第六十四話 『初戦の失策』
沖縄尚学高校、それは気迫と機動力に根ざした攻撃力で戦う、近年勢いのある高校の一つ。
例年はトーナメントの巡り合わせによって1~3回戦で消えることもあるが、甲子園ベスト8を目指せる力は十分あるし、ある年は優勝経験さえもある。
典型的なハマれば非常に強いタイプの野球をする高校であるが、粘り強さと守備に少し粗がありロースコアゲームになると逆転負けを喫することもある。
そんな彼らにとって星海学園がどう映っているかといえば、優勝候補である大阪桐蔭相手に接戦を繰り広げ、また神奈川の雄である横浜高校を下して勝ち上がってきた「今年だけなら甲子園を優勝してもおかしくない」相手校であった。
「今日の星海の初期オーダーは欺瞞特化型の暁が出てくる。よく見て揺さぶりながら点をもぎ取るんだ。
相手は夏の甲子園初出場校、必ず隙があるはずだ」
確かに高校単位でいえば星海学園側には全国のノウハウや立ち回りという点では経験豊かな常連校には劣るであろう。
ただ、選手個人でいうならばどれだけ甲子園常連校といえども春夏合わせても3度から4度が限界、ほとんどは2回ほど選手として足を踏み入れる程度というのが中心となる。
未経験か否かというのは大きいにしても、1年生や2年生の段階でベンチメンバーとして夏の甲子園の舞台に身を投じられるというのは大多数ではなく、その高校の中核になりうる極めて優れた選手のみ。
つまりは、選手レベルであれば夏の甲子園の舞台が初、などというのは別に珍しくもなかった。
それでもなおこのように言われるのは、士気の高揚という面もあるが、やはりイメージというものが個人のパフォーマンスに影響するところが大いにあるからである。
憧れの舞台に初めて足を踏み入れる緊張と気負い、そういうものが縛りとなって全力を出せなくなる、そう言った事例を数多く彼らは見てきた。
基礎スペックだけでいれば星海学園の方が上かもしれない、だがそれだけでは勝負の世界は測れない――それを証明しようと沖縄尚学高校は意気込んでいた。
ただ一つ死角があったとするならば、暁幻大という選手はちょっと感性というものがずれたところがあるという点にあったと言えよう。
「とりあえず、最南端の高校を手始めにトロフィーにしておくか。どこかで北海道とも対戦したら南北制覇だな」
そんなことを言いながら、マウンド上で暁はロージンの粉を手にまぶして白球をいくつもの握りで感覚を確かめつつ、能天気に無意識に上から目線で叩き潰すことだけを考えていた。
そこには多少の緊張こそあれど気負いはない。夏の甲子園出場時点で梅本先輩との約束をかなえ再会も果たした暁にとって、この舞台はボーナスステージ的な扱いであった。
無論、優勝はしたい。どうせなので最後まで勝利で突っ走りたい。だが「どうしても活躍しなきゃ」「自分がどうにかしないと」などという硬さとはもはや無縁であった。
高校入学時の目標からして「甲子園出場」であって、「甲子園優勝」ではなかった。彼の中ではまだ、完全にスイッチが切り替わっていないことが逆にプラスに働いていた。
(守備の動きが少し硬いな。初めの方は三振を中心に配球して落ち着いたころに打たせて取る形に移行するか。
少し球数は多くなってもいいから確実に狂わせるための種をまいて試合を支配していこう)
一方で怜の方は、攻略に意識がすべて割かれており緊張などしている暇などはない。バッテリーが一番落ち着いており、それ以外は多くが普通に緊張している。
いや、根付だけはファウルで削るという己が役目と欲望に忠実でやはりそこまでの緊張はないか。
2年生よりも3年生の方が緊張してしまっているという現象が星海においては起こっていた。
(まずはこれから行く)
怜からのサインに暁は頷き、インコース高めを目掛けていきなり投げ込んでいく。
誰もが想像しながらも心が強くなければ投げれないインハイへのストレート、と見せてその軌道からがくんと真下に大きく落ちるライフル回転の落ち球。
中学時代からの決め球も、今は贅沢に布石としてストライクカウントを整えるために使うことができる。
続けてアウトコース低めからぎりぎり外れるようにわずかに逃げる球を1球挟み、ボールカウントを増やした後に、今度こそインハイにサイドフォームから投げるストレートを入れ込む。
このストレートに照準を合わせようと振るバッターだったが、軌道やフォームからほとんど球種を判別できないがゆえに迷いから球に差し込まれ、斜め後ろへと弾いてしまう。
(ぐ、前情報通り投げられた後にも区別がつかない。つく頃にはもう振ってないと間に合わない……厄介すぎる)
暁の球速はスリークォーターの最速ストレートですら145、サイドであれば140km/h程度という速いとは言っても全国最上位に数えられる球速ではない。
だがここにほぼ全球種の軌道が同じに見える上に、そのリリースも見えにくい独楽のような回転をする蛇か軟体生物のようにしなるフォームというものが加われば、一気に攻略難易度が跳ね上がる。
そして暁の最大の特徴、2種のフォームの使い分けによる同一球種での自然に生まれる微妙な速度差とキレ方向の差まで加わると、本気でどうやって攻略すればいいのか分からなくなる。
(ヤマを張るか? いや実質16球種相手にそれは無謀。せめて今日どの球を多く投げてくるかのデータを集めなければその段階にはいけない。
調子の悪い球が必ずあるはず、それを投げたくないと選択肢は狭まるはずだ。まずはどう向こうが組み立ててくるかを探る)
バッターが選んだのは見。極めて正統派の発想、バットをさらに短く持って当てて粘る方向にシフトする。
普通ならば正しい、普通ならば。
ただし暁の投球において、その日調子が悪い球は投球数を減らすというやり方はよほどに変化のない棒球になっていない限りは行われない。
仮に変化がいつもより悪い、制球が安定しない球があろうとも、そんなものは他の球と見分けられなければバッティングの始動自体が遅れるのだから打たれる危険性は他の投手よりもずっと低い。
ならば不自然に特定球種を減らすよりも、分岐先の多様性を保ったまま低確率のくじ引きを引かせて球種を当てさせないことを優先する。
暁の『微差緩急システム』を深く理解していてもなお、現状くじ引きは最低8球種からのスタート、知らなければ16球種からのくじ引き。しかも球種だけではなくコースまでここに加わってくる。
この絶望感は、字面以上に実際に体験していく選手たちは実感として回を重ねるごとにより深く蝕んでいく。
(全部ストレートに見えるのに、途中から軌道が変わっていく! 引き付けて打つしかないのに、引き付けたらもう間に合わない! どうしろっていうんだこれは!?
ヒントだ、せめてヒントを探さないと!)
当然、そんな状況に追い込まれれば対戦相手は目を皿のようにして粗がなにかないのか、パターンや今日の調子はどうなのかを探ろうと必死になる。
そしてそうなればなるほどに、彼らの知覚は鋭敏になり速度感覚が過剰反応して暴走しやすくなっていく。
暁と怜のバッテリーにとってそれこそが思うがつぼ、最上のスタートであることを彼らは知らない。
そして仮に知ることになっても、それをしないということは攻略を諦めることにほぼ直結するために取れる方策ではない。何もせず突っ立っていろなどとバッターに言える監督はいないし、それを許容できるバッターなどいるはずもないのだから。
1人、2人、3人、次々と暁の前にバッターたちが倒れていく。
だが、その表情に悲壮感はまだない。確かに三者三振に終わったが、球数は14球と誰も打てていないにしてはまだ多め、しかも多くの球種を引き出していけているという実感。
これなら3回か4回になり2巡目に入れば今日のデータは十分に集まっているはず、そこから狙い球や配球を見極めて打てれば点数を奪えるはずだと、沖縄尚学は考えていた。
(今は打てないけど、こっちも相手をしっかり抑えて隙を窺えれば行けるはずだ。一度塁に出れば揺さぶれば初出場ゆえの粗が必ず出る、大丈夫だ、まだ焦る段階じゃない)
間違ってはいないのだ。前球との5~7㎞/h差を押し付け続けるという『微差緩急システム』が速度感覚を歪ませスイング調整幅を狂わせていくという、この極めて陰湿で執拗な対話拒否によるバッターの調整機能に対する攻撃さえなければ、だが。
暁が投げている限り、本来ならば回が進むほどに行われるバッターの適応を拒否する、それこそが『微差緩急システム』の肝。
後半になれば打てるはずという経験則を否定し、自分はその例にとらわれないと平然とした顔で投げ続ける。しかも暁は常に80%で投げているため後半の体力的な息切れも存在しない。
成立させられる難度は極めて高いものの、成立させてしまえる暁幻大という投手に限ってはこのシステムは悪魔的ともいえる力を発揮するのであった。
(行ける、まだ相手には隙はある)
沖縄尚学の考える通り、隙は確かにあった。
星海の野手が硬くなっている序盤の段階で強引にでも攻めたてて守備エラーを誘発させ、さらに焦りから自滅させるような積極的手段を取っていれば。
だが、暁が順調に抑えてイニングを消化していくごとにその硬さはだんだんと取れていくことになる。
地力をしっかりと出せるならば、星海は沖縄尚学にも劣るものではない。
そんな方策を取れなかったのは、やはり暁というあまり見ない型の投手を通常の枠に当てはめてしまったことと、星海バッテリーにも初出場ゆえの甘さがあるとの見通しのせいだった。
そこを上手く突き勝利するという、上位者のような振る舞いを求めてしまったこと――それが彼らの最大の失策である。




