手2人。
一軍に入って間もないが、暁は順調にチームに馴染みだしていた。
3回の表が終わり、星海のエース室井がマウンドに上がる。
直前には相手先発からホームランで2点を奪い、さらに2塁に打者を進めたところで先発が降板、続く投手が火消しに走るも追加で1点。
すでに奪っていた点数も含め、4点という大きなアドバンテージ。試合の3分の1でこのペースというのは強豪同士の対戦としてはかなり激しい。
だが、春の準々決勝という場面において、相手高校はためらわず全投手をつぎ込んだ総力戦を展開し、打者も迷わず振ってくるのが明らか。
相手が後続を絶ち続け、打ち込んでくるならば逆転もありうる。その程度のリードに過ぎない。
そして、それを許さないのが室井に任された仕事である。
もし自打線がこれ以上点数を取れなくとも、それ以下に相手を封じ込めてしまえば勝てる。
当たり前の論理ではあるが、それを行う重責がエースの肩には乗る。
その重責に負けないことがエースには求められる。
「ふんっ!」
室井の縦に振り下ろした腕から、150km/hを超える剛球が放たれる。
一直線に内角高めに走った球が、打者のバットに食いつき押し込み、ただの凡庸なフライに打球を変える。
1アウト。
室井の投球スタンスは、暁とは大きく違う。
彼の球種も配球も、どう『重く速いストレートを最大化するか』に集約されていた。
力強く地面に振り下ろされる足、爆発するように大上段から隅に剛球が投げ込まれる。
コースのぎりぎりに直球を収める制球力もある。
「ふっ」
続けて放たれたのは、大きく斜めにアーチを描く、かなり遅い球。
内角のボール球にするつもりだったが、わずかに外に逸れストライクコースに入る。
相手は、軌道と速度差に体が泳ぐ。
運良く2ストライクにまでなれば悩む必要なし。
間を置くことなく、外角の高めに最速152km/hを投げ込む。
直前からの速度差により、体感速度160km/h以上を浴びせる組み合わせ。
3球連続ストライクで、2アウト目。
暁と直接対戦していない、ストレスを蓄積できていない相手にでも配球を工夫すれば室井一人でもこの体感速度は瞬間的に作り出せる。
逆に言うと、室井が配球も何もなしで初球から160km/h以上にストレートを感じさせることのできる暁との継投効果はかなりの無法なのだが、ないものは仕方がない。7~9番打者を暁は相手をしていないのだ、独力のみで切り抜ける必要がある。
そして、下位の打線も切り落とせないなら後輩に顔向けできぬと室井は気合を入れた。
「はっ!」
剛球一線、打とうとしたバットを押し込み、ファールに。
続いて、内角のボール球、顔付近に速球を投げ入れる。9番打者は体を引いて逃げた。
3球目、白球に指をV字に引っ掛け、ストレートと同じ腕の振りで人差し指と中指の間から抜く。
ストレートよりやや遅く、それでいて真っ直ぐな軌道で打者に迫ったボールは、打者の前でストンと下に重力に従って落ちる。
ド真ん中少し上を狙っているように見えた白球は、急に慣性を失ったように斜めに落ちながら、キャッチャーのミットにおさまる。コースの真ん中低めを貫いた。
打者はバッターボックス内で軽く数度バットを振って、気を取り直すように構え直す。
だが、仕上げとばかりに放たれた剛球は、外角の高めを通り過ぎて、結局9番打者はバットで球をとらえることもできなかった。
3アウト、3回の裏が終わる。
そして、4回裏からは暁によりストレスを与えられた打者達が待っている。
恥ずかしいところを見せる気は、室井にはなかった。




